【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】
1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン
【経路依存性】
技術進歩と経済学のアプローチ
ここでは、二つめの経路依存性についてだけ記載する。
それは、前述のの言葉のもつ歴史的経済的な意味合いについてだが、連想する言葉として浮かぶのは、
忌避、停滞、迷信、呪縛、疎外、保守、保身、逃避、閉鎖などであり、という言葉を身近な仕事、労働、
生活という側面から見つけ出すと、安定、定型、固定、制度、循環、無謬、平穏、無事、伝統、文化、
歴史、帰還、制御、堅牢などだ。経済学的用語としては、すでに記載した通りに、歴史的な経路により
現在が制約を受け、将来もその影響を受けることで、ホンダやソニーがイノべーティブな価値を追求す
る、あるいはトヨタがコスト効率を重視する、という大企業の社風イメージなども経路依存性に含まれ
る。このように組織文化はそう簡単には変わらず、組織の中に、長い歳月をかけて行動や思考を規定す
る有形無形の仕掛けが相互補完的に機能していることを意味する。多くの組織が手掛ける新規事業や新
規ビジョン・制度の制定などの新しい試みも影響を受ける。例えば、戦後の米国占領軍であるGHQが、
それまでの日本の政治経済のシステムを廃棄・見直し、財閥の解体、持株会社の禁止、農地解放など遂
行したものの、法的なシステムを変えても、広い意味での制度にはそれまでの経路依存性が温存する(
憲法大幅改訂したが、刑法・民法などの諸法律の部分に戦前・戦中ののまま残された)。それは国家官
僚システム(中央集権と翼賛型の行政)や文化として温存・継続を果たす。ヤミ残業、カラ出張、職務
特殊手当の乱発としての所謂、"役人天国"が自己増殖し、社会・経済の停滞とタブーの温床となってき
たことは周知の通りであり、何らかのパラダイムシフトを必要とする状況下にあるだが、経路依存性は
必ずしも否定的な側面から評価されるものではなく、肯定的側面の両面をもつものでもあり、開発学(
国際開発論)での経済史や社会史、地域史などの観点から歴史的アプローチ(歴史的経路依存性)から
学ぶことも重要な戦略とされる。
こういった中で、例えば、"失われた20年(Lost Score)"というわれる状況-格差拡大に歯止めが効か
ず多くの勤労国民が生活苦や精神的な息苦しさを感じている現状を変革していくための行動要綱として、
前述した「自分のたずさわっている領域で感じていることをできるだけ広げようとすること、それも実
感から離れないで広げていくことです」との吉本の言葉を咀嚼し、ミクロな場(職域・家庭・地域)で、
マクロな場(社会的な直接行動)での社会的アプローチで実践することが、かけ声だけに終わらせない
アプローチだということを、勿論、社会的アプローチだけでなく、歴史的、経済学的、科学技術的アプ
ローチも含め、ここで再確認しておこう。
【エコノミック・レジリエンスの事例研究】
藤井聡、久米功一、松永明、中野剛志らの『経済の強靭性(Economic Resilience)に関する研究の展
望』で。世界的な経済危機や未曾有の大震災によって、様々な分野で脆弱性が露呈する中で、外的ショ
ックを回避、被害を最小化し、迅速に回復できる社会経済基盤の構築が強く望まれている。この危機時
の耐性と急回復する力を「レジリエンス(Resilience)」に関する研究を広く概観した上で、経済分野
におけるレジリエンス研究の今後の方向性を示すことを目的として、心理学、防災工学、経済学(開発
経済、地域経済、マクロ経済、産業連関分析)におけるレジリエンスの定義や尺度、いくつかの実証分
析を取り上げ、経済・産業政策への応用、産業界の取り組みを紹介した後、2008 年秋の経済危機後のマ
クロ経済のレジリエンスに関する試論を、最後に、レジリエンス研究の意義を、他分野のレジリエンス
概念を経済分野に取り入れた場合のレジリエンス研究の可能性を提示しており、計量経済学-複雑系経
済学-進化経済学の領域においても-自分のたずさわっている領域で感じていることをできるだけ広げ
ようとすること-の実践がなされている。つまり、Bristow (2010)が、競争力(competitiveness)とレ
ジリエンスの関係について、文化的政治経済アプローチ(cultural political economy)で論じている
ことを紹介し、レジリエンスの概念は、地域開発で極めて重要であるが、競争力を重視する立場から消
