徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

センター試験日は、毎年寒い・・・・

2006年01月21日 10時00分41秒 | 独り言・社会・ニュース

今日、明日は、センター試験日です。
何故か、この日は、1年で一番寒く、受験者にとっては体調の維持に大変な時です。

昨日は、折りしも一年で一番寒い頃とされる大寒でした。
先週は、比較的暖かい日があったのですが、今週になって年間平均気温より低い日が続いています。

遠い記憶では、センター試験とか共通一次試験とかがない時代には、3月3日が大学一期校の試験日であったころ3月にも拘わらず雪がよく降ったことを思い出します。

4月が新学期となっている今の制度では、どうしても受験日は、寒い頃になります。
別に、アメリカのように9月を新学期にする必要はありませんが、この寒い時期を乗り越えて、暖かい4月に夢が叶うというのも、一つの試練としてよいのではないでしょうか?


 ”城崎界隈” F8号

19日から”アトリエ舞展”塚口さんさんタウン5階のピポットギャラリーで開催しています。 このブログをご覧の方で関心のある方は是非ご来場をお待ちしております。
1月24日まで開催しております。


会社は誰のもの??-その2-

2006年01月20日 09時18分53秒 | 会社は誰のもの

昨日の続きです。
「市場経済」の発達は、貧富の差が大きくなります。
日本でもアメリカのように上位1%の人が国富の半分近くを占有するようになるかも知れません。

勿論、資本主義の世界では、貧富の差があっても構わないのですが、あまり酷い差は、社会的不平等を与えます。

つまり、資本主義も危ない段階に来ていると考えられます。

歴史的関知からすれば、最近の世界は「欧米諸国にしてやられた」と言えます。
いくらアジアやアフリカ、中南米が力んだところで欧米の敵ではなかったのです。
ルネッサンスから宗教革命、科学革命、そして産業革命が「ヨーロッパで起こった」と言うのが決定的です。


 ジエムス・ワット         ルター

とりわけ産業革命は、世界史上最大の事件で、これによって欧米が世界を支配するようになったと言っても過言ではありません。
このように世界はヨーロッパ、20世紀にはヨーロッパを継いだアメリカに「してやられた」のです。

しかし、5世紀から15世紀までの中世は、そうではありませんでした。
アメリカは歴史の舞台にも登場していませんし、ヨーロッパ諸国も狭い土地の争いの抗争を続けており、無知と貧困との闘いでした。

一方日本では、文化的に充分に洗練された文化を持っていました。
勿論、これらの文化は中国を初めとする東南アジアの諸国から取り入れてきましたが、日本独自の文化を開発していったのです。

当時のヨーロッパは、文学においても数学においてもレベルは低く、1500年時点でも統一された国はなく、この間は非常に遅れていました。

この遅れたヨーロッパに革命が起こり、現在の世界情勢になったのですが、その綻び(ほころび)がやってきたのです。


会社は誰のもの????

2006年01月19日 08時44分22秒 | 会社は誰のもの

今、経済は市場原理主義から生まれた株主中心主義に陥っています。
「会社は株主のもの」という論理は、一般の人にとって(サラーリーマン)は恐るべきものと思われます。

会社は、僕に言わしめればそこで働く従業員のもので、株主は多くの関係者の一つくらいの存在でしかないと思います。

株主によっては1週間とか一ヶ月とか1年とかいう短期間で株を売買します。
ほとんどの株主は値上がりによるキャピタルゲインを狙っているのであって、その会社に何の愛着も持ってない人がほとんどです。

一方、多くの日本企業の従業員はそこで長く働きますから、いつも会社のことを考えて一生懸命やっています。

「会社は株主のもの」は恐ろしい論理なのです。


今日の絵は、”りんごのある空間” F6号

経済理論としてこの主義に理論が通っていることは確かでしょう。
しかし、それは一番良い経済理論ではないと思います。


学校では、株式会社の使命は、1、株主のため 2.従業員のため 3.社会への貢献 を教わります。
論理的に正しいことと善悪は別次元のことです。

株主主権をやたらに言い立てる人には、「下品」で「卑怯」という印象を禁じ得ません。
 
「法に触れないなら何をしてもいい」財力にまかせてメディア買収を試みた人がいますが、この状態を見て、一般の人はどう感じたのでしょうか?
彼らに喝采を浴びせる人がいることを、何とも絶望的に感じた気分に襲われたのは僕だけでしょうか?

