秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

美保神社のみほつひめ

2013-06-09 | 古代史のミステリー
不思議な光の入り方をした写真になってました (*_*)v
島根半島東端の美保関にある美保神社の神門前で撮影しました。



勘違いの始まりは去年のクリスマスイブイブ、天皇誕生日12月23日だった。
その時の記録は ことしろぬしに呼ばれた~?

たまたま神域の扉が開いていたために、するする~っと中に侵入してしまった。
神様の方からすれば何とケシカランやつでしょう。

奈良は御所市の鴨都波神社の神様積羽八重事代主命に呼ばれたと思い込んでしまった。

そして今年5月、出雲大社が60年ぶり大遷宮で、出雲行くなら美保神社にも是非参拝したいと。
ことしろぬしさんにご挨拶して、フィールド調査もしたいと。




手水舎右手の階段上にもまぁ~るい光の玉が見えます。



鳥居から続く参道より階段上がると左に折れて神門があります。


右下の青い光の先にピンクのハート扇形にも見えます。
ようお越しと出迎えてくださった…と思うことにしましょう。


拝殿で参拝していると、ふっと魚臭いにおいが一瞬鼻をかすめた。
わぁ~ことしろぬっさんやぁ~と勝手に思い込んでました。
だってえべっさんは鯛をだいておられますから。

参拝後、記念に美保神社の朱印賜りました。
とても端正できれいな女性的な字だと思いました。





拝殿後ろに、大社造の二殿連棟の本殿が並んでいます。
美保造又は比翼大社造等といわれる特殊な形式で国の重要文化財です。


屋根の上の千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)形で男神か女神かがわかります。
祭神が男神の社は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、
女神の社は内削ぎ(水平に削る)になっています。
また鰹木の数は、奇数は陽数・偶数は陰数とされ、それぞれ男神・女神の社に見られます。


神主さんから説明を受けました。

このとき境内右手側に何か不思議な囲いがあり、なんか気になる…








説明を終えた神主さんにあの丸い磐は何ですかと尋ねましたところ、
「沖の御前」で漁師が変わったものを見つけたと奉納したと言われました。
あの灯台の裏にある鳥居先に見えた小さな島近辺で見つかったようです。
不思議だということで、ココで祀り、なでると子宝に恵まれるそうです。

  *あの灯台は→地蔵岬の美保関灯台




美保神社は、右殿に事代主命、左殿に三穂津姫命を祀られています。
神社神道においては、古来よりつねに左座をもつて尊しとされ、
左殿の方を一ノ御前と呼び、右殿の方をニノ御前と呼ばれます。

つまり左殿の一ノ御前、三穂津姫命の方を主体とし、併せて事代主命を祀っていたそうです。
ところが、この社の祭神に関してはもつと根本的な問題があると、いっきさんから教えてもらいました。

事代主命・三穂津姫命といふ神名が出雲国風土記にはどこにも記されていない。
そして美保郷の地名の由来となった郷の祖神たる美保須須美命を祭神とするものであつたようです。
それが中世のいつごろからか三穂津姫命・事代主命の両神にとつて代わられたとか。

なんか不思議な温かいものを感じて、美保神社を後にしました。
さよなら、ことしろぬし、そしてみほつひめ






国譲り神話の舞台となった島根半島東端の地、美保関。
ここには美保神社を中心に、境外末社六社あるそうです。


客人社(まろうとしゃ)」大国主命(おおくにぬしのみこと)…出雲国を統合した大神

天王社(てんのうしゃ)」三穂津姫命(みほつひめのみこと)…美保神社の主祭神の一人で大国主命のお后の一人

地主社(じぬししゃ)」御穂須須美命(みほすすみのみこと)…美保関の産土神様(生まれた土地の守り神)でミホの地名のルーツとされる

客社(きゃくしゃ)」建御名方神(たけみなかたのかみ)…事代主神の義理の弟神で武勇のルーツの神様

久具谷社(くぐたにしゃ)」多邇具久命(たにぐくのみこと)…ヒキガエルのお姿

糺社(ただすしゃ)」久延毘古命(くえびこのみこと)…歩くことはできない「かかし」のお姿なれど風の便りを聞いているうちに広く天地のことを知るようになった神様




事代主と申す御神名は事知主の義であって、
すべて世の中に生起するあらゆる事を伝え知しめして、
是非曲直を判じ邪を避け正に就かしめられる事の大元を掌り給う意味で、
大神は実に叡智の本躰、誠(真言、真事)の守神と拝し奉る。 
又大神を明神様・ゑびす様と申上げ、
釣樟を手にし鯛を抱かれた福徳円満の神影を描いて敬い、漁業の祖神、海上の守護神と仰ぎ、
水産海運の御霊験の広いことはあまねく知られて居る通りである。


南仏系欧風レストランのランチ

2013-06-09 | ケータイ・スマホから


イサキとエビのなんとか。
本日の魚料理、美味しかった(*^^*)

写真お控え下さいって注意されました。
ネット掲載ダメとはいわれなかったので^ ^
デザートも素晴らしかったけど画像ありません。

先だって記事にしたことあるラグーのすぐ近く。
帝塚山大学と近大病院の間くらい
大阪狭山市西山台のビストロ ル ソレイユ

その頃、妹夫は庭に井戸掘ってました。




地蔵岬の美保関灯台

2013-06-08 | 旅・中国&四国地方
このたび参加したJTB旅物語のツアータイトルは
「出雲大社昇殿参拝と出雲二大岬2日間」
島根半島の東と西端に位置する珍しい灯台の見学も大きな目的になってました。



