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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「ブリット・マリーの幸せなひとりだち」

2020年08月13日 | 映画

結婚して40年になる専業主婦ブリット・マリーは、忙しい夫のために食事を作り、家の中を綺麗に整えることが自分の仕事と信じていた。
ある日夫が急病に倒れたと知らされ駆け付けると、そこには愛人が付き添っていた。
ブリット・マリーはスーツケース一つで家を出るが、ろくに働いたことがない彼女には中々職は見つからず、ようやく僻地の町ボリのユースセンターの管理人兼、子供サッカーチームのコーチという仕事にありつく。



このブリット・マリー、画面に表れて長いこと、ニコリともしないのです。
化粧っ気もなく身なりにも構わず、63歳という設定でしたがそれよりずっと老けて見える。
確かに有能な主婦かもしれませんが、夫にもむっつりとして冗談一つ言うわけでもなく、これでは私が夫でも逃げ出したくなると思ってしまいます。


僻地のボリに行ってもそれは同じこと。
そもそもサッカーのルールも知らないし、ネットでそれを調べるという才覚もない。
子供を持たない彼女は子供の扱い方も知らず、彼らからバカにされる始末。
それでも逃げ場のない彼女は、「1日ずつよ、1日ずつ」と口癖のように唱えながら自分ができることを少しずつやっていくのです。
彼女の10歳の頃のシーンが何度もフラッシュバックされ、胸に抱える重荷が次第に開示されます。
散らかり放題のユースセンターを掃除し、子供たちの服を洗濯し、居場所を整えていく。
やがて周りに、協力してくれる人も段々と現れ…



追い詰められた主人公がその場を飛び出し、違う環境で異人種とまみえることで成長していくというのは、映画ではままあるストーリーです。
この映画がハリウッド映画と違うのは、ブリット・マリーが彼女に好意を持つ男性と知り合っても、すぐにその胸に飛びついて恋愛へと展開しないこと。
あるいは弱小サッカーチームが彼女の不器用な指導の下に練習を重ね、やっとの思いで試合に出ても、劇的な勝利をおさめるというわけでもないこと。
ラストシーンも、かすかに明るい未来への予兆を見せただけで、確実なことは何もないこと。
何もかもが拍子抜けするほどにあっさりとしています。
それでも「始めるのに遅すぎることはない」というテーマは伝わります。



スウェーデン映画、近年観てよかったのは
「幸せなひとりぼっち」「サーミの血」「ストックホルムでワルツを」といったところか。
この映画の原作「ブリット・マリーはここにいた」は、フレドリック・バックマンによる小説で
世界中で累計1000万部突破、46か国以上で出版されているのだそうです。


公式HP 
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悪霊退散!コロナの世界

2020年08月13日 | 社会

ニュージーランドで11日、新型コロナ感染が102日ぶりに確認されたというニュースには驚きました。
新規感染者がオークランドで4人見つかり、同市は再びロックダウンされたということです。
NZといえば、コロナを完璧に封じ込めた優等生として広く知られていたのに。
2月に最初の感染者が確認されて3月19日に政府は国境を封鎖、厳しいロックダウンを敢行、感染者は1220人、死者は22人にとどまったと。
3か月以上、新規感染者はまったく出なかったというのに。


今回の4人は同じ世帯の家族で、誰も旅行しておらず、そこの男性がオークランドの低温貯蔵施設に勤めていたのですって。
「ウイルスは冷蔵環境でかなり長い間生き延びることができる」と言われ、その施設で今、徹底的な検査が行われているのだと。


やれやれ。
NZといえばコロナ封じ込めに成功し、とうにロックダウンが解除され、スポーツの試合や文化イベントなども大勢の観客を入れて開催する様子が映し出され、コロナ以前と殆ど変わらない生活に戻ったと言われていたのに。
何より市民へのインタビューで「首相を信頼していたから何も心配しなかった」と答えた人をテレビニュースで見て、心底羨ましかったのに。


なんという厄介な病気なのでしょう。
これだけゆるゆるの自主規制、GoToキャンペーンが行われ、連日千人以上の感染者を出している日本、これでは収束するのに一体何年かかるのか?
かなりの長期戦を覚悟しなければいけないのでしょうか。



久しぶりに、有楽町交通会館の小さな展覧会に行ってきました。
「幻獣神話展Ⅶ」。
ゲームにもアニメにも興味のない私には、そのコンセプトなどさっぱり分からず、しかも映画を観る前に駆け足で観たのですが、異世界の雰囲気が漂って中々面白かった。
コロナに怯える現実の中での「悪霊退散」がテーマかと、勝手に受け取りました。