これは何も今、某IT企業の破綻が発覚したから言うのではありません。
根底には、日本人の意識改革を大きく左右するものなのです。

詳しくは、追々述べていきたいと思います。

 


 


”THE 有頂天ホテル”

2006年01月18日 08時58分51秒 | 映画・社会

昨日も、今話題の映画”THE 有頂天ホテル”を見てきました。

映画を見るのには、暇つぶしの方もおられるでしょうが、一般的には、その映画に感動を受けるために見る場合が多いと思います。

目的の感動には、涙を流したい人、笑いを求める人、恐怖を体験したい人、スペクタルを味わい人、サスペンスを求める人、痛快なアクションを楽しみたい人、それぞれです。

今回の”THE 有頂天ホテル”は、脚本・演出が三谷幸喜ということもあって奇想天外なユーモアを求めて行きました。
今までの彼の演出作品を幾つか見ましたが、一味違ったコメディーで中々風刺的でもありました。

 

「ラジオの時間」「みんなの家」「笑いの大学」、テレビでは「王様のレストラン」「古畑任三郎」それに昨年の大河ドラマ「新撰組」等々。

いずれも設定の妙と演出の巧みさに見せられました。

今回の「THE 有頂天ホテル」の設定も2時間というリアルタイムの進行と豪華なキャストと大晦日のホテルのドタバタ、出演者のメイクの巧みさという触れ込みでどんなに腹から笑わせてくれるか期待が大きく持って見に行ったのですが・・・・・

余りにもストーリーを事前に知っていた性もあって、ここぞという彼一流のコメディータッチが見られず肩透かしで交わされたようで劇場を去るときの満足感がなかったのは何故なのでしょうか?

映画に限らず、期待はあまりしないほうが何事に置いても良いのではないでしょうか?
これは、僕だけでしょうか?


忘れてはならないもの

2006年01月17日 10時47分32秒 | 独り言・社会・ニュース

今日は、あの阪神・淡路大震災から11年目にあたります。
あの時のことは、今でも鮮明に思い出します。

大きな揺れと同時に起きた時は、なにが起こったのか理解が出来ず、ただただ頭から布団をかぶった事だけでした。

家の中は、散乱した家具や置物で足の踏み場もありませんでした。

僕の家はお陰で無事でしたが、付近の家屋は、見るも無残な姿をしていました。
しかし、この姿は、僕の家の表通りだけで、一筋違う通りは、何もなかったように立っていました。 近くの新幹線の橋梁は落ち、長らくバスが通らず、この辺りは、陸の弧島となってしまいました。 

 
   神戸市内                 炎上する神戸市内

電気は、その日のうちに点きましたが、水道、ガスが通ったのは1ケ月先のことでした。 TVに写る神戸の町が燃え上がり、高速道路が落ちた様子を見て、この地震が如何に大きく、如何に被害が大きかったのか、思い知りました。

被災者の悲惨な姿は、決して忘れてはなりません。
この惨状は、先の大戦に次ぐ被害と言われています。

地震の時は、火の始末と机等の下に逃げると言うことは、この大地震では何の役にも立ちません。
今、言えることは、常日ごろからの備えです。
緊急持ち出しの物をまとめておくこと、風呂の水は、張っておくこと、そして寝床にはスリッパ、手ぬぐい(寒さや怪我の包帯に)、を置いておくのも良いでしょう。

そして、今憤りを感じるのは、耐震偽造の建物です。 この未曾有の被害を全然生かされていません。 当事者は、人命より自己利益のみを考えています。
僕に言わせれば、これは殺人行為です。

後世に伝えて、忘れてはならないものの一つです。


日本で一番高い所にある駅・鉄道は・・・・・

2006年01月16日 09時05分45秒 | 鉄道のよもやま話

日本で、一番高いところにある駅は・・・・
なぞなぞでは、東京駅となりますが。(東京駅行きの列車は、すべて”のぼり”です)

実際に、もっとも標高の高いところを走る鉄道は、JR小海線「宇宙に一番近い駅」として宣伝されています。
そして、その中で一番高い位置にある駅は、野辺山駅です。
ここは、標高1345.6mと日本では、標高が一番高い位置にある駅です。
そして一番高い位置にあるレールが、隣の清里駅との間の海抜1375m地点で、ここには「鉄道最高地点」と標識が立っています。


  小海線沿線               野辺山駅


反対に一番低いと言うか深いと言うべき最低地点は、青函トンネル内の海面下240m地点です。
駅としては、吉岡海底駅が最も低く、海面下149,5m地点にあります。

海面下ではなく、地下での最深駅は、京葉線の東京駅海抜マイナス20.19mです。

  京葉線・東京駅

では、地上で一番低い駅は、関西本線の弥富駅で、伊勢湾の海抜マイナス0.93m地点にあり、ホームにも「日本で一番低位置」という表示があるそうです。

弥富駅


小正月・女正月

2006年01月15日 10時00分38秒 | 独り言・社会・ニュース

今日、1月15日は小正月です。
女正月(めしょうがつ)とも言われています。
年末・年初と忙しかった女の人の休養を目的として、女の人を家事から開放する日だそうです。


