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今日は曇ってて陰鬱なかんじ。
何の日かなと、長谷寺でもらった暦みると
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針供養、確かにそんな日ありました。
針仕事が身近だった子どもの頃、折れた針とかまとめて処分供養し、裁縫上達を願ったものだった。
ネットで確認したら関西では12月8日となってたけれど、私の記憶は定かでない。
その日がなんでこと始めなんだろな。
調べてみました。
古くから2月8日と12月8日は、事八日(ことようか)と呼ばれ、
事を始めたり納めたりする様々な行事が行われてきた。
その代表的な行事が針供養。
この事八日の2日間は「事始め・事納め」とも言われ、神様をお祭りする日でもある。
実はこの2月8日と12月8日は、神様を迎える行事と捉えるのか、人の日常生活の期間と捉えるのかで、事始めの日と事納めの日が逆転する。
12月8日が事始め、2月8日が事納め
神様を迎える行事期間と捉えた場合、
神様をお迎えするための準備をスタートさせるのが12月8日で、
この日より正月行事のために煤払いなど大掃除をしたり、
門松を準備したり松迎えなどを始める。
正月を経て、それらの後片付けも含めすべてを納める日を2月8日とし事納めとする。
そういえば昨年暮れ12/9の記事に書いてました。
12/8は事始めの日。
年を司る神様である年神様を迎えるために、正月行事の準備を始めるのが12月8日の「事始め」で、年越しの「神事」が始まる日です。
年を司る神様である年神様を迎えるために、正月行事の準備を始めるのが12月8日の「事始め」で、年越しの「神事」が始まる日です。
2月8日が事始め、12月8日が事納め
神様を迎える行事の最終日が、人の日常生活が始まる初日。
旧暦の2月8日は、草木が芽吹く春を迎えるべく、農作業が開始される時期。人々の暮らしがいよいよ本格的に始動する2月8日は、人にとっての事始めの日となった。
暦には、もう一つ気になることが書かれてました。
長谷寺修二会(~14日)
修二会といえば東大寺二月堂のお水取り。
長谷寺でもめんめんと受け継がれてきてたんですね。
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もうちょっと詳しく調べて項を改めます。
つづく
PCメールの異常報告ありがとう。
さっそく宅配業者を語る偽メールが携帯に届きました。
PCから携帯に画像を送信したんで、そっちのアドレスも捕捉されちゃったらしい。
PCとは無関係だけど、個人的に雲行きが怪しいことが起き始めてるんで、ちと注意しなきゃな、と。
このコメントの認証番号も3322だし...。
ということはあの日だけだったのかな。
もし過去に遭遇してたらきっと目に留まってたと思う。
1/31から水星逆行が2/21まで続き、情報やネット、交通にトラブル発生多しとあったし。
なんで水星の運行が関係するのかわかりませんが、古来そうした経験の積み重ね遭ったのでしょうか。
ところで「本能寺の変」の日の午後、日食だったそう。
天体の動きって心にも影響しますよね。
天正10年(1582)6月1日に京都では太陽が6割も欠けるという部分日食が起きた。
その夜は新月で月のない闇夜、翌2日(1582年6月21日)未明から早朝に本能寺の変。
三島暦を信用してた信長が暦を変更しようとしてて、その主張する通りに日食がおきた。
結局信長絶命により三島暦による統一はなかった。
詳しくは
https://news.yahoo.co.jp/byline/nyomurayo/20160602-00058371/
右腕の痛み(むちゃくちゃ痛いわけじゃないけど神経系のいや~な痛み)のおかげでチャリ通はひかえてるので、とりあえず事故は大丈夫かな。
世界史的にも暦=支配。
国を支配するってことッスもんね。
信長はちゃんと朝廷に申し入れてるわけだけど、貞観年間から700年も変わらなかった暦を変えるってさ、当時の人からすれば、信長が幕府はおろか天皇を超える存在になろうとしてるってカンジだったかもね。
貞観の大変動期がはじまったのって。
平成の大合併で今回の変動期がはじまったのと似てますね。
むかしっから社会(国家)の変革と大地の変動は不可分なんです。
ちょっと尖った発言したら調査はいってるかも。
アカント削除とか情報誘導する怖い統制時代に突入してますもんね。
2007年1月にポルトガル周遊した折に、1755年リスボン大地震の被害が甚大であったことを知りました。
西欧の思想体系や産業革命にも繋がったようで。
地殻の大変動、異常気象なども天体の動きと連動してる可能性もあり、それらを知るために観察記録を蓄積したのが暦でしょうか。
長年経過すると歪みも大きくなり暦の改正しないと日々の暮らしと合わなくなる、これも納得。
>暦と地図は、支配の神器
しんきが漢字変換できなくて神鬼となって、鬼を器に替えました。
ユリウス暦がグレゴリオ暦に変わったのが気になって調べてみました。
ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して新暦となるグレゴリオ暦を制定。
グレゴリオス13世の晩年最後の1585年3月に天王遣欧使節団が謁見してたんですね。
リスボンにもゆかりの教会あって訪ねたけど閉まってた。
イタリアのクレモナでも遠い親戚が使節団を先導してたし。
やっとその時代が私の頭の中で繋がった感じです。
学校では習わない歴史、
地震も暦も単に歴史的事象固有名詞として登場した。
それがどう影響与えたか語ってもらえたら、歴史はもっと楽しくなるのにね。
お昼にコメ返し書いてる時、その名を突然忘れてしまい、なんとなく字面で天王に。
でも収まり悪いなと気にしてたら、また突然思い出せました。
今後ますます こういうど忘れ記憶障害増えていくのでしょうね。