安倍政権が「沖縄を切り捨てた日」記念式典挙行
安倍政権は第二次大戦後、沖縄が日本から切り離され、米国の施政下に置かれることになった1952年4月28日から満61年にあたる本日、「主権回復の日」記念式典を開催する。
沖縄が日本から切り離された日であり、沖縄の人々にとっては「屈辱の日」である。
単に沖縄の人々にとって「屈辱の日」なのでなく、ほとんどすべての日本人にとって、日本が切り裂かれた日という意味で「屈辱の日」である。
「ほとんどすべて」と言ったのは、人によっては、日本の一部を切り捨ててしまうことにためらいがなかった、あるいはないかも知れないからだ。
「屈辱の日」に記念式典を実施すること自体が、安倍政権の沖縄に対する差別意識を鮮明に示すものである。
沖縄が切り離され、実質的に米国に売られた経緯においては、昭和天皇の関与が極めて大きいことが明らかにされている。
1947年9月、天皇御用掛の寺崎英成氏が連合国マッカーサー総司令部に伝えた極秘メッセージは関西学院大前教授の豊下楢彦氏の「昭和天皇・マッカーサー会見」によって明らかにされた。
天皇が米軍の沖縄占領継続を希望し、占領は長期租借(25年ないし50年、あるいはそれ以上)で、とする内容であった。
その後、入江侍従長の日記で、この内容が事実であると認定された。
4月22日に沖縄県浦添市で開かれた「主権回復・国際社会復帰を記念する政府式典」について考える、
「「天皇メッセージ」を問うシンポジウム」
では、元沖縄キリスト教短期大学学長で牧師の平良修氏が基調講演した。
平良氏は講演のなかで、
「主権回復を5・15にすべきとの声もあるが、そんなに日本の主権回復が大切か。そろそろ日本を見切るときが来ているのではないか」と述べた。
「天皇メッセージ」については、
「天皇制と自分自身を守るために、沖縄を犠牲にした。」
と指摘。
「天皇は『沖縄、奄美、小笠原を置いて独立しようと思わない』とは言わなかった。沖縄などを犠牲にして独立しようという考え方だろう。だから屈辱なのだ。」
と指摘した。
シンポジウムを伝える4月23日付の琉球新報によると、平良氏は次の訴えも示した。
「沖縄が日本にとって琉球処分、米国にとって太平洋戦争で得た「戦利品」だと指摘し「彼らにとって何をしてもいい存在でしかない」と説明した。
「そんなに日本の主権回復が大事なのか。自分たちの自立に、発送を変えよう」と訴えた。」
安倍政権の基本スタンスは、沖縄を日本政府のために利用するとのものでしかない。
沖縄を日本の一部と考え、沖縄の主張を日本の主張として受け止め、沖縄をかけがえのない日本の一部として尊重する姿勢は皆無である。
沖縄県民が総意として基地の県内建設を反対している現状のなかで、辺野古に基地を建設することを米国と決めてこれを強硬に推進しようとしている。
そして、日本政府が沖縄を切り離し、米国に売ってしまったその4月28日に、「主権回復の日」記念式典を行うというのである。
沖縄では沖縄独立の運動が一気に拡大することになるだろう。
仮に沖縄が独立することになるなら、その主因は安倍政権の沖縄差別、沖縄切り捨ての基本姿勢にあると言わざるを得ない。
メルマガの読者が『沖縄地位協定入門』の著者である前泊博盛氏に、沖縄を「琉球王国」・「琉球政府」として独立させるしかないとの意見を手紙にしたためて送られたことを教えてくれた。
沖縄の人々の率直な気持ちとして、日本と訣別し、沖縄が沖縄として独立する道を選択することは十分に考え得ることであるし、また正当な主張でもある。
実は2年前に出版された最高の沖縄ガイドブックがある。
『沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)
という本だ。
http://goo.gl/hPwKh
本の正式なタイトルは長い。
『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』
著者は矢部宏治氏である。本ブログ、メルマガで紹介させていただきたいとずっと思っていたが、当初はネットブックショップでの掲載がなく、タイミングを逸してきた。
これから沖縄は観光シーズンを迎える。
沖縄を訪問する人には、必ずこのガイドブックを片手に、沖縄の基地問題を自分の目でじっくりと見て来ていただきたい。
「屈辱の日」を「記念日」とする安倍政権の基本姿勢について、日本の国民がどのようにこれを受け止めるのかが問われる。
安倍政権=NOと考える主権者は、夏の参院選で明確にその意思を表示するべきだ。
沖縄の仲井真知事は、安倍政権が発足してから様子が完全におかしい。沖縄県民にこれまで約束してきたことを根底から覆す姿勢が垣間見られている。
普天間返還で辺野古建設だと、米軍基地負担の沖縄依存度は、73.8%から73.1%にしか変化しない。これをもって、沖縄の基地負担の軽減とはよく言えたものだ。
そして、記念式典がなぜ4月28日であるのかについても、よく考える必要がある。