秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

保久良の奥ヒルコは、珍彦(ウヅヒコ)?

2024-07-04 | 古代史のミステリー
あっという間に月日は流れ、今年も半分すぎましたね。
早春から行きたかった保久良神社は、5月19日に参拝❣️
できたものの、未だかつて経験したことのない腰痛に見舞われる。

体勢を変えると激痛が続き、何か取り憑いてる?なんて、ね。
背中に厚板をギブス状にあてた如くそろりそろりと凌いで、
日々の暮らし、用事はこなしてました。


しかし日にち薬はエラいもの。
1ヶ月もすればかなり回復しました。
寝たきりにならなくてほんと良かった(*^^*)


保久良神社参拝後、数日に渡り記録綴ってました。

ゼロ磁場、カタカムナ、ヒルコ奥宮?保久良神社 - 秋麗(あきうらら)

今年早春に知った保久良神社。きっかけは『神々は動いてる』の以下記事コメント欄でした。2011-1-31神々が動いている:カグツチ天国行ってみたくなったけど、岡本駅から徒歩...

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聖地★保久良神社の祭石群 - 秋麗(あきうらら)

雨の日曜日、急峻な参道山道だというのにけっこう参拝者いました。知る人ぞ知る聖地でもあるからでしょうか。本殿向かって左手に立岩あり、その前での自撮り写真は前記事で...

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これで二つの疑問なんとかクリアにしときましょ。
最後の疑問「ヒルコ奥宮=奥夷」は次回で。


ココで止まったまま、もう7月に💦

それなりに考えもしましたが、やっぱりわからん。
このまま放っておくと、知り得た情報も画像も埋もれゆく。

一区切りつけておきます。




灘の一つ火
石灯篭は中世より、麓の北畑村の天王講の人々が守り続けた。
油で御神火を点し続け船人の目印にされた最初の灯台です。
現代は電線見える通り、電灯。




珍彦(ウヅヒコ)とも言われる椎根津彦命




阪神間の地図、赤い印が廣田神社です。

ワカヒメ・ヒルコが海に流され拾われた所。
神祇伯を世襲した白川家の最も重要な所領だった広田神社の末社の一つ、戎社が今の西宮神社です。
古代は廣田神社が西宮と呼ばれていたそうです。
時代が下ると海も遠くなり、戎社の格がどんどん上がり西宮神社となった経緯。

越木岩神社の北の磐座ではワカヒルメ祀ってます。

北の磐座でシュークリーム食べてると - 秋麗(あきうらら)

ふと気づいたら岩に見られてる?木漏れ日が苔むした岩で光って目の玉みたい。昨日帰宅後アップしたヒメユズリハ、その群生地過ぎて、小高くなったとこ上ると一番奥に北座が...

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3年前に以下の記録残してました、すっかり忘れてた(^◇^)

越木岩神社は、それまでの磐座(いわくら)祭祀の頃を経て、
正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、
明暦2年(1656年)8月16日、円満寺の教順僧侶が
「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神(ひるこおおかみ)を勧請し、蛭子太神宮と称した。

この蛭子太神宮の本殿左側から奥の磐座へ行けました。
磐座信仰が先にありきですね。


ワカヒルメ・ワカヒメ・ヒルコとウヅヒコの重なりが?


今回の保久良探求で、参考にさせていただいたサイトのリンク貼っておきます。
検索重ねた結果、一番詳しいように思います。
またいつか思い出して思索に耽ることできる、かも(^^)


西宮神社(西宮市社家町)~海部や椎根津彦とえびす様の関り - 摂津三島からの古代史探訪

古くから金運上昇の御利益があるとされ、全国に約3500有るえびす社の総本社です。もともとは航海や漁業の神として信仰を集めましたが、室町時代以降のえびす信仰の隆盛で、...

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保久良神社(ほくらじんじゃ:神戸市東灘区)~神戸に「灘の一つ火」を灯した古代海部の椎根津彦命 - 摂津三島からの古代史探訪

(2022.12.02.ヘボソ塚古墳出土銅鏡写真追加)兵庫県の神社を初めて取り上げます。阪急岡本駅からも歩ける距離ですが、この日は閑静な住宅街本山北町のコインパーキングに車...

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興味深い部分引用させてもらい羅列しておきます。

椎根津彦命は神武天皇に倭国造に任ぜられたが、
大和神社祭祀氏族倭直の始祖ともされる。
 
その大和神社『大倭神社註進状』裏書に、大倭氏の古伝承が残る。

椎根津彦命が難波に遊行し釣りをしていたが、ある夜、天から光があって海原を照らした。
行ってみるとそこに磐クス舟が浮かんでいたので引いて持ち帰った。
明晩また光が浜を照らしたので、武庫の浜に宮代をたて、その船を収めて蛭児神の神体とし斎祀ったのが、広田西宮三良殿。
奧夷社の祭神は椎根津彦命である。


【椎根津彦と西宮神社】
吉井良隆氏の説によれば、
椎根津彦は西宮附近を中心として大阪湾北岸を支配する海部の首長であったと思われる。
西宮えびす神社には古く境外社に奧夷社があったが、後に境内に移され現在荒えびす社としてえびす神の荒御魂が祀られている。
元は椎根津彦命だったのではないか。
そして、その子孫の倉人水守(8世紀の人)によって椎根津彦命を祀った奥夷社の元鎮座地がこの保久良神社だったのでは、と推測される。
灘の一つ火が代々伝えられて来た背景に、椎根津彦の神格の一面が承け継がれていると思われる。


【伝承の海部氏】
亀に乗る椎根津彦命像は、元伊勢籠神社にも「倭宿禰命像」の名で存在し、社家海部氏の四代目だと説明している。


神武東征を助け、神武天皇に倭国造に任ぜられた云々とも齟齬をきたすような、逆に戦ったという説もあるようで。
さらに綿々と続き私の理解をこえてます。 
続きはリンク先で(^_−)−☆



 


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