「K.V.ウォルフレン氏が予言した『首相官邸包囲デモ』の不気味な的中」 週刊ポスト2012/07/20・27号
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投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 7 月 09 日 03:50:39: igsppGRN/E9PQ
「K.V.ウォルフレン氏が予言した『首相官邸包囲デモ』の不気味な的中」 週刊ポスト2012/07/20・27号
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11297961849.html
週刊ポスト2012/07/20・27号 :平和ボケの産物の大友涼介です。
近年、多くの日本人は政治への不満を口にこそすれ、行動には移してこなかった。しかし今回の官邸包囲デモは、そうした「政治的無関心」といわれた層を突き動かした。これは国民を裏切り続けた民主党政権へ突きつけた「最後通牒」なのか。この展開を一年前に予言したカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の言葉を元に、「転換期にある日本人と日本政治」を読み解いていく。
■「政治への信頼は戦後最低」
首相官邸を取り巻く人の波。
最寄りの地下鉄駅では、警察官や駅員の「ここからは地上に出られません!別の出口に移動してください!!」という叫び声が群集のざわめきにかき消され、デモの光景を議員会館から眺めていたあるベテラン議員は、「安保闘争の頃を思い出すねえ」と呟いた。
6月29日夕方に開かれた「反原発デモ」の参加人数は主催者発表が「15万~20万人」、警察発表が「1万7000人」と大きな隔たりがあるものの、「政治的無関心」の時代が長く続いたといわれる日本人の大きな変化を示したことは間違いないだろう。
安保闘争以降も永田町や霞が関では数え切れないほどのデモ行動が行われてきた。が、今回の特徴は参加者の多くがネットでの呼び掛けに賛同した「一般市民」だった。
60年安保闘争を新聞記者として取材した経験を持つ評論家の塩田丸男氏はこう語る。
「安保闘争は血気盛んな学生が中心だったが、今回のデモの特徴は、参加者の層がサラリーマン、ブルーカラー、子連れの主婦、高齢者、若者と幅広かったことです。考え方がバラバラという弱さを持つ反面、そうした不特定多数の人々が集まった理由は、原発再稼働という単一のテーマに限らず、現在の政治全体への怒りが広がっているからでしょう」
「官邸包囲デモ」は、4月に野田政権が原発再稼働方針を決めた直後に始まった。初回(4月14日)の参加者は千数百人。それが日を追うごとに増え続け、6月に入ると1万人を超え、野田首相も「(デモの)シュプレヒコールはよく聞こえている」と国会で発言するまでになった。当初は一切報道しなかった新聞・テレビも、さすがに無視できなくなったのか、29日の集会は各メディアで大きく報じられた。
が、こうした「国民運動」が起きることを1年前に予言していた人物がいる。
「ニュースで見ましたが、デモの発生自体には驚いていません」
そう語るのはオランダ・アムステルダム大学教授で、20年以上にわたる日本政治研究で知られるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏だ。
ウォルフレン氏は昨年8月、本紙のインタビューで「小沢一郎氏に対する人物破壊」について語り(この内容は9月2日号に掲載した)、さらにこう指摘した。
「日本人は良くも悪くも従順で、時の権力者の決定に不満があっても声を上げない。震災対応や原発事故処理を巡る政府の対応が象徴的です。被災された方々は政府の支援を受ける立場ですから、批判すれば助けてもらえなくなるという不安を抱えている。
しかし、政治が国民を裏切り続ける状態が続けば、おとなしい日本人も黙ってはいないでしょう。1年後には日本人が首相官邸や国会議事堂を取り囲むような事態が起きると思うのです」
この予言はまさに的中した。ウォルフレン氏が改めて語る。
「国民を脅迫するという政治手法を目の当たりにしたことで、日本人の政治への信頼は戦後最大レベルで失墜していると感じます。
日本政府は、原発再稼働では”原発がなければ大停電が起きて生活に支障が出るぞ”、消費増税では”ギリシャのようになってもいいのか”という論理をふりかざしています。ですが、そうした説明にエピデンス(証拠)は提示されず、それどころか政府にとって都合の悪い情報を隠してきた。そうした政治に対する怒り、そしてそれが続いていく恐怖が、”普通の日本人”を突き動かすことになったのだと思います」
■「アジサイ革命」の意味
ウォルフレン氏が指摘する「普通の日本人」の変化は、今回のデモが「アジサイ革命」と呼ばれるようになったことからも読み取れる。
