極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

葦と北嵯峨野路

2009年12月04日 | 国内外旅行


小雨やみ 日差し入り撮る 紅葉路 これは最後と 葦原に散る




地図の説明 



朝八時だと国道八号線は混んでいるので七時には出
たいところ。一路京都東インターへ。そこから三条
にでて北嵯峨に入る。直指庵の山辺の細い道なので
走行には細心の注意がいる。


夕ぐれを花にかくるる子狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘

                   与謝野晶子

 山門

竹林の中にある小さな庵の寺で、駐車料金は三百円
だというが朝早く出かけたため徴収されなかった。
この臨済禅を学んだ独照禅師が正保3 (1646)年に草
庵を結んだのが始まりである。独照禅師が明の国の
高僧
隠元禅師に黄檗禅を学び、隠元をここに請じて
から大寺院となった。しかし、その後しだいに衰退、
独照の墓堂だけになったが、幕末の頃、近衛家の老
女津崎村岡局が浄土宗の寺として再興した。現在の
建物は、焼失後の明治32年、北嵯峨の有志によって
建てられたとされる。



山門をくぐると小さな庭園だが竹林と紅葉の本道庵
への通路が余りに見事なので彼女を立てデジカメで
1枚を撮影。朝露がしっとりと降りた紅葉に竹林の
隙間から彼女の頭上に柔らかな日差しが降り注ぐ。
これはもう二度と取れない幸運な秀景だと思った。




生死事大、光陰惜しむ可し、無常迅速、時人を待たず

                  「
禅語一覧

 黄檗宗

独照性円は、元和二年(1616)近江に生まれ、幼く
して父を失い、寛永四年(1627)但馬出石の吉祥寺
に禅の修業をはじめ、寛永十一年(1634)から諸方
を行脚して泉堺の祥雲寺の沢庵宗彰に学び、さらに
一絲文守に参禅した。承唐三年(1654)七月に明国
の高僧隠元隆埼が長崎に渡来。隠元の教えを受け、
翌年は普門寺に隠元の禅行に従い、万治二年(1659)
の春には、隠元を嵯餓の没蹤庵に迎えて十余日間の
滞留を願った。独照に帰依する人たちはこれを喜ん
で堂舎の建立に協力するものもあり、小庵も次第に
寺観を整えたが、隠元は、この地が
大覚寺領である
ことを配慮して黄檗の本山とすることをやめ、後水
尾法皇の配慮で、幡枝の離宮(後の円通寺)に滞留
し、夏の末、四代将軍家綱から宇治大和田の地を寄
せられて、そこに万福寺を創立して隣接の中和門院
(後水尾法皇の母后)御所を賜い、隠元自らの住院
(いまの万福寺開山堂)としたという。

 

その後、寛文十年(1670)冬のなかばの夕暮れ前に、
独照は直指庵に坐して枯松の枝が地に落ちるのを見
て大悟し、庵がすでに大寺院になっているにもかか
わらず、寺号をさけて、
直指人心の旨を守って「直
指庵」と号し
、そこで竹岩道貞、月潭道澄の育成に
つとめた。貞享三年(1686)竹岩の創立した摂津の
正楽寺の開山に仰がれ、直指庵は月潭が二世として
住した。元禄七年(1694)五月、独照は老病の日に
加わるを知り、飲食を減じ、八月十七日の朝、泳浴
して「われ今日行かん」と門人帰依者前で、遺偈を
記して瞑目絶息、七十八才の生涯を閉じたという。





窓近き竹の林は朝夕に 心をみがく種とこそなれ  
津崎村岡 


また、従四位津崎村岡は、天明六年(1786)に嵯峨
大覚寺宮の家来、津崎左京の娘として生まれた矩子
は、寛政十年(1798)に近衛家の侍女して仕えた。
十三才の矩子が、大覚寺の塀のそばで子守り娘に小
倉百人一首を教えているのを、近衛家の老女小牧が
見かけて、侍女として推挙したということである。
矩子の兄は、大覚寺宮の諸太夫津崎筑前守元矩であ
る。矩子は近衛家では村岡と呼ばれ、後には老女の
地位に昇った。嘉永六年(1853)の米艦来航以来、
国内は混乱におちいり、安政五年(1858)四月に井
伊直弼が大老になって外国との条約調印したが、左
大臣近衛忠煕を動かし、水戸の徳川斉昭らに攘夷の
密勅を降されるようにしようと、梅田源次郎(雲浜)、
頼三樹三郎らが、老女村岡にはたらきかけた。村岡
は忠煕と志士との意士の疏通のために努力し、つい
に八月八日の密勅降下が実現するが翌、安政六年に
は幕府の弾圧が殊に厳しくなり、鷹司、近衛、三条
公らに髪を剃らせて謹慎させ、斉昭には蟄居、梅田
は江戸で獄死、頼らは刑死、村岡も江戸におくられ
て投獄された。村岡は、かつて島津斉彬の養女篤姫
が十三代将軍家定の室して江戸へ向った時、その養
母となって江戸城に行き、将軍や諸大名の面前で七
汁二十二菜の馳走をたいらげ、願いものを何なりと
与えよう、との将軍の言葉に対し「わが主家近衛家
の柱臣一名を将軍家の側におかれたい」と述べて一
同を驚嘆させた時に頂戴した三つ葉葵の紋を散らし
た打掛を着て、評定所の白砂に坐ったので、安政の
大獄の苛酷になれた奉行も村岡の扱いに困惑した。



