
近々イタリアに旅行するという友人に、(イタリアに関連する本だったら)須賀敦子が
いいよと勧めて、自分でも久しぶりに読み返してみました。
別に旅行記というわけではないのですが
若い頃に長くイタリアに住んでいたという著者の本には、イタリアのあちこちの風景と
それにまつわる彼女の想いが散りばめられているのです。
そして須賀敦子の文章は、何処か悲しい。
同じイタリア関連でも例えば塩野七生の、論理的で歯切れのよい文章に比べると、
控え目で上品で、線が細いような気がするのです。
塩野七生が今もイタリア在住、第一線で活躍中の歴史研究家であること、
須賀敦子がイタリアに留学したのは今から半世紀以上も前であること、
そして彼女が本を書き出したのは帰国後20年以上も経ってからであること、
そして幾つかの美しい著書を残して急逝してしまったことも
関係しているかもしれません。
だから須賀敦子の描くイタリアは、どれもこれも
彼女の記憶の中でうっすらと霧に包まれたような感じなのです。
須賀敦子の数少ない著書は、どれも珠玉の宝石のようですが
その中でも、自伝的な要素を多く含んだ短編集「ヴェネツィアの宿」が私は好きです。
たった6年連れ添った夫君ペッピーノが死んでゆく夏を描いた「アスフォデロの野をわたって」
亡き父君の思い出とやはりその別れの場面を描いた「オリエント・エクスプレス」は
あまりにも悲しい。
死の床にある著者の父が「ワゴン・リ社の客車の模型とオリエント・エクスプレスのコーヒー・カップ」
をお土産に求めるのです。
模型はともかく、コーヒー・カップを一体どうやって入手できるのか、途方に暮れた著者は
ミラノの中央駅に駆けつけ、オリエント・エクスプレスの車掌長に事情を説明するのです。
”ヨーロッパの急行列車でも稀になりつつある、威厳たっぷりだが人の好さがにじみ出ている、
恰幅のいいその車掌長に、私は、日本にいる父が重病で、近々彼に会うため私が東京に帰ること、
そしてその父が若い時、正確に言えば1936年に、パリからシンプロン峠を越えてイスタンブールを旅したこと、
そのオリエント・エクスプレスの車内で使っていたコーヒー・カップを持って帰って欲しいと、
人づてに頼んできたことなどを手短に話した。
ひとつだけ、カップだけでいいから欲しいんだけど、分けて頂けるかしら、と”(中略)
すると車掌長はおもむろに客車にとってかえすと、
一つのコーヒー・カップを白いリネンに包んで持たせてくれるのです。
それを持って日本に急ぎ帰国した筆者に、父君はもう焦点の定まらなくなった目を向け、
「オリエント・エクスプレス・・・・・・は?」とささやきます。
”翌日の早朝に父は死んだ。
あなたを待っておいでになって、と父を最後まで看とってくれたひとがいって、
戦後すぐにイギリスで出版された、古ぼけた表紙の地図帳を手わたしてくれた。
これを最後まで、見ておいででしたのよ、あいつが帰ってきたら、
ヨーロッパの話をするんだとおっしゃって。”
60歳を越えて書き始めたという彼女が
たった8年間の創作活動の末に近年、急逝してしまったことが惜しまれてなりません。
「ヴェネツィアの宿」 http://tinyurl.com/k432wbg