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昨夜、内幸町ホールで杉原千畝物語「決断・命のビザ」を観て来ました。
水澤心吾氏の一人芝居。
日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝の偉業を、たった一人の2時間弱の舞台で
どのように表現するのかと思っていたのですが
中々どうして見応えがありました。
セットは書斎机と椅子、トランク一つ。
杉原千畝の青年時代、外務省留学生からハルビン時代を経てロシア通の外交官になり、
そしてリトアニア大使となって戦乱の時代をくぐり抜けた様子を
彼の独白という形で表していました。
日本がナチスドイツと同盟を組んでいる状況下での外交官という立場にあり、
しかも三人の子供の父でもあった杉原氏。
国家の命令と人道的見地に挟まれた彼の、迷いと葛藤。
結局彼は散々悩んだ末、「目の前にいる人たちを救いたい」という心の声に従うのです。
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水澤氏の熱演も見応えがありましたが
お芝居の後に紹介された実録ビデオがまた、よかった。
1999年にイスラエルで行われた記念式典の映像なのですが
黒服のユダヤ式正装、白く長い顎鬚のユダヤ人の老人が、
杉原氏の奥方に感謝の言葉を捧げる場面。
体中がブルブル震えて言葉にならないのです。
絞り出すように彼が口にした言葉は
自分が(杉原氏のおかげで)アメリカに逃げた時はたった一人だった、
それから結婚し5人の子供に恵まれ、子供たちが結婚して今は20人以上の子孫ができたと。
杉原氏が救った6千人の人々はそのようにして
2014年現在では25万人となったのだそうです。
外務省が杉原氏の名誉回復をしたのは2000年、
本人はもうとうに亡くなった後であり、戦後55年のことであったと。
杉原氏は私の出身地、岐阜の出身なのですが
私が岐阜にいた頃は当然、知られていませんでした。
「ユダヤ人大富豪の教え」を書いた本田健氏であったか、
日本人のくせに杉原のことを知らないのかとアメリカのユダヤ人に驚かれたというようなことを
書かれていたのを以前、読んだ覚えがあります。
イスラエル政府は「正義の人」として、 杉原千畝氏の記念碑を自国に建立しているそうです。
これだけの偉業を成し遂げた日本人のことを、社会の授業などでもっと教えてもいいと思うのですが
今はどうなっているのでしょうか?
少なくとも我家の息子たちは、学校では何も習わなかったようです。
杉原千畝物語「決断・命のビザ」 http://www.misawashingo.org/index.html