秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

あの人もこの人も祈った目黒不動尊

2019-11-22 | 旅・関東&中部&北陸地方
夕方に渋谷区の姪の新宅に寄せてもらうことになってて、
目黒でお昼食べてからまだ2時間ほどありました。
どこ行きたいと息子が聞くので、
「目黒といえば、秋刀魚に目黒不動!」
ということで案内してもらいました。
彼の家から歩いていける距離でしたが、地理上お寺の裏から入ることに。


最後に門から出た時に撮影しましたが、
話の流れ上、順番入れ替えて。




お寺だけど鳥居立派ですね。


熊本の「木原不動尊」、千葉の「成田不動尊」とともに
「日本三大不動」に数えられるんだそうです。
目黒不動尊、歴史に偉業を残した英雄たちとのゆかりがいっぱい詰まってました。

まずは、開基は808(大同3)年
平安時代に慈覚大師・円仁が、下野国(栃木県)から比叡山に向かう途中で、
今の目黒に立ち寄ったところ、恐ろしい形相の神人が夢に現れた。
面色青黒く、右手に降魔の剣、左手に縛の縄を持ち、
こう告げられた。
『我この地に迹を垂れ魔を伏し国を鎮めんと思ふなり。
来って我を渇仰せん者には諸々の願ひを成就させん』

夢から覚めた後、慈覚大師自らがその御姿を彫った。

その後、遣唐使で渡った彼の地で慈覚大師は、この仏が不動明王であることを知る。
帰国後にお堂建立を決意された慈覚大師が、法具の独鈷(とっこ)を投じるとそこに泉が湧き出した。
独鈷の瀧」と名づけられ、この霊泉に因んで寺号は「瀧泉寺
山号は「泰叡山」で、御本尊が目黒不動明王

時節は流れ、江戸時代初め1615年(元和1)本堂が火災で焼失。
このあたり一帯は将軍家の鷹狩の場だったそうだ。

三代将軍・徳川家光もこの地で鷹狩りを行った。
ある日、愛鷹の行方を失う。
不動尊に願いを込めたところ本堂前の松の木に飛び帰って来た。

このことをきっかけに家光は「目黒不動尊」を崇拝し、
五十三棟の伽藍を建て、江戸随一の名所となり目黒御殿とも呼ばれた。

享保年間(1716-1736)目黒不動尊付近の目黒川には
木食上人により「太鼓橋」と呼ばれる橋が架けられ、参拝のルートとして多くの人々が行き交った。
この目黒川と「太鼓橋」の風景は歌川広重の浮世絵にも描かれている。





江戸時代中期の儒学者、青木昆陽(1698-1769)ゆかりでもあった。
あちこちにサツマイモが植わってました。
裏から入る時、甘藷先生の墓こちらの案内見ましたが行きませんでした。
墓石には甘藷先生と刻まれてるそうです。


江戸時代後期の二宮尊徳(1787-1856)
報徳仕法の成功を祈誓。

熱烈な不動尊信仰者で、江戸在住期間は不動尊参詣を欠かさなかった。



役行者がなぜおられるのか未調査

1812年(文化9年)「江戸の三富」と呼ばれた「富くじ」が行われた
(他は湯島天満宮、谷中感応寺)
富くじ興行は1842年(天保13)天保の改革により中止となった。



水かけ不動さんと独鈷の瀧
大阪はミナミ、法善寺横丁の水掛不動さんとは趣き異なりますね。
法善寺には、若いころ難波行くたびにご挨拶お参り行ってました^^

この独鈷の瀧は、幕末に、江戸詰めだった西郷吉之助(=隆盛)が、
主君・島津斉彬が倒れたとき、滝行して病気回復を祈願した。
鹿児島の親友・福島三太夫に充てた手紙に
「御煩い重う候ては、誠に暗の世に罷り成り候と、只、身の置く処を知らず候。
只今、致し方御座無く、目黒の不動へ参詣致し、命に替えて祈願をこらし、
昼夜祈り入り事に御座候」と記述しています。

明治になり、西郷隆盛の弟である従道が海軍大臣になって、
山本権兵衛を海軍省官房主事に抜擢、
山本は日露戦争の連合艦隊司令長官に東郷平八郎を任じた。
その東郷平八郎元師は日本海海戦の勝利を目黒不動尊に立願した。
西郷、山本、東郷の3人ともに薩摩の加治屋町出身です。




品川から都営バスで目黒へ着くまで、白金台に八芳園がありました。
都内屈指の広大な庭園を有する八芳園は、
江戸後期の一時期薩摩藩の抱屋敷、島津の下屋敷であったそうです。

三田、芝の薩摩藩邸は海に近いので艦船からの砲撃を避けるため、
島津斉彬は内陸の渋谷の広尾に新しく藩邸を求めたのが渋谷薩摩藩邸

姪の家から、代官山まで散歩した時、第一商業高校の前を通りました。
渋谷区鉢山町にある東京都立の高校で、2018年に創立百周年。
西郷隆盛のおいに当る従徳(じゅうとく)が、
学校用地ならばと所有地の一部を提供し、建物も教育施設として贈与したそう。

目黒から渋谷にかけたあたりは、薩摩藩や西郷家にゆかりの地だった。