連日こちらの最高気温は35℃前後。
あまりにも暑いので、涼しくなりそうな本を読んでみました。
世界的クライマー、山野井泰史・妙子夫妻の、2002年のヒマラヤの難峰ギャチュンカン(7952m)への挑戦を描いたノンフィクション。
過酷な状況下のビバーク、垂直の氷壁の懸垂下降、重度の凍傷、何度も襲いかかる雪崩、いやはや壮絶極まるものです。
天候の突然の悪化で雪崩に遭い、低酸素で二人とも目が見えず、妙子は水も食べ物も受け付けず、肉体も精神も限界の境目を越えていく。
そして妙子は、何度目かの雪崩で、泰史よりも50mも下に吹き飛ばされ、宙吊り状態になる。
「指がカチカチに凍っていく。感覚を取り戻そうと、口に含んで歯で噛む。それでも感覚が戻らないので、岩に手を打ちつける。(中略)一本のハーケンやアイススクリューを打つのに一時間はかかったろうか。四本で四、五時間はかかることになる。一本打つたびに指が一本ずつだめになっていくような気がした。左の小指、左の中指、右の小指、右の中指…。自分は凍傷には強いと信じていたが、今度だけは駄目だろうと思わない訳にはいかなかった。手の指を失うことは、先鋭的なクライミングをするクライマーとしての未来を失うことだった。しかし、今はまず生きなくてはならなかった。妙子が生きている以上、生きてベースキャンプに連れ帰らなくてはならない」
彼らは予定より5日も遅れてなんとか下山するのですが、泰史は両手の薬指と小指、右足の全ての指ほか計10本を切断する重傷を負う。
妙子はその前のヒマラヤ登頂の際、手の指を第二関節から先の10本全てと、足の指8本を切断していたところに、さらに手の指10本すべて付け根から切り落とし、手のひらだけの手になったというのです。
それでも彼らはその後また登山に挑戦し、その5年後にはグリーンランドの高さ1,300mの大岩壁のクライミングをしているのです。
そこまでして何故登るのか?
それはもう、彼らでなければ分からない。
世の中にはこうした人たちもいるのだという驚き。
雪山での壮絶な死闘、屈強な山男も泣いたという手術の様子などを読んで、確かに少し涼しくなったような…
最近、文藝春秋で沢木耕太郎さんの随筆を読み、いいなぁと思っていたところです。
山に登る良さは、やはり実際に登ってみないとわからないのかもしれません。
でも、本を通して少しでも登る人の気持ちに近づけたら良いですね。
映画についてのエッセイなども色々読んでいます。
新刊の『天路の旅人』が読みたいのですが、図書館で中々廻って来ないので
仕方なくこちらを読んだのですよ。
どうしてそこまでして登のか到底理解できませんが、面白かったです。
私も何で考えられないような過酷な経験をしても、また挑戦するのか、全然わからないです。自分が上った普通の山と全然違うのですから。
それに取り憑かれるという事は私たちに見えない大きな魅力と、それへの情熱があるのですね。
段々情熱が無くなったしまった私、反省です。
中々に壮絶な内容でしたね。
階段を登るのも嫌、冬は冷たい水で顔を洗うのも嫌という私には、考えられない世界です。
ビバーク、ハーケンなど、登山用語は調べながら読みました。
にしても、あれだけ酷い目に遭いながらもまだ登山するという、
それだけの好きなものがあるというのは羨ましいですね。