徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

仏教と神教(神道)-2-

2006年09月07日 10時41分48秒 | 宗教を考える

昨日は、雨で甲子園の讀賣戦は中止になりました。
今日も今(午前10時半現在)も雨がシトシトと降っています。
今日は、キップがあり、見に行くつもりなのですが、今日も中止になるのでしょうか?
予報では、昼から雨が上がるとなっていますが、如何に水はけの良い甲子園でも昨日からの雨でグランドコンデションも気になります。
虎にとっては、雨で流れたほうが良いかも知れませんが・・・・
中日が昨日負け、ゲーム差が5.5と縮まりましたので、今日もヤクルトに頑張って貰って果報は寝て待った方が良いのかも・・・・

                      

さて、昨日の続きですが、日本に仏教が浸透していった大きなカギは、仏教が中国や朝鮮を経て伝わったことにあると考えられます。

つまり、仏教が日本の神道の「自然の万物に霊魂が宿る」という考え方に共通することにあったのです。
日本が外来宗教である仏教を受け入れたのは、中国や朝鮮を経る間に儒教や道教の考え方、民間宗教などが混ざり、日本の神道にも共通する考えが含まれていたという訳です。

仏教伝来の時は、当時の実力者の曽我氏と物部氏の間で仏教をめぐって激しく争っていました。
曽我氏は新たな外来文化である仏教を崇拝し、物部氏は、異国の神を拝むと、国つ神の怒りをかうと主張し仏教に反対します。

   飛鳥寺

物部氏との勢力争いに勝って実権を握った曽我氏は、馬子の時代に飛鳥地方に氏族の先祖を弔い、法興寺(のちの飛鳥寺)を建て、これをきっかけに、各地に氏寺が建立され、貴族や豪族のあいだに仏教が受け入れられていったのです。

しかし、その外来文化の仏教を日本式に作り上げたのは、例えば、インドでは荼毘にふされた遺体は川に流されますが、日本では山岳信仰もあって山への土葬とし、日本人が、インド仏教の浄土観を日本流に変えたのです。

平安時代に描かれた「阿弥陀来迎図」は、雲に乗った阿弥陀仏が山肌に降りようとしています。 これは浄土が山の頂上にあることを表してます。

   高野山・金剛峯寺

さらに10~11世紀には、高野山の僧たちが、遺骨を高野山に納めれば、間違いなく浄土に行くと説き、これが山へ納骨する習慣が始まりました。
さらに、江戸時代には、檀家制度が確立し、寺と墓が結びついた日本独特のシステムが出来上がりました。