デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

グッド・ライフの味わい

2009-11-29 08:07:20 | Weblog
 キリスト教の七つの大罪をモチーフにした映画は多く、最近ではモーガン・フリーマンの渋い演技が光る「セブン」や、古くは52年の「七つの大罪」で、中世ヨーロッパのキリスト教において最も悪しき行為とされた傲慢・嫉妬・大食・淫欲・怠惰・貪欲・憤怒を描いている。その10年後に新進気鋭のヌーヴェルヴァーグの映画監督たちを中心にリメイクしたのが、「新・七つの大罪」で、人間の欲望や感情の罪の深さを鋭く抉っていた。

 この映画のために書かれた曲に「グッド・ライフ」がある。ジョン・ルイスとの共演で知られるフランスのギタリスト、サッシャ・ディステルの手によるもので、フランスの香りが漂うアンニュイなメロディは、誰もが持ちえる深層意識を呼び起こす。ジャック・リードンがこの曲に英語詞を付け、トニー・ベネットの歌で63年にヒットしたが、歌詞は映画をイメージしたものではなく独立したラブソング仕立てだ。とはいっても甘いだけの惚れた腫れたではなく、歌詞は楽しみ・理想的・自由・未知の探索という言葉がちりばめられ、人生の憂苦と懊悩や喜びを滲ませる詞は、曲のタイトル通り自身の人生に重ねる味わいがある。

 オランダの歌姫、アン・バートンが67年の初アルバム「ブルー・バートン」でこの曲を選んだ。ルイス・ ヴァン・ダイクの静かなイントロに導かれ歌詞をかみしめるように歌い出し、絶妙なタイミングでジョン・エンゲルスのブラッシュが入る。そしてアクセントを付けるジャック・スコルズのベースが歌に絡む。一音一句が大切になるバラードは歌は勿論だが、バック陣の丁寧な音の重ねがなければ曲として生きてこないし、歌そのものの意味合いさえ感じ取ることはできない。このとき34歳だったバートンは、それまでのシンガーとしての人生を振り返るように情感を籠めて歌い、歌詞の解釈からもそれは良い人生だったことが聴き取れるだろう。

 「新・七つの大罪」はオムニバス形式で進行するが、「淫乱の罪」はルネサンス期の画家、ヒエロニムス・ボスの裸婦画集を見たせいで、目の前の女性たちの裸体を思わず想像してしまうストーリーだった。このような妄想上の淫乱に耽ることは若い頃なら毎日であり、男なら一度はあるはずである。想像した裸体を確かめたくなり街を歩く美女の服を脱がせると大罪だが、妄想だけならキリストも許してくれるだろうか。
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マッコイ・タイナーとコルトレーンは車中で意気投合した

2009-11-22 08:21:06 | Weblog
 「新しいバンドを結成するから参加しないか?アパートも用意するからマッ、コイよ」 同郷の先輩ベニー・ゴルソンからのありがたい誘いだった。早速、廃車寸前の車でニューヨークに向かったものの、何しろフィラデルフィアから出るのは初めてのこと、さんざん道に迷い、挙句の果てに車は故障する。押して行くわけにもいかず、モッタイナイナーと思いながらも車を捨て、ゴルソンに救いを求めると、生憎外せない仕事が入っているから弟分のテナー奏者を迎えにやるよ、と。

 マッコイ・タイナーとジョン・コルトレーンの初めての出会いである。無事、コルトレーンの迎えでニューヨークに着いたマッコイは、ゴルソンとアート・ファーマーが結成したジャズテットに加わり、めきめき頭角を現す。半年が過ぎた頃、マイルスの下を去って独立したコルトレーンが誘いにきたが、マッコイは恩のあるゴルソンを裏切るわけにもいかず躊躇していた。そこで、「ソン敬しているゴルソンさんにはソンな話と思うのですが、マッコイを私のバンドに」と、コルトレーンがゴルソンに頼みこむ。育ててきたマッコイを手放したくはなかったが、常にジャズシーンの活性化を願うゴルソンは、退団を認めたばかりか、新人のエルヴィン・ジョーンズも紹介し、弟分の門出を祝った。

 「リーチング・フォース」は、コルトレーン・カルテットで破竹の勢いにあったマッコイの2作目のリーダーアルバムで、バド・パウエルの伝統とコルトレーンから学んだモードスタイルを合わせた個性的なピアノが聴ける。初リーダー作はエルヴィン・ジョーンズが参加したせいかコルトレーン・グループのトリオ版という印象は免れなかったが、こちらはヘンリー・グライムスのベースと、ロイ・ヘインズのドラムで、明確にマッコイのスタイルを打ち出した作品になった。タイトル曲の流れるようなタッチと躍動感あふれるフレーズ、バラードの「グッドバイ」からひしひしと伝わる叙情性、ゴルソンがあの時コルトレーンに迎えを頼むんじゃなかったと後悔した理由がよくわかるだろう。

 マッコイはジャズ史上に残るコルトレーン・カルテットの一翼を担い、66年に大きく変貌するコルトレーンの下を離れ、その後自己のバンドを結成する。その間、マッコイほどのピアニストでも仕事がなく、職を探しにタクシー会社に行ったそうだ。そこの社長はマッコイがジャズピアニストであることを知っていて冗談だろうと断ったが、もしマッコイがタクシードライバーなら、乗客は目的地に着かなかったかもしれない。
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マンシーニが味わった酒とバラの日々

2009-11-15 08:13:26 | Weblog
 オードリー・ヘップバーンの優雅な身のこなしが浮かぶ「ムーン・リバー」や「シャレード」、スクリーンいっぱいに広がるひまわり畑とソフィア・ローレンの大粒の涙にもらい泣きしてしまう「ひまわり」、テーマを聴くだけで「あ、それからもうひとつ」の名台詞が聞こえる「刑事コロンボ」、ヘンリー・マンシーニの音楽はつねに映画と一体している。マンシーニは自伝を書いていおり、タイトルを「Did They Mention the Music?」という。

 「お客さんは音楽のことを何か言っていたかい?」と、映画を観て帰った娘に向けた言葉である。映画にとって重要な位置を占める音楽に耳を傾けてくれないもどかしさを訴え、その芸術性を問い続けたマンシーニらしいタイトルだ。マンシーニの曲は派手な装飾がなく、いたってシンプルなメロディラインのせいか、アドリブ発展には不向きであまりジャズメンの間では話題にならないが、「酒とバラの日々」はピーターソンが取り上げたことで一躍ジャズスタンダードに仲間入りした曲である。映画は酒のために身を滅ぼしていくアルコール中毒の夫婦の姿をリアルに描いた社会ドラマだが、音楽はきわめて美しい。

 数ある演奏でもアート・ファーマーがフリューゲルホーンで歌い上げた「インターアクション」は、曲の持ち味を生かした最もマンシーニの曲想に近い名演である。ピアノの替わりにジム・ホールのギターを入れることにより全体のトーンがソフトになり、ファーマーの物憂げな音色も一層映える。ホテルのラウンジあたりで流れていると、ともすれば情景に消え入るBGMにしか過ぎないが、ふと振り返ったときに心地よく耳に残る音楽の味わいだ。それはいつまでも脳裏に残る映画のワンシーンのインパクトはないが、映画館を出た後にふっと過ぎるスクリーンミュージックに似ている。

 62年に封切られた「酒とバラの日々」は、同年のアカデミー賞映画主題歌賞に輝いた。この映画から帰った娘はきっと、「パパ、映画以上に音楽が素敵だ、と皆言ってたよ」そう答えたことだろう。映画以上に音楽そのものの芸術性を高め、画面と音楽が同化することで映画自体をも価値のある作品にしたマンシーニの惜しみない努力が報われたときだ。マンシーニが味わった酒とバラの日々であろう。
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ウォーホルが描いたケニー・バレルのブルージーなギター

2009-11-08 08:01:31 | Weblog
 キャンベル・スープの缶、コカ・コーラの瓶、ドル紙幣、モンローの肖像、アメリカ文化をモチーフにした作品を描いたアンディ・ウォーホルは、ポップアートの旗手として知られる。日常風景の一部である日用品も視点を変えるだけで強い主張をするから不思議なものだ。ウォーホルがレコードジャケットを手掛けた「バナナ」にしても何の変哲もないが、いつでも目にするものほど切り取ると鮮やかに映るのがポップアートである。

