Zooey's Diary

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「あのころ、早稲田で」

2018年09月04日 | 


最近、早稲田大学のキャンパスに何十年ぶりに行って
全体に小奇麗になり、有名ホテルもでき、行き交う男女の学生も妙にお洒落になり、
外国人留学生の姿も増え…といった変わり様に驚いたのでした。
あの大学は友人や従弟が何人も行っていたし、そういえば私も学生時代、
「菊田昇医師の養子縁組斡旋法の制定運動」の手伝いで通っていた時期もあったのだった。
(いい加減な私が何故そんな堅い運動に関わっていたのか今となってはさっぱり
思い出せないのですが、その時はそれなりに真剣だったのです)
あの頃は狭いキャンパスに立看が林立し、ビラが風に吹き溜まり、とにかくゴチャゴチャした雰囲気だったのに
近頃では妙に綺麗になってしまったようです。

そんな時、本屋で目にしたのが「あのころ、早稲田で」。
中野翠のコラムや映画評は時々面白く読んでいるし、
表紙にトボケたインパクトがあって期待したのですが…
戦後ベビーブーマー第一世代(団塊世代)の著者は1965年に早稲田大学第一政経学部経済学科に入学。
クラスに女子は2人だけだったそうです。
”高校時代から『共産党宣言』やエンゲルスの著作を読みかじり、左翼にシンパシーを感じていたため、「社研」こと社会問題研究会に入る。『されどわれらが日々--』に触発され、大学に入ったら苦悩する「真摯」な生き方を目指すはずだったのに、入学した翌年に勃発した早大闘争にも今一つのめり込めない日々-”(amazonから)

結論から言うと、ちょっと肩透かし。
早稲田大学を舞台に色々な登場人物が出てきますが
描かれているのは表層的な付き合いだけ。
タモリや吉永小百合、久米宏、田中真紀子、村上春樹など有名人の名前がキラ星の如く
出てきますが、同時代に在籍していたというだけで親交はなかったらしいし。
当時の学生運動の様子、社会の雰囲気、流行ったポップカルチャーの様子などが
多少分かりますが、あくまでさらっと。
あの時代を同時に生きた人たちとの、内輪だけの回想録という気がしないでもない。
「私の人生の中で最も思い出したくもない日々」という
言葉には深く共感しました。
やっぱり学生時代なんてそんなものだよねえ。

エピローグに、この本を書くにあたって著者も半世紀ぶりに早稲田に行ってみたら
蕎麦屋の三朝庵が健在で、東海林さだお氏のこの店に寄せる歌を思い出したとありましたが
SNSの友人から、この夏に閉店したと聞いたばかり(この本は去年出版)。
百年以上、五代に渡って続いたお店だったのだそうです。
残念… 

「あのころ、早稲田で」 https://tinyurl.com/ybv6fbgh

#welovegoo
コメント (6)
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