「ショローの女」伊藤比呂美著
息子たちが幼い頃、何度も読み返した育児エッセイ「良いおっぱい悪いおっぱい」。
明るい育児のための合言葉はがさつ、ぐうたら、ずぼらであるなどの言葉に、新米母の私はどれだけ慰められたことか。
その著者の最新本「ショローの女」は、著者が60代半ばとなり、カリフォルニアから熊本に戻ってからの一人暮らしの様子が書かれています。
米国人の夫を看取り、3人の娘たちは自立し、愛犬クレイマーと暮らし、週一回上京して早稲田大学で教える日々に、コロナが襲来する。
著者の、学生たちを見る目が何とも優しい。
”この一年生たちは、まだ大学という場所に一度も行ってない。普通の時なら、大学生になると、サークルに入ったり、友達や恋人を作ったり、セックスをし始めたりする。町に繰り出す。飲んで吐く。失恋して泣く。目に浮かぶ、キャンパスの人混み。早稲田の駅前の人の流れ。今年の一年生はそういうのを知らない。
数十人から数百人の子どもたちが口を開けて、コロナの不安に押しつぶされそうになって、せんせえせんせえと(鳥のヒナみたいに、でも声を出さずに)泣いていた。”
このお母さん目線の温かさに、私は惹かれたのだとつくづく思いました。
「疼くひと」松井久子著
イサムノグチの母親の人生を映画化した「レオニー」を私はあまり好きではなかったのですが、その脚本家が書いた、70代の女性の性愛を描いた作品です。
脚本家の主人公は古希を迎え、日に日に老いを感じる日々、SNSで年下の男と出会い、身も心も溺れて行く。
その描写があまりに詳細で生々しくて、私はちょっと食傷気味でした。
赤裸々によく書いてくれた、勇気を貰ったなどの声も多いようですが、そんなことは自分の日記に書いて、自分だけ読み返せばいいのにと思ってしまいました。
「夫の後始末」曽野綾子著
夫の三浦朱門氏がある日、突然倒れ、そこから始まった80代なかばにしての介護生活がさらりと書かれています。
あまりにも淡々とした描写で、そこには辛いとも苦しいとも一言もないのですが、介護とは「奉仕」であり、「奉仕」とは排泄物の世話をすることと言い切っていることから、その大変さを想像するという感じです。
そして日野原重明先生に聞いた、人間の臨終を楽にする方法として、胃瘻・気管切開・多量の点滴による延命はやってはいけないと。
御夫君も同意されたということで、それを実践なさったようです。
63年間一緒に過ごした夫が亡くなってからも、寂しいだの悲しいだのという言葉は一切なく、ただ一匹の子猫を迎え入れ、直助と名付けて一緒に暮らし始めたと。
”家族の誰かが旅立って行く時、残される者はしっかり立って見送らなければならないのだろう。その任務をこんな小さな直助でも助けていたのである”と。
息子たちが幼い頃、何度も読み返した育児エッセイ「良いおっぱい悪いおっぱい」。
明るい育児のための合言葉はがさつ、ぐうたら、ずぼらであるなどの言葉に、新米母の私はどれだけ慰められたことか。
その著者の最新本「ショローの女」は、著者が60代半ばとなり、カリフォルニアから熊本に戻ってからの一人暮らしの様子が書かれています。
米国人の夫を看取り、3人の娘たちは自立し、愛犬クレイマーと暮らし、週一回上京して早稲田大学で教える日々に、コロナが襲来する。
著者の、学生たちを見る目が何とも優しい。
”この一年生たちは、まだ大学という場所に一度も行ってない。普通の時なら、大学生になると、サークルに入ったり、友達や恋人を作ったり、セックスをし始めたりする。町に繰り出す。飲んで吐く。失恋して泣く。目に浮かぶ、キャンパスの人混み。早稲田の駅前の人の流れ。今年の一年生はそういうのを知らない。
数十人から数百人の子どもたちが口を開けて、コロナの不安に押しつぶされそうになって、せんせえせんせえと(鳥のヒナみたいに、でも声を出さずに)泣いていた。”
このお母さん目線の温かさに、私は惹かれたのだとつくづく思いました。
「疼くひと」松井久子著
イサムノグチの母親の人生を映画化した「レオニー」を私はあまり好きではなかったのですが、その脚本家が書いた、70代の女性の性愛を描いた作品です。
脚本家の主人公は古希を迎え、日に日に老いを感じる日々、SNSで年下の男と出会い、身も心も溺れて行く。
その描写があまりに詳細で生々しくて、私はちょっと食傷気味でした。
赤裸々によく書いてくれた、勇気を貰ったなどの声も多いようですが、そんなことは自分の日記に書いて、自分だけ読み返せばいいのにと思ってしまいました。
「夫の後始末」曽野綾子著
夫の三浦朱門氏がある日、突然倒れ、そこから始まった80代なかばにしての介護生活がさらりと書かれています。
あまりにも淡々とした描写で、そこには辛いとも苦しいとも一言もないのですが、介護とは「奉仕」であり、「奉仕」とは排泄物の世話をすることと言い切っていることから、その大変さを想像するという感じです。
そして日野原重明先生に聞いた、人間の臨終を楽にする方法として、胃瘻・気管切開・多量の点滴による延命はやってはいけないと。
御夫君も同意されたということで、それを実践なさったようです。
63年間一緒に過ごした夫が亡くなってからも、寂しいだの悲しいだのという言葉は一切なく、ただ一匹の子猫を迎え入れ、直助と名付けて一緒に暮らし始めたと。
”家族の誰かが旅立って行く時、残される者はしっかり立って見送らなければならないのだろう。その任務をこんな小さな直助でも助けていたのである”と。