ランチはその近くの珈琲館紅鹿舎で。
ピザトースト発祥の店という、昭和の香りがする喫茶店です。
サイフォンで淹れるコーヒーも美味しかったが、喫煙可というのが少々残念。


ニュージーランド、102日ぶり市中感染


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「東京奇譚集」

2020年08月10日 | 

村上春樹の「一人称単数」を読んで、その中の「品川猿の告白」の前編が収められている「東京奇譚集」を読み返してみました。
2005年の発売で、ブログを始める前だったので私は読後感想を書いていない。
結構面白いのにということで今更ですが、簡単な感想文を書いてみました。


五編の短編が収められています。
孤独なピアノ調律師が偶然出会った女性を通して姉との和解を果たす「偶然の旅人」。
サーファーの息子を喪くした母の人生を描く「ハナレイ・ベイ」。
「パンケーキを用意しておいて」と妻に行ったきり、姿を消した男を探す話「どこであれそれが見つかりそうな場所で」。
初めて自分の女と確信できたと思えた女性に去られてしまった小説家の話「日々移動する腎臓のかたちをした石」。
そして「品川猿」。


ここでは「品川猿」についてネタバレします。
若い女性みずきは、時折自分の名前が思い出せなくなり、カウンセラーに相談する。
カウンセリングで過去の記憶をたどり、高校時代に自分に名札を託した級友のことを思い出す。
そしてその名札と、彼女の名前を盗んだのは、一匹の猿だった。
品川の下水道に隠れ住んでいる猿は、女性に恋い焦がれるあまり、その名を盗むという性癖があるのだと。
「わたしはたしかに人さまの名前を盗みます。しかしそれと同時に、名前に付帯しているネガティブな要素をも、いくぶん持ち去ることになるのです」
「選り好みはできません。そこに悪しきものごとが含まれていれば、わたしたち猿はそれをも引き受けます。全部込みでそっくり引き受けるのです」
そしてみずきの名前と共に猿が盗んでいた「悪しきものごと」、それは、
みずきが母親から愛されていないという事実だった。
「このお猿さんの言う通りです。そのことは私にもずっとわかっていました。でもそれを見ないようにして、今まで生きてきたんです。目をふさいで、耳をふさいで」
そしてみずきは悲しい決意をする。
「私の名前が戻ってくれば、それでいいんです。私はそこにある物事と一緒に、これからの人生を生きていきます。それは私の名前であり、私の人生ですから」


「すべてをあるがままに受け入れるしかない」は、この本のテーマであるように思います。
理不尽であれなんであれ、人生はそんなものなのだと。


「品川猿」についてどうでもいいことをもう一つ。
物語の前半、自分の名前を思い出せないことに困ったみずきは、細くてシンプルな銀製のブレスレットを買い求め、そこに名前を彫って貰います。
四六時中それを身に着け、名前を忘れたら見るようにと。
みずきの悩みはそれで少し解消されるのですが、しかし銀のブレスレットを年中身に着けていたら、すぐに黒ずんで汚らしくなってしまう。
ここはやはり、金かプラチナでなければ。
春樹先生、女性のアクセサリーについてもうちょっと勉強しなくちゃね。


東京奇譚集」 

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今日という日は

2020年08月09日 | 社会

今日の時点で日本の感染者は4万7千人超、死者は1043人。
東京は連日400人越えの新規感染者。
都知事は東京から出るなと訴え、政府はGoToトラベル・キャンペーンを続行中。
地方は自治体によって、来てくれるなと訴えたり、気を付けて来てくれと言ったり。
一体どうすりゃいいの?と頭を抱えてしまう。


本来なら今日が東京五輪の閉会式だったのになあと、つい考えてしまいます。
私は自分の国で五輪が開かれることが素直に嬉しかったし、何よりボランティアをする筈であったし。
この夏は五輪どころか、青森のねぶた、仙台の七夕、秋田の竿灯、四国のよさこい祭り、徳島の阿波踊りなど大きなお祭りも、近所の小さなお祭りもすべて中止。
コロナで世界は変わってしまいました。


