結婚して40年になる専業主婦ブリット・マリーは、忙しい夫のために食事を作り、家の中を綺麗に整えることが自分の仕事と信じていた。
ある日夫が急病に倒れたと知らされ駆け付けると、そこには愛人が付き添っていた。
ブリット・マリーはスーツケース一つで家を出るが、ろくに働いたことがない彼女には中々職は見つからず、ようやく僻地の町ボリのユースセンターの管理人兼、子供サッカーチームのコーチという仕事にありつく。
ある日夫が急病に倒れたと知らされ駆け付けると、そこには愛人が付き添っていた。
ブリット・マリーはスーツケース一つで家を出るが、ろくに働いたことがない彼女には中々職は見つからず、ようやく僻地の町ボリのユースセンターの管理人兼、子供サッカーチームのコーチという仕事にありつく。
このブリット・マリー、画面に表れて長いこと、ニコリともしないのです。
化粧っ気もなく身なりにも構わず、63歳という設定でしたがそれよりずっと老けて見える。
確かに有能な主婦かもしれませんが、夫にもむっつりとして冗談一つ言うわけでもなく、これでは私が夫でも逃げ出したくなると思ってしまいます。
僻地のボリに行ってもそれは同じこと。
そもそもサッカーのルールも知らないし、ネットでそれを調べるという才覚もない。
子供を持たない彼女は子供の扱い方も知らず、彼らからバカにされる始末。
それでも逃げ場のない彼女は、「1日ずつよ、1日ずつ」と口癖のように唱えながら自分ができることを少しずつやっていくのです。
彼女の10歳の頃のシーンが何度もフラッシュバックされ、胸に抱える重荷が次第に開示されます。
散らかり放題のユースセンターを掃除し、子供たちの服を洗濯し、居場所を整えていく。
やがて周りに、協力してくれる人も段々と現れ…
追い詰められた主人公がその場を飛び出し、違う環境で異人種とまみえることで成長していくというのは、映画ではままあるストーリーです。
この映画がハリウッド映画と違うのは、ブリット・マリーが彼女に好意を持つ男性と知り合っても、すぐにその胸に飛びついて恋愛へと展開しないこと。
あるいは弱小サッカーチームが彼女の不器用な指導の下に練習を重ね、やっとの思いで試合に出ても、劇的な勝利をおさめるというわけでもないこと。
ラストシーンも、かすかに明るい未来への予兆を見せただけで、確実なことは何もないこと。
何もかもが拍子抜けするほどにあっさりとしています。
それでも「始めるのに遅すぎることはない」というテーマは伝わります。
スウェーデン映画、近年観てよかったのは
「幸せなひとりぼっち」「サーミの血」「ストックホルムでワルツを」といったところか。
この映画の原作「ブリット・マリーはここにいた」は、フレドリック・バックマンによる小説で
世界中で累計1000万部突破、46か国以上で出版されているのだそうです。
公式HP