徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

日本三大湖沼と松原は・・・・・

2006年01月11日 09時01分26秒 | 独り言・社会・ニュース

日本で一番面積の大きい湖は、琵琶湖(670K㎡)・霞ヶ浦(220K㎡)・サロマ湖(150K㎡)ですが、美しい湖沼となれば、琵琶湖・十和田湖・富士五湖だそうです。

 
  霞が浦                 美保の松原

しかし、最深の湖沼は、田沢湖(423m)・支笏湖(360m)・十和田湖(327m)です。
又、透明度の高い湖沼は、支笏湖・摩周湖・野尻湖です。


  虹の松原

日本にも多彩な湖沼の姿があります。 
どの湖沼も神秘的ですが、なにも大きいだけが良いのではなく、小さくてもどこにでもある、その湖沼は、湖面の輝きや色は、絵を描きたくなる気持ちにさせられます。

海岸線を彩る松並木にも絵になりますが、日本三大松原と言われているのに、美保の松原(静岡県)・虹ノ松原(佐賀県)・気比の松原(福井県)がありますが、その他にも、風の松原(秋田県)や天の橋立も有名です。

美保の松原は7kmにも及ぶ海岸線に54000本の松林があります。風の松原には14Kmに700万本の松並木があるそうです。

一度行って見たいものです。


”えベっさん”のはしご!!!

2006年01月10日 08時58分10秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日は、西宮戎神社と尼崎戎神社の2ヶ所を周りました。
祭日と言うことも在って西宮戎は多くの人出で、境内は、動けないぐらいに込み合っていました。 昨年は、今宮戎神社にお参りに行きましたが、平日の昼間でさしたる混雑はなかったので、油断したのが間違いでした。
屋台も多く、お化け屋敷もあり参道は狭くなり、埃がもうもうとして、近年にない混雑ぶりでした。

  昨日の西宮戎

一方、尼崎戎神社は、場末の片田舎の神社という感じで屋台も少なく人出も少なく、全く対照的でした。
尼崎戎には、日本で三番目の大きさの鳥居が自慢ですが、鳥居に位負けしているようです。


尼崎戎の大鳥居



2月9日から、札幌雪まつりに行く予定の往路の”トワイライトエクスプレス”は、未だ運休しており、再開のメドが立っておらず第2志望の”北斗星1号”が取れました。 
JTBさんには、トワイライトが再開すれば取ってもらうように頼みましたが、たとえ再開しても雪という大敵がありますので、日本海側の北陸まわりより太平洋側の東北本線まわりの方(北斗星)が確実かも知れません。


   北斗星                        北斗星の路線

JR東日本の情報では、現在事故による運休の長距離列車は、「トワイライト」の他「あけぼの」「日本海」です。脱線した「いなほ」も秋田~酒田間が運休しています。
雪での運休は、奥羽本線の秋田~大館間ですが、どちらにしても、今回は「トワイライト」を諦めた方が良いのではと考えていますが・・・・・。


”えべっさん”は、関西だけ???

2006年01月09日 09時52分34秒 | 独り言・社会・ニュース

今日は、十日戎の宵戎です。
関西では、商売繁盛の神様として、十日戎は盛んですが、関東では十日戎には馴染みがありません。 戎さん自体は全国で知られていますが、十日戎は、どうやら関西が中心の行事のようです。

特に西宮戎神社は、全国の戎神社の総本山で、今宮戎も最初は、西宮戎と称していましたが、”今=新しい”と言うことで、今(西)宮戎と言う様になったそうです。

 
   吉兆の数々

この今宮戎神社は、豊臣秀頼が寄進したとされ、今の戎橋のところから参道になっていたそうです。

西宮戎神社の最大のイベントは山門から拝殿までの一番乗りを競うものですが、これは何も福男だけではなく、女性が一番になれば福女となります。 今まで女性が成ったことが無いために福男が一般化しているそうです。
どなたか勇壮果敢な女性が出てくることを願っています。


西宮戎神社の境内 赤線が走るコース


鉄道は正確が当たり前!!ーその19-

2006年01月08日 09時12分22秒 | 鉄道は正確が当たり前!!

七日正月も終わり、松の内が済み、お正月気分も抜けてきた時分ですが、豪雪や火事と悲惨な出来事が多く発生しています。 昨年の秋には、気象庁は暖冬と予想していましたが、急遽変更しました。 自然は、人間の予想を越えて中々都合の良いようには行かないようです。

 

生物が環境への適応を果たす中で独自の生き残りを見出すように、日本の鉄道も地理的条件や社会環境への適応戦略として世界に稀に見るほど正確に運行する鉄道をつくりあげてきました。

そしてその環境と仕組みは、実際に列車を動かす運転手ばかりではなく、計画担当者から個々の現場に至るまでの非常に大勢の鉄道員たち、それに乗客をも巻き込んで繰り広げられる撹乱要因との闘いの結果としてつくりあげられてきたものであった。

 

日本の鉄道は「遅れない鉄道」をつくるだけでなく、「遅れてもすぐに回復する鉄道」をつくってきました。

そこには蒸気機関車から電車への大きな転換もあったし、新幹線の出現もあり、組織の組み換えも何度かありました。
そして新たな仕組みづくりの中で鉄道の輸送力が増強されると、それによって又新たな都市化が進み、さらにそれがまた新たな輸送力の増強をし、車両も改良に改良を重ねてきたのが日本の鉄道の歴史です。


女性優先車両は明治時代にもあった!!