好きに出かけられない分、去年の今頃はどうしていたのだろうと日記を見ると、8月だけで東京ジャーミー、ミュシャ展、銀座の美ら海水族館、六本木ミッドタウンのインスタレーション、アフガニスタン大使館、そして帰省と。
今年は帰省すらままならないなんて(この週末その予定だったのですが、とりあえず延期しました)。
私は呑気な愚痴をこぼしていますが、コロナ禍で会社や店が大変なことになっている人がどれだけいることか。
この猛暑の中で患者激増の対処に追われている医療従事者は、どんなに大変なことか。
まったくコロナってヤツは。


最近のコロナ関連で嫌なニュースは、感染者への誹謗中傷が止まらないということ。
お願いだからこれ以上、日本の嫌な面を見せないでと願うばかりです。



外出がままならない中で始めた小さなこと。
この春から、着付け教室に通い始めました。
3月に始めた途端にコロナで2か月中断、今は少人数でマスクをしながらホソボソと続けています。
これは四苦八苦して、名古屋帯を何とか結んだ写真です。
しかし、オペラも能楽もパーティも集まりもまったくなくなってしまった今、モチベーションをいつまで持ち続けることができるのか…?

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「一人称単数」

2020年08月08日 | 

6年ぶりの短編集ということで、おおいに期待したのですが。
しかも表紙が、今までの春樹の作品とまるで違う。
パステルカラーのイラスト調で、公園のベンチと長い髪の少女が描かれている。
帯には「短編小説はひとつの世界の切り口だ 世界は流れていく 物語が光景をとどめる」と。
どんな世界が待ってるの?とワクワクせずにはいられないではありませんか。


結論から言うと、がっかり。
最後の書き下ろしの表題作「一人称単数」に至っては、後味が悪いばかり。
私が面白さを読み取れないだけなのか?
これを褒める人も、世の中にはいるのかしらん。


その中でもまだ味わいがあると思った「品川猿の告白」について。
「僕」が群馬の田舎の安宿に泊まって温泉に浸かっていると突然、猿が入って来て「お湯の具合はいかがでしょうか?」と尋ねるのです。
そして「背中をお流ししましょうか」と。
僕は混乱しながらも、断ったら悪いような気がして猿に任せます。
そしてその夜、ビールを飲みながら猿とゆっくり話すのです。


猿は自分の孤独と苦しみを打ち明けます。
自分の特異な性癖に苦しみながらも、それなりの対処法も猿は心得ている。
客観的に見たら、それがどんなにあり得ない、奇異なものであるとしても。
そして自分の今までの「愛の記憶」は、それが結実しない一方的なものであったとしても、生きていく上での貴重な熱源になっているのだと。


「品川猿」という作品が2005年の「東京忌憚集」にあったので、それも読み返してみました。
そこでは、猿にまとわりつかれた側の女性目線で書かれています。
その時に比べたら、猿も歳取ったなあ、品川を追放され高崎山を経て苦労したんだなあとしみじみ。
こんな荒唐無稽な話の登場人物(猿)に思わず同情したくなるのが、春樹作品の力と言えるのかな。


表紙のイラストは、中の一編「ウイズ・ザ・ビートルズ」を描いたものでした。
”「ウイズ・ザ・ビートルズ」のLPを抱えていたあの美しい少女とも、あれ以来出会っていない。彼女はまだ、1964年のあの薄暗い高校の廊下を、スカートのすそを翻しながら歩き続けているのだろうか?今でも十六歳のまま、ジョンとポールとジョージとリンゴの、ハーフシャドウの写真をあしらった素敵なジャケットを、しっかり大事に胸に抱きしめたまま。”
この作品では、このラスト3行が一番好きです。


一人称単数」 

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「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」

2020年08月06日 | 映画

第二次世界大戦直前、オーストリアはナチスドイツによる併合が迫っていた。
自然に囲まれたアッター湖畔に暮らすフランツ(17歳)は、ウィーンのタバコ屋で働くことになる。
店主のオットーに教えて貰い社会に馴染んでいく日々、馴染み客のフロイト教授(ブルーノ・ガンツ)と親しくなり、悩みを打ち明けるようになる。


ブルーノ・ガンツの遺作ということもあって期待しましたが、ちょっと掴みどころのない映画です。
冒頭、緑深い湖で泳ぐフランツ、その横の木の下で男と情交に及ぶ母親、そして落雷によって男は亡くなってしまう。
それらのスターティングは一体何を意味していたのか?
ろくに前情報がないままに鑑賞したので、ヒューマン物?社会派物?少年の成長物?と当惑しながら観ていくと…



