Zooey's Diary

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「沈黙 -サイレンス-」

2017年01月26日 | 映画


高校生の時、遠藤周作の「沈黙」を読んで、只々打ちのめされました。
マーティン・スコセッシ監督によって映画化されたことを知り、
殆ど内容を忘れてしまった本を再読しようか迷った結果、直前にamazonに注文。
40年ぶりに読み返してからの、映画鑑賞でした。

17世紀、島原の乱が鎮圧されて間もない頃。
恩師フェレイラが日本で拷問に耐えかねて棄教したという噂を聞いて
宣教師のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルベ(アダム・ドライヴァー)は
危険を顧みず、フェレイラ探しを兼ねて鎖国日本に渡航。
マカオで出逢った日本人のキチジロー(窪塚洋介)の道先案内で
長崎の貧しい村へとようやくたどり着くが、間もなく捕まってしまう…



”日本のどこかに今、あのフェレイラ師が生きている。碧い澄んだ眼とやわらかな光をたたえたフェレイラ師の顔が日本人たちの拷問でどう変わったかとロドリゴたちは考えた。しかし屈辱に歪んだ表情をその顔に重ねることは、彼にはどうしてもできない。フェレイラ師が神を棄て、あの優しさを棄てたとは信じられない”
(「沈黙」より)



雲仙地獄の煮えたぎる熱湯を、裸の宣教師たちに浴びせる拷問のシーンから
映画は始まります。
薦俵(こもだわら)に巻かれて体を縛られ、海に落とされる拷問。
耳の後ろを一カ所切られ、穴の中に足から吊るされる「穴吊り」という拷問。
(血が少しづつ落ちることで、すぐには死ねずに長く苦しむことになるのだそう)

いやもう、正視できないシーンがそこら中に。
そこに狡猾な井上筑後守(イッセー尾形)の声が畳みかけられる。
「心より踏めとは申さぬ。ただ形の上で足かけ申したとして信心に傷はつくまいに」
自分が「転ばない」ことで、自分のみならず、
大勢の百姓が拷問にかけられ、殺されるとしたら?
棄教か殉教か、壮絶な葛藤に苦悩するロドリゴに、神は沈黙し続ける。



キチジローという男は、実に情けない男です。
脅されてすぐに踏み絵を踏み、ロドリゴを裏切って密告し、そのくせ告解を聞いてくれと
何度も何度も泣きつき、オレは弱い人間なんだと開き直る。
低俗で欲張りで狡猾で無知で浅ましい男。
軽蔑しながらも共感を覚えてしまうのは、所詮自分が弱い人間だからか。

ニューヨークのイタリア系移民の家に生まれたスコセッシ監督は敬虔なカトリック教徒で
幼い頃は映画監督ではなく、司祭になりたかったのだそうです。
28年前にこの本を読んで深い感銘を受け、どうしても自分の手で映画化したいと決意したのだと。
人間の弱さが焙り出される、重く苦しい映画です。

公式HP http://chinmoku.jp/
コメント (8)
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