秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

富士御室浅間神社、初めて知りました。

2022-09-08 | 古代史のミステリー
富士山SPをTV視聴しての続きです。


画像引用元は


2合目にある神社の拝殿壊れてた!
小さな祠だけが網で囲われ、何かの神事してた映像映ってました。

ものすごく気になりました。
いつなんで壊れたんだろう?
そのまま朽ちたままにしてていいの?

調べてみて、へぇ〜そうだったんだレポートです。


864年 貞観の大噴火(青木ヶ原樹海を作った)
869年 貞観地震
878年  関東地方で巨大地震

貞観の大噴火を契機に、大和朝廷は富士山を取り巻くように浅間神社を放射状に配置。
浅間神社の本社は、静岡県富士宮にある富士山本宮浅間神社、駿河国一宮です。
富士山山頂に奥宮が祀られていて、8合目以上は富士山本宮浅間大社の境内だそうです。




『富士本宮浅間社記』によれば、
垂仁天皇3年(紀元前27年)に富士山の噴火を鎮めるために浅間大神を山足の地に祀った。
景行天皇40年(西暦110年)日本武尊が東征の際に山宮の地に磐座を定め、浅間大神を遷座して祀った。

「山足の地」が噴火で荒廃し、「山宮の地」に遷したという記載。
山足とは山裾のことで、山麓の森に山宮のようです。
名前が似通っててややこしい。


Wikipediaより
社伝では、垂仁天皇3年とされる創建から大同元年(806年)までは山宮浅間神社で祀られており、同年に現在地に遷座したという。
なお、遷座して来るまでの当地には式内社・富知神社が鎮座し、湧玉池を祭祀していた(現在は北方に遷座)
この遷座は、富士信仰が水の神たる「フクチ・フジ」信仰から
火の神たる「アサマ」信仰へ転換したことを表す象徴的な出来事だと解されている

興味深いブログ見つけました。
『富士山信仰のルーツを解き明かす(3) 浅間神社と浅間山』

『富士山信仰のルーツを解き明かす(3) 浅間神社と浅間山』

3回シリーズ「富士山信仰のルーツを解き明かす」の最終回は、浅間神社と浅間山について考えます。→[富士山信仰のルーツを解き明かす(1) ] →[富士山信仰のル…

西陣に住んでます

 
サラ〜っと読み流せないので、ぼちぼち精読してみます。



はるか以前の太古から、富士山のエネルギーを古代人が感じていた場所は、
富士山頂より山梨県側2合目にもありました。
そこが、TV放映で映し出された朽ちた拝殿の神社だったのです。
その名は、富士山最古の冨士御室浅間神社本宮

699年 文武天皇の時代に冨士御室浅間神社として奉斎
722年 雨屋建立 
807年 坂上田村麻呂が社殿造営


この社のある場所は背後に富士山を控え、少し広い溶岩の大地で水が豊富に湧く風水的にも理想の立地場所だった。
富士山の噴火や厳しい自然の環境により、何度となく焼失、倒壊、破損をくりかえしながら、そのつど再建されてきたという。
中世には富士山における“修験道”の、戦国時代には“武田家三代の祈願所”として、また近世には“富士講”と結びついて発展した。
ところが1964年富士スバルライン開通により登山口が五合目になった。
富士講の本道であった吉田口登山道が衰退。
恒久的保存のために、御室浅間神社は、1974年現在地に移された。


主要な浅間神社は山中に祀られた山宮と、麓の集落に鎮座する里宮が対をなして祀られる。
山宮が富士山を遥拝する場所、里宮は湧水池・湖沼周辺で鎮火を祈る場所であると解されている。


河口湖を背にした里宮の本殿は、富士山を正面に仰いでいるそうです。
2011年2月河口湖の宿で宿泊しましたが、参拝できてない。
当時も今も、つい最近までそんな神社のあることすら知らなかった。

TVでは、元から鎮座した本宮=奥宮の拝殿が、何年か前から倒れ朽ちたままになってるのが映し出されました。
いつそうなったのか調べてもわかりませんでした。

ものすごく大事な富士山の聖地があれ荒んだままになってるのは気になります。


参考サイトは






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