フランツがウィーンで働き始めると、画面は俄然動き出します。
少年は店主オットーの助けで少しずつ社会を知り、女の子と出会い、性の目覚めに悩む。
そこにナチスが侵略し、美しい石畳の古都は、次第に不穏な空気に包まれていく。
オットーはリベラルな精神の持ち主であったので、ナチスやそれに迎合する隣人たちからにらまれることになる。


まだ戦争は始まったわけではない。
それでも石畳に軍靴の音が響き、古い建物に真っ赤なナチスの軍旗がはためき、街の人々は次第に隣人を見張るようになり、密告や嫌がらせが始まる。
その不穏な空気の浸透の仕方の、その不気味さにゾクゾクとするほどです。
まさかオットーがあんな目に遭うとは。
そして子供だと思っていたフランツが、ラストまさかああ出るとは。



そんな中でフランツの恋の悩みと、フロイト教授との親交は救いではあります。
名優ブルーノ・ガンツの存在感は大きく、彼が出てくるだけで少しホッとさせられます。
しかしいかんせん、精神科医フロイトの忠告は、取り立てて特別なものではない。
フランツに見た夢を書き留めよとアドバイスはするが、その分析をしてくれるわけでもない。
この映画には様々な奇妙な夢、そして死んだモグラとか動く蜘蛛などが、実に意味ありげに登場するのです。
何の伏線?と期待したのですが、それらが回収されることはありませんでした。


といった不満は残りましたが、それでも美しい画面が印象的な、個性的な映画でした。
過ちを繰り返すことなかれと、結局は言いたいのか。
原題「Der Trafikant」、原作ローベルト・ゼーターラーのベストセラー小説「キオスク」。


公式HP 

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渋谷の新名所Miyashita Park

2020年08月05日 | お出かけ
(この写真はHPから)

映画を見る前のランチに、昨日オープンしたばかりのMiyashita Parkに行ってきました。
渋谷駅のすぐ隣、明治通りにある細長い宮下公園。
私の学生時代には恋人たちの憩いの場所、その後ホームレスのねぐらとなり、その後フットサルコートなどがあるNikeパークとなり、そして今回Miyashita Parkに。
公園やホテルもある、三井不動産の大型複合商業施設なのだそうです。



予約制(当日受付もあり)で人数制限、検温、消毒、徹底しています。
今日のお昼頃に行ったのですが、何処もガラ空きで気の毒なくらい。
店員さんがみな、手持ち無沙汰のように立っていました。
あんまり混んでいたら、それはそれで心配になったでしょうが。
レストランも半数以上の26店がテラス席付きですが、写真のように殆ど人が入っていない。



一階には全長100メートルの「渋谷横丁」があり、各地の郷土料理店が並んでいます。
札幌ラーメン、盛岡冷麺、讃岐うどん、沖縄のソーキそば、海鮮丼、牛トロの炙り丼等々、
国内各地の郷土料理やB級グルメが集結したのだそうです。



時間があまりなかったので、駆け足で館内の様子をざっと見て、3階のフードコートのMaguro Marketでポキ丼を。
ハワイ風漬けマグロの丼ぶりです。



ざっと見た印象では、妙にスポーツ関連のお店が多い。
アディダスがあり、その他のブティックにも、スポーティな服や小物が多い気がする。
ここは本来6月末のオープンの予定だったのです。


もしかしたら…
東京オリンピック開催を見込んで、ここは作られたのかしら?
だとしたら、あまりにもお気の毒。
コロナのせいで、何もかもが。



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うっとりフルーツ

2020年08月04日 | 社会

今年の首都圏の7月は、まったく雨が降らなかった日が一日しかなかったのですって。
今更ながらにビックリ。
しかし、長い梅雨が明けたら、猛暑にもうフラフラ。
こんな時は、甘く冷たいフルーツが本当に美味しい。


頂きものの宮古島の完熟マンゴー。
この剥き方だと見た目に綺麗ですが、皮がくっついているのです。
フォークやピックだと取れないのですが、スプーンで掬い取ればよかったのね。


そして今の時期は桃!
日本の白桃はふっくらと大きく、甘い匂い、ジューシーな果肉、うっとりするほど素晴らしい。
欧米の市場やスーパーなどでも桃をよく見かけましたが、大方小さく固く、そんなに甘くもありませんでした。
これは桃に限らず、大抵の果物に言えることですが。
例えば東南アジアやエジプト、メキシコなど南国の大きなホテルのレストランでは、朝食はブッフェスタイルで、色とりどりのフルーツが山盛りになっています。
スイカ、メロン、パパイヤ、マンゴー、キュウイ、オレンジ、パインアップルなど。
喜んでかぶりつくと
あれ?甘くない…


