
壬生寺は、正歴2年(991年)創建された律宗大本山の寺院であり、
「大念仏狂言」を伝える壬生狂言堂があること、また新撰組ゆかりの寺として知られているのだそうです。
幕末にはここの境内が新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行なわれ、
その縁により、近藤勇の銅像や新選組隊士の墓である壬生塚があります。

十代の頃、土方歳三を描いた司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで感動したくらいで
私は特に新撰組のフアンではないのです。
見方によっては、彼らは世の中の流れに逆行した、時代錯誤の剣客集団ともいえる。
それでも、滅びゆく徳川幕府に忠誠を誓って戦い、剣の道に生き、
そして散っていった彼らの生き様には、心惹かれるものがあります。
名刀虎徹を携えた局長の近藤勇、20代で夭折した天才剣士の沖田総士、
そして鉄の規律によって新撰組を強力な組織に育て上げた副局長土方歳三、
やっぱり悲しくてカッコいいなあ…

しかし賊軍だの朝敵だの、歴史に疎い私にはまったくピンと来ないのですが
秩父宮妃になられた会津の松平家の勢津子様がご成婚の折り、
会津の人たちが「これで朝敵の汚名をそそぐことができる」と涙にくれたと
妃殿下が何処かで書かれたのを読んだことがあります。
昭和の初期にまだそんなことを、と驚いたものですが
近年になって13代当主の松平保定氏が、靖国神社宮司に推薦されたのを断った
理由というのにもっと驚きました。
「薩長が祀られ、賊軍とされた会津の戦死者が祀られていないのに、
会津人としてお受けするわけにはまいりません」と。
21世紀になっても尚…(@@)

壬生寺 http://www.mibudera.com/
「ならぬ事はならぬ 会津魂」 http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200909150192.html