番傘のある風景 F8号

そして、今までは成人の日でもありましたが、いつの間にか成人の日は1月第2月曜日になってしまいました。 やっぱり成人の日は15日ですよね。

中国の道教の行事に三元と言うのがあります。
1年を3期に分け、1月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元としています。

上元は、小豆粥を食べて1年中の疾病が避けられるように願い中元は、半年間が無事に暮らせたことを祝い祖先を供養し、両親やお世話になった人に贈り物をして感謝を表すことだそうです。 この中元が今も残っています。

下元は、10月15日で経典を読み災厄を避けることを祈り、祖先の霊を祈る行事だそうです。

いずれにしても、1年を無事に暮らせるように祈り、暮らせることを感謝することでしょう。


今日は何の日!!-1月14日ー

2006年01月14日 09時13分33秒 | 今日は、何の日

昭和30年(1955年)国際地球観測年を期して日本が初めて南極観測に参加することが決定しました。
その翌年昭和31年11月に東京を出発した南極観測船「宗谷」には、北海道各地から集められた樺太犬が乗っていました。


 お台場に保存されている「宗谷」    現在の観測船「しらせ」

昭和33年2月交替要員を乗せた「宗谷」は、再び南極大陸の昭和基地に近づきましたが、厚く大きな氷に阻まれ大陸を断念し、第一次越冬隊員だけを収容し日本に戻ることとなりました。 その時15頭の犬たちを残すことになりました。

そして一年後の昭和34年、第三次越冬隊が再び南極を訪れたとき、ヘリコプターから元気に駆け回る2頭の犬を発見したのが1月14日でした。 

それが「タロ」「ジロ」の姿でした。 無人の南極大陸で1年間、たくましく生き延びていた「タロ」と「ジロ」奇跡的な生還は、日本のみならず世界中に感動を与えました。

             稚内公園にある「南極観測樺太犬記念碑}

これが昭和58年「南極物語」として映画化され、空前のヒットとなり、一昨年の「ム-ビィ 踊る大捜査線」まで観客動員NO。1を維持していました。

その後の「タロ」は札幌の北大植物研究所で余生を送り現在北海道大学にはく製として保存されています。

一方「ジロ」は、帰国直前に病に倒れ、再び日本の土を踏むことはありませんでした。
「ジロ」東京上野の国立科学博物館にはく製として保存されています。


「アトリエ舞*展」のお知らせ

2006年01月13日 10時54分15秒 | 芸術・水彩画

絵画教室の「アトリエ舞」の生徒さんの皆さんの水彩画の展覧会が、下記の内容で行われます。 
僕は、その教室の生徒の一人ですが、真居令子先生の作品を初め皆さんの趣味としての日ごろの腕前?を披露します。

            

期間は、1月19日~1月24日までの午前10時より午後5時まで
      但し、最終日は午後4時までです。
会場は、阪急塚口駅前のサンサンタウン5階のスペースピポットギャラリーです。

今日は、「アトリエ舞*展」の宣伝でした。

お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りの上ご高覧頂けます様にお願いします。

 


ハリーポッターと三丁目の夕日

2006年01月12日 09時31分53秒 | 映画・社会

一昨日に”ハリーポッターと炎のゴブレット”、昨日は、”ALWAYS 三丁目の夕日”の映画を見てきました。
どちらも話題作ですが、全く異質の作品です。


”ハリーポッター”は英国で今でも語り伝えられている「魔法」の話ですが、映画ではCGがふんだんに使われています。 三魔法学校の対抗試合を行うというものですが、全くの非現実の世界で恐怖と痛快冒険娯楽映画です。

 
 ハリーポッター           炎のゴブレット

 

一方、”三丁目の夕日”は、昭和33年頃の日本の一般庶民の生活を描いています。
此の頃の日本人の大多数が同じような境遇で、今の日本にはない何かを感じさせました。 何も回顧的でもなく、望郷的でもなく、今、日本に欠けている”情緒”とか”人情”とか”近所の人たちと助け合って貧しくとも”明るく””助け合って”生きていく様を感動的に映し出しています。


 東京タワーがまだ出来ていません   懐かしいミゼット

東京タワーが出来上がる前で、高度成長期の前の時代の一般家庭にそろそろとテレビが入ってくる時代は、日本中がもはや戦後でないという気運が高まりましたが、一般庶民はまだまだ貧しい時代でした。

 

どちらの映画も小説や漫画でヒットしたものですが、娯楽映画と言えばそれまでですが、今の人に欠けている何かを我々観客に訴えているのではないでしょうか。
その欠けているのは何なんでしょうか? 昔の大事なものを忘れてきているように思います。