 ジャズファンお馴染みのウォーホル作品といえば、ケニー・バレルの「ブルー・ライツ」だろうか。昨今エロティックな写真を使ったジャケットのジャズアルバムが闊歩しているが、線だけで写真以上にエロスを表現できるのがウォーホルだ。ジャケットからはストリングスが入ったイージーリスニングを思わせるが、内容はルイ・スミス、ティナ・ブルックス、ジュニア・クックの3管をフロントに配した典型的なハードバップで、デューク・ジョーダン、ボビー・ティモンズ、サム・ジョーンズ、アート・ブレイキーというリズム隊の布陣はブルーノート・オールスターズのセッションでもある。バレルはバッキングでもソロでもブルージーなことこの上ない。

 地方で活躍するミュージシャンがジャズの本場であるニューヨークに進出する機会は、大物がツアー中にたまたま耳にし、そのままバンドに加わるケースが多く、バレルもディジー・ガレスピーの目にとまったことがジャズギターのシーンに躍りだすきっかけになる。ブルース・フィーリング横溢したギタリストは、ウエス・モンゴメリー、グラント・グリーン等、挙げるときりがないが、泥臭くなく都会的で洗練され、それでいて土の香りが漂うジャズギタリストも珍しい。56年のデビューアルバムから数えて50枚近くのリーダー作を残しているが、1枚も駄作がないし、もし駄作と呼ばれるものがあるとすれば、それはサイドメンの不調によるものだろう。

 ウォーホルは自身について聞かれたとき、「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と答えている。芸術は表面的なものであり、芸術家の内面を探ったところで作品の価値が変るものではないことを語ったものだ。一見しただけでそれとわかるウォーホルのポップアートと同じように、一音だけでケニー・バレルとわかるブルージーなギターは例を見ない。
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ロージーとエリントンが咲かした青いバラ

2009-11-01 08:45:16 | Weblog
 遺伝子組換え技術を用いて開発した世界初の青いバラ「アプローズ」が今月から発売されるという。バラには青い色素がないため青いバラは、「不可能の代名詞」といわれ、バラ愛好家の中では夢とされているが、開発の歴史は古く、57年に「スターリング・シルバー」や「ブルームーン」の品種が発表されている。「喝采」と名付けられた品種は、写真で見ても従来の品種よりも鮮明に青を発色して目にも鮮やかだ。

 「ブルームーン」よりも前の56年に「ブルーローズ」を発表したのはエリントンである。とは言っても美しいことは同じだが花ではなく、ロージーことローズマリー・クルーニーに捧げられた曲だ。エリントンは女性に花のかわりに曲を贈ることを習慣にしており、エリザベス女王をはじめ、エラ・フィッツジェラルド、アリス・バブス等、女王からシンガーまで幅広い。作曲の嗜みがある人が女性を口説くために曲を贈る話はよくあるが、紳士のエリントンが贈ったのはその女性を讃える「喝采」であり、その女性だけしか持ち得ない「美」を表現したものだった。捧げられたどの曲もその女性にとって最も似合う装いである。

 「ブルーローズ」をタイトルにしたアルバムは、ロージーが妊娠中だったため、エリントン楽団の伴奏テープにあとから歌を吹き込む形で作られたものだが、そんな背景など感じさせないほど楽団と一体になった歌唱だ。アレンジャーのビリー・ストレイホーンが、事前にキーやテンポなどを綿密に打ち合わせた結晶であり、それはエリントンが楽団の専属シンガー以外と初めて作るヴォーカル・アルバムとしてもエリントンの名に恥じない傑作であろう。重厚なハーモニーと強力なスウィングに変わりはない録音テープをバックに、エリントンが丹精込めて書いた曲を丁寧に歌うロージーはバラよりも美しい。

 多くのバンドリーダーはどんなに優れたソロイストとアレンジャーを揃えても不可能なのはエリントン・サウンドだという。遺伝子組換え技術により、美味しい食品や美しい花が開発されることに吝かではないが、安全性や倫理性には疑問が残る。バラにしてもより自然に近い色を持つ青いバラも出来るのかもしれないが、どんな技術を駆使しても自然の色には追いつかないだろう。「不可能の代名詞」は不可能のままでいい。
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