誰でも一度や二度はあるのが失恋で多くの名言が残されている。文芸評論家の亀井勝一郎は「恋の味を痛烈に味わいたいならば、 それは片思いか失恋する以外にないだろう」と。また、毎日一升瓶を空にするほど酒を愛した歌人の若山牧水は「恋という奴は一度失敗してみるのもいいかも知れぬ、そこで初めて味がつくような気がするね」と。ありきたりの恋愛論は凡人が言うと振られた恨みにしか聞こえないが文人が語ると文学的になる。
歌も同じでランダムに楽譜集を開くと出てくるのはトーチソングと呼ばれる失恋の歌だ。両者が言う「味」を味わうなら「You Don't Know What Love Is」がいい。「恋の味をご存知ないのね」とお誂え向きの邦題がふられている。♪You don't know what love is Until you've learned the meaning of the blues・・・ブルースの意味がわかるようになるまでは恋のことなんかわからないものよ、というドン・レイの詞はなかなかに哲学的だ。この「the blues」の意味はシンガーや聴き手によって解釈が違うだろう。人生の機微や恋の苦悩、愛の葛藤、官能的なセックス、そして倦怠と嫉妬と憎悪と未練。経験が多いほど歌に深みが増し説得力も大きい。
この手の歌ならビリー・ホリデイの右に出るものはいないが、ただでさえ落ち込んでいるのにビリーを聴いたら立ち上がれないので、新しい恋の予感がするフラン・ウォーレンを選んでみた。クロード・ソーンヒル楽団の「The Real Birth of the Cool」で美しい高音を響かせていた美人シンガーだ。16歳でエリントン楽団のオーディションに合格、その後アート・ムーニー、ビリー・エクスタイン、チャーリー・バーネットの各楽団を渡り歩きソーンヒルに迎え入れられている。この「Hey There! 」は1957年の録音で、当時31歳ながらキャリアの通り華やかなビッグバンドで酸いも甘いも噛み分けた「the blues」が重く響く。
♪And how lips have taste of tears Loose the taste for kissing・・・涙を厭というほど味わった唇はキスの味が判らなくなってしまう。歌詞のこのフレーズは特に情感が籠る。ジャーナリストのドロシー・ディックスは「涙で目が洗えるほどたくさん泣いた女は、視野が広くなるの」と。また「お腹がすいているときにキスがしたい女なんていないわ」とも。失恋した貴女は美味しいものでお腹を満たして周りを見てみよう。もっと素敵な恋の味が広がるかもしれない。
歌も同じでランダムに楽譜集を開くと出てくるのはトーチソングと呼ばれる失恋の歌だ。両者が言う「味」を味わうなら「You Don't Know What Love Is」がいい。「恋の味をご存知ないのね」とお誂え向きの邦題がふられている。♪You don't know what love is Until you've learned the meaning of the blues・・・ブルースの意味がわかるようになるまでは恋のことなんかわからないものよ、というドン・レイの詞はなかなかに哲学的だ。この「the blues」の意味はシンガーや聴き手によって解釈が違うだろう。人生の機微や恋の苦悩、愛の葛藤、官能的なセックス、そして倦怠と嫉妬と憎悪と未練。経験が多いほど歌に深みが増し説得力も大きい。
この手の歌ならビリー・ホリデイの右に出るものはいないが、ただでさえ落ち込んでいるのにビリーを聴いたら立ち上がれないので、新しい恋の予感がするフラン・ウォーレンを選んでみた。クロード・ソーンヒル楽団の「The Real Birth of the Cool」で美しい高音を響かせていた美人シンガーだ。16歳でエリントン楽団のオーディションに合格、その後アート・ムーニー、ビリー・エクスタイン、チャーリー・バーネットの各楽団を渡り歩きソーンヒルに迎え入れられている。この「Hey There! 」は1957年の録音で、当時31歳ながらキャリアの通り華やかなビッグバンドで酸いも甘いも噛み分けた「the blues」が重く響く。
♪And how lips have taste of tears Loose the taste for kissing・・・涙を厭というほど味わった唇はキスの味が判らなくなってしまう。歌詞のこのフレーズは特に情感が籠る。ジャーナリストのドロシー・ディックスは「涙で目が洗えるほどたくさん泣いた女は、視野が広くなるの」と。また「お腹がすいているときにキスがしたい女なんていないわ」とも。失恋した貴女は美味しいものでお腹を満たして周りを見てみよう。もっと素敵な恋の味が広がるかもしれない。