ずっと以前から篠山いこうと言うてた連れの要望をやっとかなえて、篠山へ。
昔ながらの町並みが残る河原町妻入商家群も歩かんと車でぐるぐるめぐる。
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城跡の正門前の広場では桜祭りのようで大賑わいだった。
裏側に回って、無料で駐車できるスペース見つける。
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馬場から中に入ってみると、ここでも駐車できたね。
立派な石垣をあがってみると
あたり一面さくら、桜満開で、桜吹雪も美しかった。
いいときに来れたね。
なんで篠山やねんと毒づいてたけど、先の記事の磯宮八幡神社といい、城跡といい、素敵でした。
篠山城は、1609年(慶長14)徳川家康が西国諸大名のおさえとするのを目的に築いた城で、大書院や城郭、石垣などが往時を偲ばせる。
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青山神社は、藩主・青山家の祖霊を祀っています。
たまたま現在の青山家の当主を存じ上げてるのでちょっと調べてみたところ、自慢されるだけのことはあると納得しました。
青山氏(あおやまうじ)は日本の武家の一つ。藤原北家花山院流。江戸時代の譜代大名でたびたび幕府の要職にも就いた。
祖先は上野国吾妻郡青山郷(現・群馬県吾妻郡中之条町青山)の出身で、その後、三河国額田郡百々(どうどう)村に土着し、松平氏に仕えたとされる。記録上の初見は松平広忠とその子元康(家康)に仕えた忠門であり、その子忠成は秀忠の側近として近侍。関ヶ原の戦後、加増され大名に列した。宗家は江戸期を通じ、大坂城代、老中などの幕府要職に就き、常陸国江戸崎、武蔵国岩槻、信濃国小諸、遠江国浜松、丹波国亀山など転封を繰り返したが、1748(寛延元)年、丹波国多紀郡篠山(現・兵庫県篠山市)に移封され、6万石で維新を迎えた(→篠山藩)。忠成の三男幸成の系統は美濃国郡上郡八幡(現・岐阜県郡上市)に4万8,000石を領した(→郡上藩)。どちらも廃藩後は子爵となった。家紋は無字銭、葉菊。