チュニジアの「ジャスミン革命(10~11年)」やグルジアの「バラ革命(03年)」、キルギス「チューリップ革命(05年)」など世界各地で起きた民主化革命になぞらえた表現であると同時に、「今回の自然発生的なデモは、ひとつひとつの小さな花が集まって大きな房をつくるアジサイに似ている」(デモ参加者)ことから、この呼び名はツイッターやフェイスブックで広がった。
デモに初めて参加した都内の主婦は、「野田さんは自分の責任で原発を動かすと言っているけど、自分や子供の安全をあの人に預けられるわけないでしょ。難しいことはわからないけど、信用できない政治家には任せられない」と憤る。
20代サラリーマンは、「仕事帰りに偶然通りかかった」という理由でデモに参加した。
「野次馬根性で思わず付いて行ったけど、参加者が叫んでいることは頷ける内容が多い。デモというと右翼や左翼の活動家のような人とか、労働組合が仕切っているという印象を持っていたけど、今回は僕みたいな人も多くて、”押し付けられてる感”がなかった」
かつての安保闘争ではデモに参加する学生としない学生ははっきり分かれ、後者は政治に無関心な「ノンポリ」と呼ばれたが、その中には組織化されていく運動を敬遠して離れていく者も多く含まれている。だが、今回の官邸包囲デモの「ほどよいユルさ」(同前)は、”現代のノンポリ層”が積極的に参加できる理由のひとつになっているようだ。
実際、官邸包囲デモはある意味で”無秩序”だった。「大飯原発の再稼働反対」を叫ぶ者が多数を占めつつも、「消費税を増税するな」「マニフェストを守れ」「オスプレイ配置阻止」を唱えるプラカードも散見される。
ウォルフレン氏は言う。
「デモのテーマは様々だが、共通しているのは”国民の手に政治を取り戻す”と掲げた民主党政権にことごとく裏切られたフラストレーションです。それが多くの日本人が共有している思いなのでしょう」
■「これは日本の転換点だ」
そうしたデモの広がりを政府側が恐れているのは間違いない。
政権幹部の一人は、
「このままでは原発問題が消費税や年金問題とも結び付き、全国的な運動になりかねない。労働組合や特定の政治団体が主催する”儀式的”なデモならば気にする必要はないが、今回は日増しに参加者が増えているうえに、相手が不特定多数だから(デモを収束させるための)交渉もできない」
そういって苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
だが、手をこまねいて見ているばかりではないようだ。公安筋からはこんな声が聞こえてくる。
「抗議行動を抑える方法はある。カッとなりそうな者を挑発して、暴力的な行動を起こさせればいい。そうなれば、一般の参加者は普通のサラリーマンや学生だから”一緒にされたくない”と冷めていくはずだ。投げられたペットボトルを”火炎瓶の可能性がある”とマスコミにリークすることだって可能だ」
この点はデモ団体側も危惧している。
「”暴力的な行為は絶対にしないように”と注意していますが、ただ”騒ぎたい”といって酒を飲んで参加する人もいます。なにより、参加者の名前もわからないデモですから、(鎮圧側が)確信犯的に暴動を起こす人を紛れ込ませたら防ぎようがない」(主催団体関係者)
だが、”デモの作法”を知らないのは参加者側ばかりではないという。ある警察庁OBが語る。
「今の機動隊は一般人の大規模なデモをほとんど体験していない。反社会的な団体や”デモのプロ”が相手なら、警棒で殴ったり、安全靴で蹴っ飛ばしても相手が文句を言うことはほとんどないが、ごく普通の主婦を怪我させたりすれば世論は政府批判に回ってくる。万一、樺美智子のような事件(※)が起きようものなら、政権がひっくり返りかねない事態に発展する。
※1960年の安保闘争に参加していた東京大学学生の樺美智子が、警官隊と衝突して圧死した事件(6月15日)。学生側に死亡者を出したことは世間に大きな衝撃を与え、警察側が激しく批判されたが、在京新聞各社はこれを日本が社会主義・共産主義革命へ移行する危機と見て、17日に「議会政治を守れ」との共同宣言を発表。警察側の暴力や、岸信介内閣が受けていた批判を不問とした。事件の影響を受けてアイゼンハワー米大統領は来日を延期。19日に日米安保条約は成立した。
双方が危うさを抱えたまま、デモの参加者は日増しに参加者が膨れあがる。毎週金曜日の「官邸包囲」だけでなく、7月29日には「国会大包囲」と題した反原発デモが予定され、「規模は6月29日より大きくなるのは間違いない」(前出の主催団体関係者)とみられている。
今後の展開をウォルフレン氏はどう見るのか。
「日本人が政治の不誠実さに対して声を上げるようになったことが、良い意味での日本の転換点になることを期待しています。
重要なのは新聞やテレビなどの大メディアです。彼らは一方的に政府側の説明を垂れ流すのではなく、国民の声も公平に取り上げるべきです。声を上げる国民が欲しているのは正しい情報です。原発にしても消費税にしても、そして小沢一郎氏の資金問題にしても、権力側は不都合な情報を隠してきた。そうした問題の真実をメディアが国民に知らせることができるなら、この国民運動は日本を良い方向に変えていく力になると思うのです」