デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

シーラ・ジョーダンのこれからの人生

2011-02-27 08:08:17 | Weblog
 先日、日本アカデミー賞の授賞式が華々しく開かれていた。ピークを迎えた1960年に年間500本以上製作された邦画も斜陽の一途を辿り、製作本数は減ったとはいえ最近の受賞作は良質な作品が多い。賞の候補にこそ挙がらなかったが、昨年観た映画「ふたたび swing me again」は心に残る。ハンセン病という重いテーマをベースに、50年ぶりに仲間と再会するための旅に出た元ジャズ・トランぺッターと孫との姿はジャズファンでなくても楽しめる内容だ。

 その旅は残りの人生で何をするか、ある程度の年齢になると誰しもが問う「What Are You Doing the Rest of Your Life」である。「これからの人生」という邦題が付いている曲は、ミッシェル・ルグランが69年の映画「ハッピー・エンディング」のために書いた主題歌で、本家のアカデミー主題歌賞にノミネートされた。本来映画の主題歌は映画を盛り上げるための脇役にしかすぎないが、映画は忘れられても印象的なテーマ曲は歌い継がれ時代を越えて愛されるケースが多い。シェルブールの雨傘、風のささやき、おもいでの夏、ルグランの曲はつい口ずさみたくなるわかりやすさと、郷愁を呼ぶロマンティックな旋律に彩られている。

 歳を重ねて初めて歌える「これからの人生」をケニー・バロンのピアノにのせてしみじみと歌うのはシーラ・ジョーダンで、ブルーノートに吹き込んだ初リーダー作が32歳という遅咲きと、2作目が13年後という録音数の少なさからシンガーよりもデューク・ジョーダンの元夫人として語られる。80年代に入って多くのレコーディングに恵まれたこともあり、にわかに名前を知られるようになったとはいえ過小評価されてきたシンガーだ。好みが分かれる器楽的な唱法と強烈な個性がその理由と思われるが、パーカーが賞賛したほど聴感が鋭く、楽器の一音をすぐさま表現できる聴感を生かしてドン・チェリーらのJCOAに参加している。

 「ふたたび swing me again」は、渡辺貞夫さんも参加してクライマックスのセッションを盛り上げていた。ジャズに情熱を注ぐ祖父に孫がジャズって何?と問う。生きつづけること、と主人公の財津一郎は教える。そして映画は人生でやり残したこと、ありませんか?と問う。小生と拙稿をご覧いただいている皆様は何と答えるだろう。人生でやり残したことは聴いていないレコードを聴くこと、そしてこれからの人生はもっとジャズを聴くこと、と答えるかもしれない。

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子守唄を聴きながらジョージ・シアリングは永遠の眠りについた

2011-02-20 07:24:07 | Weblog
 世界で最も権威ある音楽賞といわれているグラミー賞の発表が先日行われ、B'zのギタリスト松本孝弘さんをはじめ、クラシックのピアニスト内田光子さん、琴演奏家の松山夕貴子さん、ジャズ界からは上原ひろみさんらが各賞を受賞した。過去にも日本人が受賞しているものの各界からの多くの受賞は快挙で、日本人ミュージシャンの演奏レベルの高さや、アイデアの豊富さが世界に認められたことは喜ばしい。

 そのグラミー賞のジャズ部門を83年に「An Evening With George Shearing & Mel Torme」で受賞したのは、先日亡くなったジョージ・シアリングだ。ダコタ・ステイトンをはじめペギー・リー、ナンシー・ウィルソン、ナット・キング・コール等々、多くのシンガーとアルバムを発表してきたシアリングの集大成である。一連の作品は単なる歌伴ではなく、そのシンガーの持ち味を引き出すシアリングのファンタスティックなタッチと、その音から閃くシンガーが一体となった歌伴を超えた芸術といっていい。シアリングとメル・トーメの男の粋と色気を漂わすアルバムは、イギリス出身のシアリングが盲目というハンディを負いながらも手にした名誉の作品でもある。

 渡米後、49年に結成したオリジナル・クインテットは、ピアノ・トリオにヴァイヴとギターを加えたユニークな編成で、クール・サウンドの創始者と呼ばれた。クールというとトリスターノ派の難解な演奏を思い起こすが、こちらはその編成から音こそクールであれ、爽快にスウィングするし、ピアノとヴァイヴとギターのユニゾンは世界中でコピーされたほど馴染みやすい。ここ日本でも渡辺晋とシックス・ジョーズがそのスタイルに倣い、シアリングの大ヒット作「九月の雨」をテーマ曲にしていたほどだ。49年というビ・バップ全盛期にこのスタイルは相当に斬新で新鮮であったろうが、今聴いてもそれは洗練されていて眩いほどだ。

 2007年にその大きな功績が認められ、出身国のイギリスでナイトの称号を授与されたシアリングが亡くなったのは2月14日、ヴァレンタインデイのことだった。シアリングが作曲した永遠の名曲「バードランドの子守唄」は、多くのシンガーやプレイヤーがレパートリーにしている。そのメロディはチョコレートを貰った男性のように心が弾み、チョコレートのようにほろ苦く、そして甘い。Sir George Shearing 享年91歳 合掌
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ナーディスの作者は誰か 