2006年01月07日 09時32分28秒 | 鉄道のよもやま話

女性専用車両は、明治45年(1912年)1月に中央線で運行が開始されました。
これは、短期間で解消されましたが、運営の理由は現在と同じです。 特に通学の学生が、当時は殆どが男女別学であったため、この機会を狙っての不届きな行為を問題視され男女学生を別々に分離するのが目的だったそうです。

 

 

その後、昭和22年(1974年)にも再び婦人・子供専用車が登場します。
終戦の混乱期に、女性や子供が電車に乗るのが大変な時代に利用を出来るだけ緩和するためのに運行されました。
これは、進駐軍の専用車の一部を女性・子供専用車としたが、利用率が良くなかったため、早々に打ち切られました。

さらに昭和32年(1957年)6月にも、中央線で老幼優先車が走り始めましたが、すぐに中止されました。

 

 

鉄道の専用シートと言えば、やはり代表格はシルバーシートですが、これは昭和48年(1973年)9月15日の敬老の日に合わせて、やはり中央線の快速電車に始めて設置されましたが、平成9年(1997年)シルバーシートを「優先席」と改め、対象を乳幼児やその同伴者、妊娠中の女性にまで広げてきました

 

 

今は女性専用車両として一両丸ごと女性のみの乗客を対象にしていますが、一部ではこれは、男性からも女性からも、男女平等に反するとの反発も出ています。

一方、優先座席は、あってないようなもので、老人や病気、妊娠中の女性に席を譲るのは当たり前で、このような席を作ること自体、日本の常識が疑われるのではないかとの声も挙がっています。

 

そこで平成11年(1999年)全国初の優先座席全席に拡大したのが、阪急電鉄です。この効果の程は分かりませんが、これが本来の姿ではないでしょうか?

大阪のおばちゃんの厚かましい座席取り合戦をなくしてこそ、この全席優先座席は生きてくるのではないでしょうか?


札幌雪まつりに行けるのかな!!!

2006年01月06日 09時02分03秒 | 鉄道のよもやま話

2月9日から札幌雪まつりを見に行こうと計画を立てました。 

  
今年のポスター     昨年の雪まつり     雪まつりの夜景



往路は、トワイライトエクスプレスを頼んでいます。 がこの記録的な大雪羽越本線の脱線事故の影響で北陸・信越・羽越の各線とも運休して交通網はズタズタです。
なにしろ、昨年に頼んだので、今日の状況は分かりませんでした。


まだ、トワイライトの切符は取れていませんが、この状態が続けば、例え切符が取れても行けるかどうか分かりません。

  
  「トワイライトエクスプレス」         食堂車

飛行機より高い「トワイライトエクスプレス」にしたのは、その列車の秘密にあります。
寝台列車と言えばブルートレイン。利用者が少なくなって、寝台列車は次々廃止になっていくなかで、このトワイライトは中々チケットが取れない寝台特急です。

 

大阪を正午に出発して、翌日の午前9時7分に札幌に到着します。
この魅力の一つに車窓の景色にあります。夕日の沈む頃に日本海沿岸を走ります。

この魅力のもう一つには、その豪華さにあります。フルコースを満喫する食堂車や光景を楽しむサロンカー「サロンヂュノール」が連結され、寝台車の個室にも魅力があります。

   サロンカー

 

しかし、冬のトワイライトは、雪という障害があり、チケットの入手の困難さより運休になる危険性のほうが、今は心配です。

飛行機より時間とお金がかかるというのに、旅気分を楽しむ贅沢さを満喫したいという人には、魅力が一杯で、鉄道フアンならずとも一度は乗りたい列車の一つです。

後は、チケットの入手(1ケ月前)が出来るかどうかと、雪がこれ以上振らないことと羽越本線の再開を望むだけです。


今日から”寒の入り”

2006年01月05日 09時12分54秒 | 芸術・水彩画

今日は、二十四節気の一つの小寒です。
今日から立春の前日の節分までの約一ヶ月間が”寒中”あるいは”寒の内”で一年で一番寒い時期です。
そこで愚作を一句

 

   ”初東風を まだかまだかの 寒の入り”

 

東風(こち)は、日の昇るほうから吹く風で、初東風は、新年に始めて吹く暖かい、希望に満ちた風という意味があります。 俳句では冬の季語です。
早く東風が吹いて欲しいと待っていると今はまだ寒の入りだったというつもりで詠みましたが・・・・・

