キリスト教の七つの大罪をモチーフにした映画は多く、最近ではモーガン・フリーマンの渋い演技が光る「セブン」や、古くは52年の「七つの大罪」で、中世ヨーロッパのキリスト教において最も悪しき行為とされた傲慢・嫉妬・大食・淫欲・怠惰・貪欲・憤怒を描いている。その10年後に新進気鋭のヌーヴェルヴァーグの映画監督たちを中心にリメイクしたのが、「新・七つの大罪」で、人間の欲望や感情の罪の深さを鋭く抉っていた。
この映画のために書かれた曲に「グッド・ライフ」がある。ジョン・ルイスとの共演で知られるフランスのギタリスト、サッシャ・ディステルの手によるもので、フランスの香りが漂うアンニュイなメロディは、誰もが持ちえる深層意識を呼び起こす。ジャック・リードンがこの曲に英語詞を付け、トニー・ベネットの歌で63年にヒットしたが、歌詞は映画をイメージしたものではなく独立したラブソング仕立てだ。とはいっても甘いだけの惚れた腫れたではなく、歌詞は楽しみ・理想的・自由・未知の探索という言葉がちりばめられ、人生の憂苦と懊悩や喜びを滲ませる詞は、曲のタイトル通り自身の人生に重ねる味わいがある。
オランダの歌姫、アン・バートンが67年の初アルバム「ブルー・バートン」でこの曲を選んだ。ルイス・ ヴァン・ダイクの静かなイントロに導かれ歌詞をかみしめるように歌い出し、絶妙なタイミングでジョン・エンゲルスのブラッシュが入る。そしてアクセントを付けるジャック・スコルズのベースが歌に絡む。一音一句が大切になるバラードは歌は勿論だが、バック陣の丁寧な音の重ねがなければ曲として生きてこないし、歌そのものの意味合いさえ感じ取ることはできない。このとき34歳だったバートンは、それまでのシンガーとしての人生を振り返るように情感を籠めて歌い、歌詞の解釈からもそれは良い人生だったことが聴き取れるだろう。
「新・七つの大罪」はオムニバス形式で進行するが、「淫乱の罪」はルネサンス期の画家、ヒエロニムス・ボスの裸婦画集を見たせいで、目の前の女性たちの裸体を思わず想像してしまうストーリーだった。このような妄想上の淫乱に耽ることは若い頃なら毎日であり、男なら一度はあるはずである。想像した裸体を確かめたくなり街を歩く美女の服を脱がせると大罪だが、妄想だけならキリストも許してくれるだろうか。
この映画のために書かれた曲に「グッド・ライフ」がある。ジョン・ルイスとの共演で知られるフランスのギタリスト、サッシャ・ディステルの手によるもので、フランスの香りが漂うアンニュイなメロディは、誰もが持ちえる深層意識を呼び起こす。ジャック・リードンがこの曲に英語詞を付け、トニー・ベネットの歌で63年にヒットしたが、歌詞は映画をイメージしたものではなく独立したラブソング仕立てだ。とはいっても甘いだけの惚れた腫れたではなく、歌詞は楽しみ・理想的・自由・未知の探索という言葉がちりばめられ、人生の憂苦と懊悩や喜びを滲ませる詞は、曲のタイトル通り自身の人生に重ねる味わいがある。
オランダの歌姫、アン・バートンが67年の初アルバム「ブルー・バートン」でこの曲を選んだ。ルイス・ ヴァン・ダイクの静かなイントロに導かれ歌詞をかみしめるように歌い出し、絶妙なタイミングでジョン・エンゲルスのブラッシュが入る。そしてアクセントを付けるジャック・スコルズのベースが歌に絡む。一音一句が大切になるバラードは歌は勿論だが、バック陣の丁寧な音の重ねがなければ曲として生きてこないし、歌そのものの意味合いさえ感じ取ることはできない。このとき34歳だったバートンは、それまでのシンガーとしての人生を振り返るように情感を籠めて歌い、歌詞の解釈からもそれは良い人生だったことが聴き取れるだろう。
「新・七つの大罪」はオムニバス形式で進行するが、「淫乱の罪」はルネサンス期の画家、ヒエロニムス・ボスの裸婦画集を見たせいで、目の前の女性たちの裸体を思わず想像してしまうストーリーだった。このような妄想上の淫乱に耽ることは若い頃なら毎日であり、男なら一度はあるはずである。想像した裸体を確かめたくなり街を歩く美女の服を脱がせると大罪だが、妄想だけならキリストも許してくれるだろうか。