村岡の七十四才の時であった。禁固三十日に処され
永謹慎を云いわたされた村岡は嵯峨に帰り、直指庵
に入って近衛家代々の冥福を祈りながら、風月を友
と七里の人たちの教養につとめた。長州の野村望束
尼が訪れた時は、望束尼と庵室の障子をへだてて数
言をかわして、望東尼が幕吏に疑われることを避け
るように配慮した。老女村岡は、明治天皇から年々
二十石を下賜され、明治六年(1873)八月二十三日
八十八才で直指庵に寂した。明治二十四年(1891)
十二月に明治天皇から従四位を贈られた。生前無位
の女性に対する死後の贈位は従四位が最高であった
とされる。



神社仏閣の修景庭園として、こじんまりとして周囲
の環境とうまく溶け込んおり、良い印象をもった。
もう少しいうと、日本のそれは余りにも風化紊乱と
し、もとまりのないものが多く見受けられる。手入
れは大切な1つだが、敢えて鵺(ヌエ)的な趣向設
計なら別だが、設計及び保全思想が大切で、リピー
タの多寡に直結する。お金がないとすぐにそんな話
しになるが、そこは「自分の奥底に秘在する心を凝
視して、本当の自分、仏心、仏性を直接端的にしっ
かり把握する」「自分の奥底に存在する仏心仏性に
なり切って、真実の人間になる」という意味をどの
ように咀嚼し具現化するかということになる。


    直指人心、見性成仏  「
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 京野菜と黒ごま豆腐カレーライス

11時過ぎ、それから昼食をとりに、嵐山の渡月橋の
Cafe de Salan」で京野菜カレーを頂く。近くの地元
の畑で採れた新鮮な京野菜と自家製カレールー。カ
フェドサランの黒ごまと豆腐をトッピング。日替わ
り和スイーツとホット抹茶(甘味)だが、いろいろ
と種類があったが当たりが良いのか、ことのほか美
味い。特に、かぶらの甘酢漬けだと思うがこの甘味
が、このカレーのコアとなり新鮮な出会いとなった
(感謝)。食後は、法輪寺にお参りし京都南インタ
ーから帰宅路をとり、「もう二度とこれないだろう
とふたりで話し合いながら、2時ごろ到着した。

 Horinji Kyoto.jpg





ヨシまたはアシ(葦、芦、蘆、葭)は、温帯から熱
帯にかけての湿地帯に分布する背の高いイネ科の草。
「ヨシ」という名は「アシ」が「悪し」に通じるの
を忌んで(忌み言葉)、逆の意味の「良し」と言い
替えたのが定着したもの。関東では「アシ」、関西
では「ヨシ」が一般的。一般的にはヨシ属に属する
唯一の種。まっすぐに伸びる茎は木化し、竹ほどで
はないが活用でき、古くから様々な形で利用される。

日本では稲刈りの後に「芦刈(あしかり)」が行わ
れ、各地の風物詩となっていた。特に芦の茎で作っ
たすだれは葦簀(よしず)と呼ぶ。茅葺民家の葺き
替えに現在でも使われている。日本神話ではヒルコ
が葦舟で流される。最近では、葦舟の製作も市民活
動として行われている。



芦の茎は竹同様に中空なので、笛として加工するに
もよく、芦笛というのがある。西洋のパンフルート
は、長さの異なる芦笛を並べたものである。ギリシ
ャ神話においては、妖精シュリンクスが牧神パンに
追われて芦に身を変えたところ、風を受けて音がな
ったため牧神パンによって笛に変えられたという。
古代中国のおける楽器、簫(しょう)も同じ系統で
クラリネットやサクソフォン、篳篥を始めとした木
管楽器のリードとして活用される。



ブレーズ・パスカルの「人間は考える葦」(roseau
pensant
)は有名。ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの
寓話「オークと葦」(Le chêne et le roseau)では傲慢
なオークが倒れてしまったのに対し、倒れないよう
に自ら折れて風雨を凌いだ葦の姿が描か
、古事記の
天地のはじめに、最初の二柱の神が生まれる様子を
「葦牙のごと萌えあがる物に因りて」と書き表した。
葦牙とは、葦の芽のことをいう。その二柱の神がつ
くった島々は「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国」
といわれた。江戸幕府の命で遊郭が一か所に集めら
れた場所もアシの茂る湿地だったため葭原(よしは
ら)と名づけられ、後に縁起を担いで吉原と改めら
れたいう。


海原のゆたけき見つつ 蘆が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ

                      大伴家持


万葉集では、蘆、葦、安之、阿之という書き方で50
首におよび詠まれている。和歌において様々な異名
が用いられるのも特徴で、ハマオギ、ヒムログサ、
タマエグサ、ナニワグサといった別名が使われる。
北嵯峨のドライブという手段の可否は別として、こ
こでの綺麗な紅葉もこれでお仕舞いだねという切な
い思いとして葦の原を此岸の喩にして詠う。生花に
使う野生の「アシ」。花言葉は「希望」。


コメント
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