極的に評価されてきた。レジリエンスとは、社会的に包摂され、環境の許容範囲で活動し、グローバル
な経済にも対応しうる地域の能力のことである。Clark, Huang and Walsh (2009)は、イノベーション
と地域レジリエンスの関係を分析した結果、大企業による支配は高いイノベーション率をもたらすとし
ても、地域レジリエンスを損ねるおそれがあり、小さな企業のイノベーションを支援することはエコロ
ジカルな面でよりレジリエントであると論じていること、レジリエンスは、持続可能性、地域化(loca-
lization)、多様化に由来する概念であること、地域政策において大事なことは、場所(Place)であり
良くも悪くも経路依存性を持っているが(Bristow (2010))、ゆえにレジリエンスのために競争は大事
であるが、場所なき競争(globally mobile)はレジリエンスを脅かす。Hudson (2010)は、近年の新自
由主義的な地域開発はレジリエンスを侵食して、脆弱な地域を創出してしまったと論じていると、注目
に値する指摘を行っている。 また、一人当たりGDP を「脆弱性」及び「レジリエンス」に回帰させ、
以下の数式が成立し、図7の関係を確かめていることにも注目した。
※ 2008年の経済危機の分析におけるレジリエンスの応用
【レジリエンス要因】
経済開放度:(1)輸出入対GDP 比、(2)輸出額変化(97→07)
戦略物資の輸入依存度:(3)燃料純輸出対GDP 比、(4)食料純輸出対GDP 比、(5)エネルギー自給率
工業製品の輸出依存度:(6)製品純輸出対GDP 比
マクロ経済の安定性:(7)物価上昇率(97→07)、(8)GDP デフレーター、(9)政府支出対GDP 比、
社会発展性:(10)人間開発指数:HDI、(11)対人信頼度TRUST、(12)市民の規範の度合CIVIC、
(13)公的固定資本形成対GDP 比、(14)金融深化、(15)実質GDP の変化率(97→07)
あくまでも、経済学の研究領域からの外延の成果として高く評価しえても結果がすべてという、実社会
の側面からの評価との整合性が前提になる(被験者の実感との合致などのフィードバックの不可欠性)。
※ サブプライム問題、リーマンショックを内省する時、用いられたデジタル金融工学が吉本隆明の言
う「権力へ転化する過程」に対する見識の有無がその好例となるだろう。
【複雑系と経路依存性】
複雑系経済学の歴史
市場経済の進歩・発展を駆動するものが競争にあることは、ほとんどすべての経済学者が一致して認め
るが、市場経済における競争がいかなる場所でいかなる具合になされるかについて、新古典派と複雑系
経済学とでは、大きな見解の隔たりがある。その原因は、新古典派経済学が「価格理論」とほぼ同じ範
疇に存在しているため、競争に関する理論的な説明は、ほぼ価格競争として説明される。完全競争、純
粋競争といった概念が価格を軸としていため、これが競争の実態を大きくゆがめていると指摘されてい
るという。塩沢由典(『複雑系経済学の現在』)によれば、新古典派理論の競争概念をゆがめているの
は、需給均衡という考え方にあり、より正確には、価格を独立変数とする需要と供給とが定義され、そ
れらが一致する価格体系に市場が帰着するという一般均衡理論の枠組みが成立した古典派や新古典派の
初期にその根拠があるという。経済の調整変数として、ひとびとの目に見えていたもの(=信用)は価
格のみであったとし、数量的な調整は、部分的にできたとしても、その全体的な変動を推定することの
困難性があった。そこで目に見える調整過程として、価格による調整に焦点が絞られ上に、さらに、需
給均衡の枠組みが「企業は市場で自社製品を売りたいだけ売っている」(行動に関する最大化原理と状
況の選択原理としての均衡概念)という前提により現実から遊離する。この反省に立ち、「複雑な状況
の中での行動」を主題とし、均衡分析に代わる過程分析という枠組みで経済学のすべてを、複雑系経済
学は再構成し、均衡の枠組みには理論として組み込めないの状況(収穫逓増、定型行動、追随的調整、
経路依存など)を包括する。
さらに、複雑系経済学は、基本的には時間の流れの中で諸変数の変化を追跡する分析であり、新古典派のよ
うに「売りたいだけ売っている」という前提は不要として退け、反対に、近代的企業の生産の増大を制約している
主要な要因は、市場における需要の制約にあると考え、ケインズ経済学の根底に置かれるべき考えだったとす
る。つまり、ケインズの一般理論は、限界理論の2公準を軸としているが、有効需要の原理とうまく整合