日本の果物とは、まるで別物なのです。
手をかけて丁寧に作られた日本の桃やマンゴーやメロンは、もう芸術品だと思います。
その分、お値段も張るわけですが。



最近覚えた桃の剥き方。
割れ目に沿って縦にグルリと切り込みを入れる。
上下をねじって半割にし、種を掬い取る。
これで半割を四等分すると、皮は指でするりと剥けます。
面白いほど簡単に剥けますが、丁度食べ頃じゃないと難しいようです。



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「平場の月」

2020年08月02日 | 

中学の同級生であった二人の男女(青砥と須藤)が地元で三十数年ぶりに再会したことから始まる、50代の恋愛小説です。
ともにバツイチ、触れられたくない過去や、老親や、病気やしがらみなど色々なモノを抱えていて、惹かれ合ったからといって若者のようにすぐに燃え上がることはない。
しかし、孤独を恐れる気持ち、相手をいとおしみ、一緒にいたいと思う気持ちは若者も中年も変わりはない、その二人の心情が綴られていきます。


かなり変わった文体です。
書き出しが
”病院だったんだ。昼過ぎだったんだ。おれ腹がすいて、おにぎり喰おうと思ったんだ。おにぎりか、菓子パンか、助六か、なんかそういうのを買おうと売店に寄ったら、あいつがいたんだ。おれすぐ気づいちゃったんだ。あれ? 須藤? って言ったら、あいつ、首から提げた名札をちらっと見て、いかにも、みたいな顔してうなずいたんだ。いかにもわたしは須藤だが、それがなにか? みたいな。”
若者用のケータイ小説?何処が中年のしっとりした恋愛話?
と思って読んでいくと、二人の意味不明なブツ切り会話、特に女性(須藤)の乱暴な言葉遣いに更に困惑します。
"「なんだ、青砥か」須藤はちいさな顎を少し上げ、不敵というか、満足げというか、堂々たるというか、そんな笑みを浮かべた。そうだ、それだ。青砥の知っている、須藤の、いつもの、笑い顔だ”
が、二人の出会いの場面。
出て来る小物も、Line、ユニクロ、コンビニ、発泡酒、廃棄処分の弁当、安アパート。
二人の狭い世界から一歩も出ず、閉塞感に息が詰まりそうになります。
どうしてこの小説が山本周五郎賞を?と腹が立ってきます。


ところが読み進むにつれ、なんとも言えない味わいが出て来る。
深刻な病気を抱えて同情されそうになったシーンで、須藤が彼に言う言葉。
「日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ」。
そして須藤の、多分一番、彼女らしくない台詞は
「青砥には充分助けてもらってるよ。青砥は甘やかしてくれる。この歳で甘やかしてくれるひとに会えるなんて、もはやすでに僥倖だ」
それは何処までも自分で頑張ろうとした須藤の、精一杯の愛情表現だったのです。


須藤の最後の選択には、泣けました。
いくらなんでも分別があり過ぎるだろう!もっと手放しで甘えろよ、須藤!
と、私も乱暴な言葉で責めたくなりました。
久々に、余韻が残る恋愛小説でした。

平場の月」 
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ようやく梅雨明け

2020年08月01日 | ネイル
8月になった今日、首都圏はようやく梅雨明け宣言。
実によく雨が降った7月でした。
そして東京都の今日の新規感染者は472人、3日連続で過去最多を更新。
国内では昨日1578人、こちらも連日、過去最多を更新。
日本は一体どうなってしまうのでしょうか。



これではネイルサロンにも気軽に行けず、相変わらず自分でネイルをしています。
これは7月の夏バージョン。



これは8月の新作。
自作ネイルになっても、服に合わせるという習性は変わらず。



ランチはロンハーマン二子玉川店のオープンテラスで。
ソフトシェルクラブのバインミーとP.E.Cメルトサンドウィッチ。
バインミーというのはベトナムのスナック、フランスパンのサンドウイッチです。
ベトナムでは屋台で新聞紙にくるまれ、安価なものでしたが、こちらはとてもお洒落に仕上がっていました。
P.E.C.は台湾風ロウソン(豚肉のでんぶ)と卵とチーズを挟んだ揚げサンドです。


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