2011-02-13 08:15:00 | Weblog
 バップ期の名曲「ドナ・リー」はパーカーの作と言われてきたが、マイルスの自叙伝に「ドナ・リーという曲を書いたが・・・」という件がある。マイルス発言の信憑性や曲を解析しないことには真相を解明できないが、この検証は別稿にまわすとしてマイルスがらみで「ナーディス」という曲も謎だ。マイルスがバンドメンバーだったキャノンボール・アダレイのために作ったとされているが、どうにも怪しい。

 誰かに贈った曲であっても自作曲なら一度は演奏したくなるものだが、マイルスは一度も録音していないし、曲調は生涯10回以上も吹き込んだビル・エヴァンスの感性にフィットする。当時マイルスもエヴァンスもモード手法による演奏を模索していたころだから曲作りにしても同じようなアイデアと作風が表れても不思議ではないが、マイルス作とするには釈然としない。エヴァンスの演奏に慣れた耳がそう思わせているだけだ、と言われるとコード進行の分析を出来ない小生は返す言葉がないが、ワルツ・フォー・デビーやヴェリー・アーリーといったエヴァンスの曲と並べても違和感がないばかりか、「エヴァンスらしさ」という共通の美が見えてはこないだろうか。

 このエヴァンスの愛奏曲にデビューアルバムで果敢に挑んだのはリッチー・バイラークで、デイヴ・リーヴマンのルックアウト・ファームのフランク・トゥサとジェフ・ ウィリアムズをバックにリリカルなプレイを聴かせてくれる。74年に発売された当時から高い評判だったが、質の高いプレイは頭で理解できても、ECMのその澄み切った音は長年染み付いてきたゴリゴリしたジャズの音に反応する身体には馴染めなかった。あれから30年以上も経つと不思議なもので、自然に聴こえるばかりか、寧ろ古臭くさえ感じる。それだけより以上に録音技術が進歩し、耳も身体もその音に慣れたのだろう。

 Go Jazz というレーベルを主宰しているミュージシャンでありプロデューサーでもあるベン・シドランが、あるときマイルスにナーディスというタイトルの由来を聞いたという。マイルスは覚えていないと、答えたそうだが、もしエヴァンスに同じ質問と、ついでに作者は誰かと聞いたなら何と答えるだろう。当時、Ben Sidran そう君の音楽が好きで、君の名前を反対から綴ったものさ、作者はマイルスに聞いたらいい、そう答えたかもしれない。
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1969年のルー・ソロフ

2011-02-06 09:06:43 | Weblog
 アポロ11号が人類初の月面着陸を果たした1969年は、音楽界が大きく変貌を遂げた年だった。ジャズ界ではマイルスが70年代の方向性を決定付けたといえる「Bitches Brew」を発表し、ロック界もまたアル・クーパーを中心に結成されたブラッド・スエット&ティアーズが、ブラス・ロックという新しいスタイルを打ち出す。この年にグラミー賞の最優秀アルバムを受賞した第2作「Blood, Sweat & Tears」にランディー・ブレッカーと交代するように参加したのは・・・

 ルー・ソロフである。にわかに名前が知られるようになったのはマンハッタン・ジャズ・クインテットのメンバーとしてだが、音楽キャリアは長い。73年に先のバンドを抜けたあと、スタジオ・ミュージシャンとして多くの仕事をするとともに、ギル・エヴァンスのマンディ・ナイト・オーケストラに参加して腕を磨いたトランペッターだ。ソロフもデビュー当時はスタープレイヤーを目指していたのだろうが、実力はあっても誰もがスターになれるわけではない。大きく音楽が変わる混沌とした時代に一本の音楽性を見出すのは容易ではないし、況してどのジャンルでも器用にこなすプレイヤーはなおさらである。そんな器用貧乏に親近感を覚える。

 数枚あるリーダー作でも「With A Song In My Heart」は、タイトルの如く長い音楽生活で培ってきた愛すべき曲が収められていて、ソロフの音楽観も伝わってくる傑作だ。チャイコフスキーのアンダンティーノや映画リオ・ブラボーの主題曲、テレビの深夜劇場のテーマとして知られるユベール・ジローの「夜は恋人」といった幅広い選曲は、ソロフのフィールドの広さと、ジャンルにこだわらない活動を垣間見ることができる。そしてトップに収められているのは、ハロルド・アーレンの名作「カム・レイン・オア・カム・シャイン」で、よくコントロールされたミュートが美しい。その美しさは声がかかれば降っても晴れても気軽に出かけ、その場で最上の演奏をした血と汗と涙の結晶かもしれない。

 1969年は音楽界のみならず映画界もボーイ・ミーツ・ガール・ストリーから脱却して、アカデミー賞を受賞した「真夜中のカーボーイ」をはじめ「イージー・ライダー」や「ジョンとメリー」といったニュー・アメリカン・シネマが台頭した年でもある。音楽も映画も革新という大きなエネルギーが一気に噴出し、今新しいことは勿論だが10年後も新しい作品を創造していたのだろう。この年の映画「明日に向かって撃て!」というタイトルがその全てを語っているようだ。

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