秋麗(あきうらら)

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埴輪でわかる古代は

2011-03-06 | 古代史のミステリー
鳥インフルエンザで気になる水鳥ですが、
3月3日の新聞に完全な形の水鳥形埴輪が出土したと載っていました。

兵庫県朝来市にある池田古墳(全長141m)は、国道9号工事のため3年がかりの調査が行なわれています。
5世紀前半の前方後円墳で、但馬や丹波、丹後地方を治めた有力者の墓とされます。

今回の調査では合計8体の水鳥形埴輪が出土し、これまでの出土と合わせ23体となり、大阪府羽曳野市の応神天皇陵を抜いて国内最多となりました。

『発掘された日本列島2010』の会場で撮影したもの↓


死者の世界に魂を運ぶといわれる鳥形埴輪23体は、古墳東側の水際に並べられていたようです。
日本神話でヤマトタケルが死んで白鳥になったように、死者の旅立ちや復活を象徴していたと考えられます。
水鳥は、現在と違って神聖な存在だったのですね。

藤井寺市のサイトには以下のように書かれています。

水鳥形埴輪を一覧表にしてみると、いくつかの面白い傾向が分かりました。
その一つは、出土遺跡は中九州から北関東におよんでいて、特別の地域に集中することはないこと。
二つ目は、古墳の大きさや形にとらわれることなく、使われていること。
その三は、前期古墳に使われた確実な例はなく、城山が今のところ最古の例になり、その後6世紀まで使われていること
この一般的な傾向は、(出土数が増えた)今もほとんど変わっていないように思います。
水鳥形埴輪は古墳上で執り行われる葬送の儀式に、欠くべからざる重要な埴輪だったことが想像されてくるのです。


埴輪の起源は、弥生時代後期の吉備地方だとか。
集落の祭祀で供え物を入れていた土器が、葬送儀礼のために墓へ持ち込まれ、置かれるようになったようです。

少し前には奈良県桜井市の茅原大墓古墳で
盾持ち人埴輪出土ニュースもみました。
一緒に出土した円筒埴輪の年代から、4世紀末に作られたことが判明。
詳細はじゅんじゅんさんのブログでご覧下さい。

「埴輪はいろいろな種類が最初からあったわけではなく、死後の世界への考え方の変化とともに増えた。盾持ち人埴輪も、考え方が変わる中で生まれたのだろう」
と調査担当の市教委文化財課福辻淳主任が解説されてます。


大阪市平野区長原古墳群の1つである長原45号墳で発見された武人形埴輪。
冑をかぶり鎧を身に付けた武人で、顔には入れ墨が。

長原87号墳からは巫女、馬、鶏の埴輪がまとまって出土。


現在、船形埴輪30例が、近畿地方の古墳から出土しています。

埴輪に表現された船には2つの形があり、
一つは、丸木でつくられた船底と側面の舷側板が一体形で、もう一つは、船首と船尾が二股に分かれる構造の船です。

弥生時代から古墳時代へ変わるころの、大型の準構造船の船首部分が、大阪府の久宝寺遺跡でみつかり、船底材幅1.2mの巨大な二股構造の船で、復元すると全長10mを超すと考えられます。
大きな外洋船があれば馬も焼き物も載せて運ぶことができます。



藤井寺市のサイトより
水鳥形埴輪と同じように、出土数の少ない船形埴輪と比較してみましょう。
船形埴輪は全国で20数例が知られていますが、その大半は近畿、しかも大阪府と奈良県に集中しています。
さらに出土した古墳は、円墳や方墳といった小型の古墳に限られるという特色をもっています。
船形埴輪は、古墳に葬られた人の社会的な役割と深い関係を暗示しているように思うのです。


やっぱり騎馬民族は来てますね。

*3月7日追記 
さらに検索していて、三重県松阪市宝塚古墳で最大の船形埴輪見つかったとありました。
この1号古墳は前方後円墳とのことです。
藤井寺市のリンク貼った内容は、『広報ふじいでら』第287号(1993年4月号)よりと、20年前の記事でした。
その後どんどん発掘物が増えて見解は変わっている部分も多々あることでしょう。