極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ランタナと大道無門

2009年12月19日 | 神道物語



一面の 白いランタナ 敷き詰めた 丘をゆっくり きみは登りゆく



【新政権短評:高速道路無料化】



フェリー海運業者が高速道路無料化の署名を集めている報道
が流れていた。ブログでも再三掲載してきたが、(1)道路
建設の一括的要請速度が低下しているなか、高速、低速で道
路を分け隔てする税制及びそこで発生する既得権益構造の見
直しは必然(2)産業の物流コスト逓減、消費活動の自由度
の逓増は成長戦略の肝(3)ディーゼルエンジン及びガソリ
ン車の排気などの<国民益>と<地球益>対策経費として環境税
への全面切り替え(4)競争力の劣るフェリー海運業界等の
対応は障害緩和費で(5)局所地域で発生する“交通渋滞”
は個別対応(一部では有料化対応案が浮上しているが、当該
自治体の自由裁量とし調整)。成長戦略『双頭の狗鷲』の道
路政策は、“すべての道は世界に通ずる”「大道無門」を旨
とするというのが国民の<核心>だというのがわたし(たち)
の確信なのだ ^^;。




【のだめカンタービレ】



終始笑い放しだ(迷惑だったかな)。コミカル、大仰で、シ
ュールな演技。大胆なアニメションの挿入、意欲的で絶妙な
特殊撮影と視覚効果技術を折り合わせフォルテピアノ、ピア
ノフォルテをてんこ盛りにし、時折、グラシアでマエストー
ソに進行していく。日本の劇画(アニメ)は映画の絵コンテ
として欠かせない程、成熟し世界をリードしている。これは
実感。二ノ宮知子の筆力に脱帽だ。

Tchaikovsky, 1812 Overture (Finale)                                                                         






【文化の深層:正月の聖霊の訪ひとはなにか

 

正月とは、文化的に旧年が無事に終わった事と新年を祝う行
事である。正月行事を行ったり正月料理を食べて、盛大に祝
う。旧暦(日本では天保暦)の立春前後、グレゴリオ暦(新
暦)での2月頃は旧正月と呼ばれ、中国、韓国、台湾、ベト
ナムでは、新暦の正月よりも旧正月の方が重視され、お年玉
もこの日に渡される。中国では「春節」「過年」「農暦新年」
といい、ベトナムでは「テト」といわれる。テトとは「節」
という漢字のベトナム語読みに相当する。



正月は日本人の文化的宗数的心意が、その本質が一番濃厚に
現れる月で、
歳神迎えするために家中大掃除をし、正月飾り
が作られる。松迎えといって、年末27日前後に年神の
依代
ある門松や飾り松を北の方角から山から迎えてくる
門松は
神の宿る依り代であり、常緑樹であれば榊でも栗でも楢でも
使われた
。佐藤幸治は門松について、門松の習慣こそ、正月
の祖霊供養側面を持っていたとする。すなわち、日本人は死
んだのちに山中他界へ出向くと信じられ、山の象徴である常
緑樹を正月に飾ると祖霊となった山の神が訪問しやすいと考
え、松飾り、注連飾りは暮れの24、25日頃から注連縄ないが
始まり、大晦日で終らせる。暮れの27日から30日までに鏡餅
を搗き(29日はクンモチといってこれを嫌い、また31日に搗
くことを避ける)、これを神棚に供え、おせち料理を準備し、
 
1・・・天照皇大神宮
2・・・氏神神社神札
3・・・崇敬神社神札


一家や地域の人々が神を迎えるための潔斎忌み籠りに入る。
大晦日の夜には全国的に新しい火を焚く習慣があり、正月は
元日の朝に始まるのではなく、大晦日の夜に始まると言うこ
とが出来る。暮れの31日をトシトリ(年取り)、トシヤ(年
夜)、オオドシ(大年)と呼び、年取りの膳につく。かって
は年取りの夜の宮参力、宮龍りはごく自然な風景であった。
また、地域によっては、昔から菩提寺の先祖墓にまず新年の
挨拶をするという伝統を保っているところもある。昔は「年
を取る」どいう意味も、現在のような個々人がそれぞれの誕
生日に年齢を加えるという満年齢とは連った感覚であり、正
月には同一地域に住む同年者たちが一斉に年を取るといった
数え年の感覚(同齢感覚)があって、家人や隣人とが相互に
繋がりを持ちながら共に変化を続けるという意識がその根底
にはあった。



オツイタチ(元旦)には若水汲み水垢離、初火、宮参り(
初参り、若宮参り)、歯固め、雑煮餅、年始回りと一連の行
事が続く。宮参りから帰ってくると、歯を丈夫にし健康増進
と長寿の願いを込めて正月棚に供えてあるイナダキ(干し柿、
栗など)を一ロずつ食べて歯固めをする(正月三が日に鏡餅、
栗、豆などを食べる行事)。これら年末年始の儀礼を含んで
「正月」に行う様々な儀礼が意味するものは強いて言えば「
神と人との関係性の更新、強化」であり、私たちが知って知
らずに犯した様々な罪、穢れを綺麗に清めて、或いは氏神さ
まのもとで忌み籠り慎み、心身ともに清浄潔白な状態となっ
て、地域住民や一族一家の幸せの元である「年神(歳徳神、
正月様)」をお迎えし、真心込めて饗応する儀式だとされる。