 

今年は、殊の外寒さが厳しく思いますが、実際に平年気温より低い日が多いです。
昔は、もっと寒かったと思いますが、東北・北陸地方の雪は、観測史上初だそうです。

寒の内に雪が沢山降れば豊作といいますが、寒中にはその年の天候や作物の実りを言い当てることわざが多くあります。 
昔の人は、”禍 転じて 福 となす”を信じて甘んじてこの寒さに堪えたのでしょう。

  
    清荒神山門 F10号

 


またまた、七福神

2006年01月04日 09時35分22秒 | 独り言・社会・ニュース

お正月三が日が終わりました。
七福神は、中国、インド、日本の神様の集まりでしたが、この七福神は日本各地にあります。 東京区内だけでも21の七福神めぐりがあります。

兵庫には13ヶ所大阪でも5ヶ所、京都は11ヶ所があります。 日本以外では台湾にもあります。

近畿の七福神の一つに、西国七福神(阪急沿線)があります。
萩の寺(毘沙門天)、円満寺(福禄寿)、西江寺(大黒天)、龍安寺(弁財天)、中山寺(寿老人)、清荒神(布袋尊)、呉服神社(恵比寿)。

大阪の七福神の一つには、
今宮戎(恵比寿)、大国主神社(大黒天)、大乗坊(毘沙門天)、法案寺(弁財天)、長久寺(福禄寿)、四天王寺(布袋尊)、三光神社(寿老人)。

まだまだ各地方、町にもありますが、関心のある方は、場所を調べて下さい。

 

七福神の由来の一つに「竹林の七賢人」があります。


これは、中国、魏の時代末期に山陽(現 江蘇)省准安県の竹林で酒を酌み交わしながら清談を行ったと伝えられる七人の自由人を称して言われています。

この時代には、中国は、老壮思想(道家の大家の老子と荘子)に基づき、俗世から超越した談論を行うことが流行してそうです。


現在の中国にも、もっと自由に話し合える気風が欲しいものです。


七福神はどうして生まれたのでしょう。

2006年01月03日 09時35分14秒 | 独り言・社会・ニュース

昨晩に良い初夢を見られたでしょうか?
ちなみに僕は何も見ませんでした。 見られた時が初夢でしょう。

 

「七」と言う数字も縁起が良いようです。 「七草かゆ」とか「七福神」、「ラーキーセブン」野球の本場のアメリカでも「七」が良いようです。

その「七福神」はどうして生まれたのでしょう?

福の神を信仰するのは、室町時代からあったそうですが、その時分は、恵比寿、大黒の二神を祀ることから始まりました。 そこに他の神が加わって室町時代の終わりには「七福神」が出来上がったようです。

「七」というのは、仏教で神聖な数で「七難即滅、七福即生」という有難いお言葉だそうです。

しかし、その神様の出身は、日本、中国、インドと国際的で、宗教で言うと、神道、仏教、道教がいっしょくたになったものです。

 

七人の神様は、恵比寿、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、吉祥天ですが、大黒天、弁財天、吉祥天、毘沙門天、はインドの神様、布袋尊、福禄寿は中国の神様、恵比寿様は、遠い海のかなたの民族を表す日本の神様です。

この恵比寿様は、農村ではかまど神の信仰で豊作を表し漁村では、大漁の神様イザナギノミコトの3番目の子供だそうです。


初夢は何時みる夢!!!

2006年01月02日 09時28分34秒 | 独り言・社会・ニュース

やっぱり日本人は「三」が好きなようです。
お正月も「三が日」、目出度い踊りは「三番叟」そして縁起を担いだ初夢は「一富士」「二鷹」「三なすび」の三つだそうです。

  

 
   三番叟                 一富士二鷹三なすび

「一富士」は「無事「二鷹」は「高く」、そして「三なすび」は「事を成す」という縁起を担いだ語呂合わせです。

そして縁起によい初夢を見るために色々と工夫されました。 室町時代から枕の下に「七福神の乗った宝船」の絵をひいて寝たそうです。
江戸期に入り、宝船の絵や歌を描いたものを売り歩いていたそうです。

 

歌は「長き世の とおの寝ふりの 皆目覚め 波乗り船の 音のよきかなと言うものですが、これをひらがなで書くと
「なかきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな」となり、後ろから読んでも前から読んでも同じとなります。

では、初夢は、何時見る夢なのでしょうか?

昔から色々な説があります。
中世では、節分の夜から立春の明け方まででしたが、江戸期に入り除夜の夢をいうようになりましたが、年越しの夜は寝ない習慣が出来てからは、元日の夜に見る夢となりました。
しかし、それが二日の夜に見る夢となったのが、明治になってからと言われています。

今晩には、素敵な夢をみて、今年一年も無事に過ごせますように願いましょう。