婦人画報7月号の連載記事「安井かずみがいた時代」で
安井かずみと金子國義氏との親交について述べられています。
二人が出会ったのは60年代の終わり頃、
”その瞬間に美意識の火花を散らした二人は、ソウルメイトと出会ったことを確信した”
のだそうです。
すぐに”週一度はお互いの家を訪ねたり、六本木の「キャンティ」で食事をする仲”となり、
挙句は安井の夫、加藤和彦を交えて昵懇の仲となったのだと。
知りませんでした。
安井かずみの小説「エイプリル組曲」には金子氏をモデルにした人物が登場するというし、
その本の表紙を描いたのも、「ニューヨーク・レストラン狂時代」など
レストラン三部作の表紙を描いたのも彼なのだから
考えてみれば驚くことではないのかもしれませんが。

”ZUZU(安井のこと)とはグレードの高い話しかしなかった。
高級で耽美的な話。(中略)知的な会話を好んで、ツーと言えばカーと通じる相手が
好きでした。彼女がこうと言うと、僕はどうだと言い返す。
二人で喋ると、競い合って内容がエッフェル塔のように高くなっていく。”
と金子氏の談(婦人画報より)。
これだけを聞いたら、なんという鼻持ちならない…と思わないでもないのですが
安井かずみと金子氏ならそれもありかなとも。

金子國義氏の「O嬢の物語」の挿絵。
それはまだ十代の頃の私にとってあまりにも背徳の匂いがする、禁断の絵でした。
見てはいけないものを見てしまった衝撃、
世の中には自分の知らない世界があることを知ってしまった後悔、
それでももっと知りたいと思ってしまう好奇心、
そんなものが、羞恥と後ろめたさの感情とあいまってある種の腐敗臭となって
私を包み込んだのでした。
今でも金子氏の絵を見ると、そうした青臭い感情が思い起こされて
なんとも居心地の悪い気分になります。
ただあの頃の胸が痛いほどのドキドキは、今となってはもう蘇らないのですが…
安井かずみと金子國義氏との親交について述べられています。
二人が出会ったのは60年代の終わり頃、
”その瞬間に美意識の火花を散らした二人は、ソウルメイトと出会ったことを確信した”
のだそうです。
すぐに”週一度はお互いの家を訪ねたり、六本木の「キャンティ」で食事をする仲”となり、
挙句は安井の夫、加藤和彦を交えて昵懇の仲となったのだと。
知りませんでした。
安井かずみの小説「エイプリル組曲」には金子氏をモデルにした人物が登場するというし、
その本の表紙を描いたのも、「ニューヨーク・レストラン狂時代」など
レストラン三部作の表紙を描いたのも彼なのだから
考えてみれば驚くことではないのかもしれませんが。

”ZUZU(安井のこと)とはグレードの高い話しかしなかった。
高級で耽美的な話。(中略)知的な会話を好んで、ツーと言えばカーと通じる相手が
好きでした。彼女がこうと言うと、僕はどうだと言い返す。
二人で喋ると、競い合って内容がエッフェル塔のように高くなっていく。”
と金子氏の談(婦人画報より)。
これだけを聞いたら、なんという鼻持ちならない…と思わないでもないのですが
安井かずみと金子氏ならそれもありかなとも。

金子國義氏の「O嬢の物語」の挿絵。
それはまだ十代の頃の私にとってあまりにも背徳の匂いがする、禁断の絵でした。
見てはいけないものを見てしまった衝撃、
世の中には自分の知らない世界があることを知ってしまった後悔、
それでももっと知りたいと思ってしまう好奇心、
そんなものが、羞恥と後ろめたさの感情とあいまってある種の腐敗臭となって
私を包み込んだのでした。
今でも金子氏の絵を見ると、そうした青臭い感情が思い起こされて
なんとも居心地の悪い気分になります。
ただあの頃の胸が痛いほどのドキドキは、今となってはもう蘇らないのですが…