goo blog サービス終了のお知らせ 

Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「一人称単数」

2020年08月08日 | 

6年ぶりの短編集ということで、おおいに期待したのですが。
しかも表紙が、今までの春樹の作品とまるで違う。
パステルカラーのイラスト調で、公園のベンチと長い髪の少女が描かれている。
帯には「短編小説はひとつの世界の切り口だ 世界は流れていく 物語が光景をとどめる」と。
どんな世界が待ってるの?とワクワクせずにはいられないではありませんか。


結論から言うと、がっかり。
最後の書き下ろしの表題作「一人称単数」に至っては、後味が悪いばかり。
私が面白さを読み取れないだけなのか?
これを褒める人も、世の中にはいるのかしらん。


その中でもまだ味わいがあると思った「品川猿の告白」について。
「僕」が群馬の田舎の安宿に泊まって温泉に浸かっていると突然、猿が入って来て「お湯の具合はいかがでしょうか?」と尋ねるのです。
そして「背中をお流ししましょうか」と。
僕は混乱しながらも、断ったら悪いような気がして猿に任せます。
そしてその夜、ビールを飲みながら猿とゆっくり話すのです。


猿は自分の孤独と苦しみを打ち明けます。
自分の特異な性癖に苦しみながらも、それなりの対処法も猿は心得ている。
客観的に見たら、それがどんなにあり得ない、奇異なものであるとしても。
そして自分の今までの「愛の記憶」は、それが結実しない一方的なものであったとしても、生きていく上での貴重な熱源になっているのだと。


「品川猿」という作品が2005年の「東京忌憚集」にあったので、それも読み返してみました。
そこでは、猿にまとわりつかれた側の女性目線で書かれています。
その時に比べたら、猿も歳取ったなあ、品川を追放され高崎山を経て苦労したんだなあとしみじみ。
こんな荒唐無稽な話の登場人物(猿)に思わず同情したくなるのが、春樹作品の力と言えるのかな。


表紙のイラストは、中の一編「ウイズ・ザ・ビートルズ」を描いたものでした。
”「ウイズ・ザ・ビートルズ」のLPを抱えていたあの美しい少女とも、あれ以来出会っていない。彼女はまだ、1964年のあの薄暗い高校の廊下を、スカートのすそを翻しながら歩き続けているのだろうか?今でも十六歳のまま、ジョンとポールとジョージとリンゴの、ハーフシャドウの写真をあしらった素敵なジャケットを、しっかり大事に胸に抱きしめたまま。”
この作品では、このラスト3行が一番好きです。


一人称単数」 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする