秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

妙見信仰と能勢のいやいや法華、そして『切竹矢筈十字』

2014-06-26 | 古代史のミステリー
里山ぐるっとパスでシール式の開運お守り札がもらえました。

もともと能勢電鉄は能勢の妙見さんにお参りするひとのために開通したらしいです。
そういう歴史もあって、鉄道のお得なレールパスにサービスとして付くのですね。


出会いの鐘を鳴らそうというオリエンテーリングもありました。




山門くぐると想像以上にこじんまりしてました。






日蓮宗のお寺ですが鳥居があります。
明治の廃仏毀釈でかつての神仏習合のなごりでしょう。

現在は北の方角にある眞如寺というお寺の飛び地境内となっており、
正式には「無漏山眞如寺境外 仏堂能勢妙見山」です。

能勢妙見山の始まりは、1603年(慶長8年)、能勢頼次公によります。

能勢地方は、領主能勢氏が妙見山の日蓮宗に帰依した際 領民にもそれを強制したので『能勢のいやいや法華』と呼ばれるとか。


能勢氏と妙見山の歴史は→こちら


妙見さんって、北斗星・北極星の信仰に始まる星を祀る信仰だと思ってました。
だからこちらの印も星のようなのかと。
しかしどう見ても十字架クロスに見えてしまうなぁ~

江戸期以降の能勢氏の家紋は『切竹矢筈十字』(能勢妙見山と同一)



津本陽さんの「下天は夢か」20年以上前にベストセラーなったときに読みました。
織田信長が、朝廷の権威をものともしなかったこと、
そしてあらゆる宗教勢力と戦ったことがとても印象的でした。

一向一揆、比叡山焼き討ち、石山本願寺の顕如など歴史で習いました。
そしてキリスト教の布教も着実に根を下ろしていたのです。

現在放映中のNHK大河ドラマ、黒田官兵衛は荒木村重の有岡城の牢獄から助け出されました。
あの時代、摂津はかなりキリスト教が普及していたように描かれています。
キリシタン大名の高山右近はもちろん、明智光秀の娘・珠(たま)は細川ガラシャ名のキリシタンで有名です。

摂津も能勢もキリスト教徒が多かったのです。
キリスト教禁止に伴い、頼次は能勢一帯の神社仏閣を日蓮宗に改宗させました。
頼次は能勢妙見山を篤く信奉していたことから、
領民に対する改宗の強要も強引なもので『能勢のいやいや法華』の言葉が伝わります。
しかし、隠れキリシタンも多く居て長崎地方をしのぐ数の隠れキリシタンの遺物が発見されているそうです。

能勢氏の家紋『切竹矢筈十字』もやっぱりクリスチャン?

*宣教師フロイスの「日本史」には、能勢一族の中で洗礼を受けた者の記録があり、フロイス自身が妙見山の北東の集落まで来て洗礼させたとのことです。


織田信長の時代、摂津国能勢郷を領していた能勢氏の祖は、清和源氏源頼光。
大江山の鬼退治で有名な頼光は、清和天皇の曾孫に当たる多田満仲の長子。
その子頼国の時に能勢に移住し、以来能勢を氏としたと伝えられています。

一方明智家も同じ流れです。

能勢地方は、明智光秀の亀岡もめっちゃ近いです。
そして関係も深かったのでした。
本能寺の変では明智方についたため、豊臣秀吉に神社仏閣に至るまでことごとく焼き払われます。

備前まで落ち延び日蓮宗のお寺に落ち着きます。
家康が京都の実相寺という日蓮宗寺院で休憩した時、たまたま実相寺の住職が能勢頼次の弟でした。
こうした縁で、頼次は家康に召し抱えられることになり、関ヶ原の戦いで徳川軍として大きい戦功を立てます。
その功により家康からかつての能勢氏の旧所領を回復されました。

こうして、能勢の妙見さんが開基されることとなりました。


妙見菩薩は天部の神であり、北極星を神格化したものです。
災厄を防ぎ、福運を招く霊験があるとされています。

能勢氏の家鎮として古くから祀られていた「鎮宅霊符神」を法華経のご守護神「妙見大菩薩」として祀られるようになったのです。

ときすでにキリスト教の布教に逆風が吹いていました。
1587年 豊臣秀吉によるバテレン追放令
1612年及び1613年 江戸幕府によるキリスト教禁止令

こうした時代背景の中で、能勢氏は生き延びたのでした。
『能勢のいやいや法華』『切竹矢筈十字』はつながってますね。


時代はうんとさかのぼりますが、奈良時代の行基さんがこの山開かれたのでした。
行基が大空寺を建てられたのが、当時の為楽山(現在の妙見山)の山頂666mだとか。


妙見山のすぐ北隣には、歌垣山もあります。
万葉の時代より男女が集まり「歌合わせ=かがい」が行われた山で、
関東地方の筑波山、九州地方の杵島岳と並ぶ歌垣三山のひとつです。

能勢ってなんか深~い歴史のある所でした。

14 コメント

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Unknown (N)
2014-06-26 13:53:41
よくお調べいただき、頭が下がります。
出身地の知らなかったことばかりです。

ちなみに、「鎮宅霊符神」は麓の行場、新滝さんの境内に亀と蛇に乗った石像を祭っています。

能勢電鉄の途中駅「多田」はいまや住宅地になってしまっていますが、多田源氏の祖、源満仲を祭った多田神社があります。
余談ですが、多田神社の持山をデベロッパーが買い取り、開発したのが、川西でも高級住宅地に上げられる「清和台」なんです。清和源氏からのネーミングなんです。
妙見山の山頂からはそのように開発された住宅団地が一望に望めます。
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Nさんへ (ulala)
2014-06-26 14:03:52
早速お読みいただきありがとうございます。
何せ能勢電乗ったの初めてなもんで。
多田神社も立派なようですね。
清和源氏からのネーミングというのもすごいですね。

それにしても妙見口から、ケーブル黒川駅まで結構遠いですがまだ道は歩きやすい。
しかし新滝道を下り降りましたがすごい道でした。
次回はその記録を書きますので、白滝稲荷神社も遠景としてみていただきますね。
足が痛くて、もうこれ以上歩けない状態でした。
亀と蛇に乗った「鎮宅霊符神」お目にかかれなくて残念でした。
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ありがとうございます ()
2014-06-28 07:26:05
詳しい説明、ありがとうございます。楽しく読ませていただきました。しかし、勉強不足で、反省してます。
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雪さんへ (ulala)
2014-06-28 14:33:38
はじめましてでしょうか、コメントありがとうございます。
できるかぎり平易な文章を心がけてはいるのですが、
自分のものになりきってない内容は、コピペ文章がつながり悪くてスミマセン。

今年は黒田官兵衛のドラマがちょうど能勢氏が妙見さんを祀った時代と重なります。
そのためいろいろ想像が膨らみやすいですね。

三大妙見は、 能勢妙見(大阪府)、相馬妙見(福島県)、八代妙見(熊本県)だそうです。
他のすべての妙見さんの神紋や寺紋確認してませんが
たぶんこうした十字はないかも。
月に星などの三光紋だったりするのではないでしょうか。
興味は尽きませんね。
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聖地って (りひと)
2017-01-28 18:11:41
ナラヤマなんですね。666ですかあ。弥勒はあまり好きではないんですけど。ただ宗教や宗派を超えての聖地が妙見山なんでしょうね。

東京は小さな神社も各地の大名さんのおかげかいっぱいありますし、だいたいそういう地には色々な宗教宗派が点在しているのにびっくりしますよね。深川なんてお寺ばっかりで宗派も違うし問題ないのかなあとも。ただあるのは土地の歴史やエネルギーでありそれがそこに関わる人みんなの幸せに繋がるといいですね。
そうそう神社の敷地は昔地形でみると相当広かっただろうしそれを切り売りして今があると思えば当然そういうパワーの感覚鋭い方がたは集まるはずですよね。
今日古墳の勉強してきましたけど同じ場所でも時代や勢力の変化があると作り方や地形的な場所も変わってきますから。

大昔にナラヤマって付いていたなら(見晴らしが良い地形)であれば相当魅力があっただろうと思いますね。関所的なここを支配すればっていう戦略上も大事な地であるのは能勢の魅力ですけど二次的でもっと何かありそうですね。奥深いですよね。9698
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りひとさんへ (ulala)
2018-07-10 13:37:49
能勢の妙見さんある山の高さ666mって、なんだかなぁ~ですね。

妙見山、開山当時は為楽山(いらくさん)と呼ばれるそうです。
行基さん以前からこの山に対する信仰があったのではないかという話を見つけました。
妙見山の山頂には一万年の歴史を持つブナの原生林が今でも広がてるそうです。
「ブナは水分を多く含んだ木で、器にも出来ず燃料にも出来ず役に立たないものとされ、残しておく理由はない。それが今に残っているということは、おそらく3世紀ごろには、この森に対する何らかの信仰があったのではないかと推測される」
「飛鳥時代になると、この山は朝廷に器や神事に使う柏を納めるようになって伐採圧力は更に高まる。鎌倉・室町時代には、能勢の炭は『能勢菊炭』あるいは炭問屋のあった池田にちなんで『池田炭』として知られ、この能勢菊炭は茶道でも使われ千利休にも絶賛された」
「炭を運ぶ能勢街道(妙見山から池田を経て大阪に至る)を逆流して妙見山へのお参りがあった」

以下ブログより一部抜粋 くわしくは→
http://toursakai.jp/zakki/2016/10/31_2197.html

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能勢家文書 (ulala)
2018-07-10 13:49:40
先のコメントで紹介したブログの続きで興味深いことを発見したので、引用抜粋させてもらいます。

[戦国時代を経て日本の官僚組織が断絶していて公式文書の書き方を誰もわからなくなっていた。しかし、能勢氏には鎌倉初期からの公式文書がちゃんと保管されていて、家康に命じられて江戸幕府に貸した。『能勢家文書』と呼ばれたこの文章の写本の原本は長らくどこにあるかわからなかったが、十数年前に妙見山の蔵で発見された」
「この『能勢家文書』の原本は内容や歴史的価値もさることながら、その保存方法が他にないものだった。 昔の文章は表装して保存するが、紙の厚さは均一でないためそのまま表装するとよれてしまうので、通常は紙を薄く三枚おろしにして表装する。しかし、能勢文書は紙をおろさずにそのまま保存していたので、どれぐらいの重要度の文章に、どれぐらいの厚みの紙を使っていたのかが分かる。」

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ブナいいですね (りひと)
2018-07-10 22:18:43
ドイツでも結構ブナってあったような気がするんでブナと聞くと超嬉しくなります。能勢ならさらに。で多田源氏で北極星でしょ!それなんですよね。で塩川さんってのはちょい信じがたいんですけど高山さんがいるんで利用されちゃったかなぁ?とも。

また私が人の縁で得た情報もきちんと入っている記事教えて頂きありがとうございます。

あと源氏についても色々と考え中なんでして、またそうやっつけちゃった光の付く方は昔は超嫌いだったんですけど父の関係だとどうも通らずにはその後に繋がらずなので評価を少し変えつつあります。

それにしても木に対してあまりにもひどい対応ですね。植生を変えてしまうとか人間の都合や用途で木に対して評価を変えてしまうとか。

本当嫌な時代を経て今の能勢があるんですね。
これまで護って頂き感謝ですよ。
人間の自然に対しての行いは相当昔からひどいって事も明らかですね。炭の需要について色々な意味でも今後どの時代だったかで何か分かってくるはずだと思いますよ。全国各地で多分あったはずなので。

あと時代としては縄文超えて旧石器なんですよね。能勢にも細石刃出ている所ないかな?そして縄文とも融合しているはず。けど弥生には多分いないって相当移動しているかもしれませんね。

なんせ北極星で動いていたならば、安心ですので。下手したら南米辺りにも行っちゃったかも?水晶ドクロは作れる方々だったんではないかな?
あーもったいない。8013、日本で何が起こったんでしょうね。
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能勢氏出てきそうですね。 (りひと)
2018-07-10 22:24:37
前代未聞って最近よく言い訳として使われますが、本来はそこも考えて準備出来た一族こそ大事ですね。

あとブナってお水タンクの森でもあるんじゃないかな?切ったらどうなるか?植生を変えたらそこは天災も人災になりますからね。
奈良とか木曽とか和歌山とかも結構やられてますし、東北だっていっぱい見えない古代であると思います。色々考えさせられますね。6488
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りひとさんへ (ulala)
2018-07-11 15:08:59
数年前に但馬地方の和池(わち)の大カツラを見に行きました。
カツラの木は一里四方の水を集めるというのに感動したものでした。

先のコメントで、りひとさんが
>ブナってお水タンクの森でもあるんじゃないかな?
これで思い出したんです。
ブナ 水を集めるで検索すると、「ブナの森に水筒はいらない」を発見。
能勢の妙見さんも山頂にあるにもかかわらず水が出ると書いてありました。
ブナの森は、他の森林と比較して保水力が高いといわれてるそうです。
すごいね、りひとさん!

「ブナ林は緑のダムとも呼ばれるが、それは地上部の植物ではなく、ブナの作り出した豊かな土壌が雨水をため込むのである。」
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/fagaceae/buna/buna2.htm
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