せず、第2公準を否定することから始まり、ケインズ経済学をミクロ的に基礎付ける試みが長くなされ
てきたが、企業が直面している状況をただしく定義できなかった。生産量と利潤を増大させようとする
企業の主要な制約が製品の売れ行きにあり、需給均衡という枠組みは、その定式においてこの状況を排
除する。したがって、マクロ経済学のミクロ的基礎付けには、基礎的なミクロ経済学の枠組みを変える
必要であり(また、新古典派理論に基づきマクロ経済学を再構成しようとしても、理論の構造として不
可能)、ケインズ経済学は、しばしば、価格が固定的であるとの前提にたって説明され、価格調整がつ
ねに瞬時になされる世界では有効需要の原理は意義をもたない。製品価格を下げようと、原価をまかな
える範囲では、その値下げ幅は大きなものでなく、原価を割らない範囲でどんな価格を付けようと、企
業はほとんどつねに需要の制約に直面し、企業レベルで捉えられた有効需要の原理である。生産容量の
変更をのぞけば、価格調節の間隔は一般に数量調節の間隔より長い。そのため、価格が固定的であるか
の印象を一部に与えているが、価格が変動する世界においても、有効需要の原理はつねに生きている。
有効需要の原理は、マクロ経済においてのみ出現するものであるかの説明もあるが、それは新古典派ミ
クロ経済学を前提としているからである。需給均衡の枠組みを離れてみれば、マクロの有効需要の原理
は、個別企業が直面している状況の統合された表現でしかないとする。
これに対し、ケインズ経済学、とりわけポスト・ケインジアンはどのような立ち位置にあるのだろうか。
例えば、サミュエルソンなどがリードした新古典派総合も加わるであろうし、実際かれらは自分たちを
ケインジアンと思っている。では何が真のポスト・ケインジアンと「バスタード(まがいもの)」を区
別する点なのか?
まず、(1)経済の全体的な枠組みを完全雇用を前提に対し、ケインズとポスト・ケインジアンは、非
自発的失業は資本制経済ではふつうに起こりうるとし、経済の活動水準を決める要因は将来が不確実な
下での企業の投資決意、投機筋の「強気」や「弱気」、企業の財務構成、中央銀行の金融政策など、き
わめて多面的で有機的と考える。つぎに(2)教科書的な貨幣供給の外生性と流動性選好理論を中心と
する貨幣需要の組合せに代わるものとして、金融動機を介在させた景気と貨幣供給の内生性の関係が議
論され、企業の投資と財務構造の変化をヘッジ、スペキュレイティヴ、ポンチの三段階で説明し、景気
との関連を検討するケインズ的ミンスキー理論もある。(3)ケインズ自身はレッセ・フェールが失業
を解決できない原因を主に貨幣的側面に見たが分配や産業間の技術関係など、もっと実物的観点から社
会的・構造的問題に取り組んだスラッフィアン、オリカーディアン-スラッフィアンの多部門生産理論
の特徴は線型の生産構造にある。『一般理論』出版から70年以上経た今日、正統派からは無視された感
すらあったケインズは、今回の金融恐慌で図らずも完全復活しているとされるが、複雑系経済学(ある
いは進化経済学)と相互浸潤(なんともレーニンばりの表現だが、多分に現代的なデジタル物理学の反
映をもつて)な状態下にあるかのようだが、経済システム特性として複雑系の前提を箇条書きすれば、
以下の三つのシステムの時間変化・連結・構成個体の生存に関する条件が組み込まれつつあるとでも表
現できようか。
(1)時間特性 経済の状況は、ゆらぎのある定常過程としてある(ゆらぎ)。
(2)連結特性 経済の諸変数は、緩く連結されている(ゆるみ)。
(3)個体特性 経済の個体(主体)は、生存のゆとりを持っている(ゆとり)。
以上のようなことを踏まえ、経済過程がもつさまざまな特質を組み込み、経済学の諸問題に有益な示唆
を与えるような分析方法が求められているが、定型行動のレパートリーをもち、ミクロ・マクロ・ルー
プの存在に矛盾しない分析ツールとしてエージェント・ベースのモデル分析が該当すると塩沢由典は紹
介しその理由を次のように挙げる。
この項つづく
明日で吉本隆明の一周忌を迎える。帰郷や東京出張には本屋に立ち寄り、吉本の本を買い求めたころを
懐かしく思い出している。いろんな思いは尽きないが、その偉業は伊藤仁斎と並び称される傑出した思
想家だろうと。今夜も経済学の作業をしながら引用の多さ、緻密さも大切だが、抽象能力は引用文献の
多寡を超えた処にあると、思想界のワールドシリーズに出場しては連覇して帰ってくるような巨人だと
思っている彼のファンのひとりだ。
合掌