民俗学者小野重朗によれば、正月と盆とは半年を間に置いて
対応して、互いに良く似た共通した要素が見られるが、正月
には年棚を作って供え物をするのに対して、盆は精霊棚を設
けて供え物をする。また正月には門松迎えやトンドや鬼火と
いった火祭りがあるのに対して、盆には盆花とりがあり、迎
え火、送り火、柱松といった火焚き行事があるといった具合
いだが、正月は、季節転換、農耕予祝、祖霊の祭りと総合的
機能的性格を持つが、盆は祖霊・精霊祭の単一機能的性格で
異なるとする。大晦日の夜に訪れる例や、六日年、七日正月
に訪れる神たちの例が国の南の端にあるだけでなく、能登半
島にもみられ、それらはみな怖ろしい姿をして訪れ、それで
一家の主人が襟を正し羽織袴の正装で家ごとに酒食を用意し
て迎え来訪神を殊の外丁重にもてなし、その家族はまるで一
時も早く嵐が過ぎ去るのをただ何事も無く来訪神が帰りいた
だくことを願い、その家族や地域に新しい年一年間の幸せと
豊穣が約束されるとする儀礼を紹介。

エミール・デュルケーム(Émile Durkheim) Émile Durkheim

これは、E・デュルケムの儀礼論(消極的儀礼・積極的儀礼
)は聖なるものは超自然的な恐るべき力を有し
、そのため普
段の時は不用意に近付くと危険な聖との接触を禁じていると
いう。聖にも俗にも様々なタブーがあり、聖と俗の不用意な
接触や混交を戒め、きちんと分離されるという点に消極的儀
礼の本旨があり、聖なるものの持つマナ的な力に預かるには、
神社に籠もり、水垢離をとったり、火や塩で清めたりして、
俗界の埃を払拭し、穢れを祓い清めた後に接触する事すると
いう。正月儀礼を見直せば「古事記」の伊邪那岐命は妻に逢
いたい一心で黄泉の国を侵犯し伊邪那美命と接触したばかり
か見るなのタブーを犯したため悪霊邪鬼に襲われ危機な目に
遭い、逃げ帰って黄泉比良坂に千引石を引き塞いだ後、筑紫
の日向の橘の小戸の阿波岐原で身に受けた穢れを必死に禊ぎ
祓いて清浄の極みに達した時、天照大御神以下いわゆる三貴
子の誕生をみた。



即ち、元の
世界秩序が回復し、伊邪那岐命はそれまで以上に
世界をより活性化させ、新しく世界を創造する力を得たとす
る「復活劇」が、正月に訪れる神は私たちに聖なる力、即ち
一年間の新しい生命の息吹(年魂)を授けるためにやってく
るが普段は私たちが絶対に接触してはならない恐るべきマナ
力を持ったものであり、新しく迎えた年の聖なる幸せ(豊
穣)と活性化(健康・繁栄)を約束する新しい生命(年魂)
を賜ったので、元日の朝はものみな新しく心身ともに清めら
れた新鮮な感じがし、世界のすべてが瑞々しい生命の躍動に
満たされていることを感じ、祖霊も共に新年を寿ぎ、喜びを
分かち合うと考えると、遠い昔から今に至るまで『古事記』
神話に語られている神的秩序世界の再現を長い歳月、繰り返
しているのだと解説する(渡辺勝義『日本神道の秘儀』)。



ところで、E・デュルケムは(1)消極的儀礼(タブー)積
極的儀礼の二類型を提示している。消極的礼とは「何々して
はならない」という否定的禁止を中心とした、聖と俗との分
離を重視した儀礼のことであり、これにも(イ)聖からの分
離、すなわちうっかり近付くと危険な聖との接触を禁止する
ものと、(ロ)俗に対する禁止、つまり聖との結合を前提と
しての俗との接触を禁止するものとの二種がある。それに対
し、積極的儀礼は、積極的に聖と俗の結合を図ろうとする儀
礼であり、俗なるものが聖なるものに接触して自ら聖化され
ることを意図した儀礼である。E・デュルケムはこの代表的
なものとして供犠を挙げている。
供犠は神に供物を捧げる奉
献と、その供物を神からのお下がりものとして皆が共に分け
合って食べる共餐の二つの契機から成り
、それによって聖な
る幸せに預かるとするもので、
神と人、また共同体成員同士
間に血の絆が生まれ社会的連帯
が生まれるが、これは双方両
義礼を兼ね備えた、つまり、それがお正月だと解説する。



Lantana.jpg

ランタナ(Lantana、学名:Lantana camara)はクマツヅラ科の
常緑小低木。中南米原産。観賞用に栽培される。和名はシチ
ヘンゲ(七変化)。赤、橙、黄、白など鮮やかな色の花をつ
け、また花の色が次第に変化することに由来する。多数の小
花からなる散形花序をつける。開花後、時間がたつと次第に
花色が変わるため、同一花序でも外側と内側では花色が異な
る(内側が新しい)。果実は黒い液果で有毒といわれるが、
鳥が食べ種子を散布する(種子を噛み砕く可能性の強い哺乳
類には有毒だが鳥類には無毒という液果をもつ植物は多い)。
暖地では戸外でもよく育ち高さ1.5mほどになる。



疲れが蓄積して悲鳴を上げているが、老々介護の時代やね。
母の不在にゆっくり休んで下さいよと自己中なイメージトレ
ニングで慰めている自分を幽体分離した絵を描き歌う。ラン
タナ属は中南米や南欧原産の約150種の低木または多年草を
含む。花には多くのチョウが集まり、見応えがある。ランタ
ナの他に、小型で地面を這い赤、紫などの花をつけるコバノ
ランタナ(Lantana montevidensis)、あるいはこれらの雑種が
ある。熱帯アメリカ原産の「ランタナ」。花言葉は「厳格」。


                             
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