境港より橋を渡り海岸線沿いにしばらく走ると男女岩が見えます。
つづいて美保神社鳥居を過ぎて、地蔵崎に到着します。




画像には写ってませんが、肉眼では大山がはっきり見えました。


島根半島最東端に位置する地蔵岬の先端にあるのが美保関灯台。
明治31年にフランス人技師の設計で建てられた山陰最古の石造りの灯台です。
白い円筒形の造りは当時のままで、世界百選の一つに選ばれてます。



隣の赤い屋根は灯台守の宿舎だったもので、現在は「灯台ビュッフェ」になっています。










美保関灯台裏手に佇む鳥居に本殿はなく、鳥居の先は日本海がびょうびょうと広がっています。
ずっと先に小さな白いものが見えるのですが…

真下には小さな岩島が「地の御前」で、4km先の小さな白い点が「沖の御前」
『出雲国風土記』には「土島」「等々島(とどしま)」と記されているそうです。



「地の御前」「沖の御前」は事代主神がタイを釣っていた場所で、美保神社の飛地境内社です。

『国譲りの神話』では、美保関で魚を釣っていた事代主神が海中に身を隠した場所と伝わります。
沖の御前島の海底には、神楽の音のような響きがあり神異奇端の島なんだそうです。
なんとこの島近辺で採取された丸い大きな岩が美保神社で祀られていました。
次の記事で画像をご覧いただきます。


釣りのサイトによれば、
「岬の目の前にある地の御前島は、チヌ、スズキの半島一の釣り場。
しかし、危険を伴うので波に注意したい。
また沖の御前島も超一級の釣り場だが、よほどナギのときでないと危険。
島の足元から深く、マダイ、クロアイ、イシダイと魚種が豊富だ。
昔から美保関は海難事故が多く、お地蔵さんが安全祈願のために奉納されていた。
そのため中世以降から、お地蔵さまがある岬として「地蔵岬」と呼ばれるようになったらしい。」

鳥居の先に見える遥か水平線を望む美しい景色に、
神話と信仰とが重なった不思議な力に心惹かれました。

沖の御前の鳥居と標識の画像をネット検索により拝借↓



境海上保安部の巡視船

2013-06-06 | 旅・中国&四国地方
境港で1時間半ほどの自由時間に散策と昼食タイムです。

バスの駐車場すぐ前が海で、隠岐へ向かうフェリーの発着場がありました。
それに並んで境海上保安部の巡視船基地で船が停泊してました。


竹島とかに行く船なんだろうかと念のために、海上保安庁のサイトを確認。



「境海上保安部の担任水域は、隠岐諸島及び島根県出雲市から鳥取県までの海岸線とその沖合海域です。
海域内に竹島が存在すること、
対岸に北朝鮮が存在すること及び隠岐諸島周辺を中心とした海域が好漁場であることから、
主要業務として北朝鮮及び韓国籍船舶等の監視警戒、
外国漁船の監視取締り等いわゆる領海警備を行っています。
また密航、密輸対策に取り組んでいます。」

外務省のサイトの地図で確認すると



竹島が島根県に編入されたのは1905年と書かれてありました。

ついでにちょっと調べてみると、
竹島は、シベリア沖を南下するリマン海流と、朝鮮海峡を北上する対馬海流のほぼ合流点にあります。
寒流と暖流とが衝突するところは、魚群の宝庫!
さらに竹島は世界でも珍しいアシカの群生地だそうです。
そのアシカを捕獲するために、1905年に島根県に編入されたようです。






境港は、水木しげるさんの生誕地。
なまけものになりなさい
水木しげるさんが好んで色紙に書かれた言葉らしい。
なんか意味深。

鬼太郎ロードは月曜ということもあり、
ゲゲゲの女房も終わって久しいので閑散としてました。








突き当たりが境港駅です。
電車車両側面に鬼太郎のペイント施されてました。
街灯も目玉おやじになってます。



生粉打ちのおろしそばは800円とお手頃価格、美味しかったです。

マニアックな出雲の神社参拝ツアー

2013-06-06 | 旅・中国&四国地方


今まで神社で朱印もらったことなかったのですが、今回は記念にいただいてきました。
四国88箇所や西国33箇所で賜ったお寺の朱印に比べると、
失礼ながら、字、ちょっと下手かも…。

ツアー参加者44名中、5,6人は神社の朱印帳をお持ちでちょっと驚き。
なんともマニアックな神社フリークのツアーでした。


「出雲大社平成の大遷宮」の旅は、個人で行くなら高速バスもあります。
梅田から出雲まで往復で10,150円ですが、そこからの移動が大変。





いろいろ調べていて、お手頃価格で神社めぐりのツアーを見つけました。
神社フリークの選んだツアーは

6/3(月)8:00梅田出発→境港で自由昼食→美保関灯台→美保神社→大山ロイヤルホテル
6/4(火)8:00ホテル出発→出雲大社一の鳥居「宇迦橋」「神門通り」石見神楽見学
→11:00大社昇殿参拝後境内案内、自由昼食→日御碕神社→日御碕灯台

ツアーにありがちな土産物店立ち寄りも全くありませんでした。
島根半島の端から端へ移動するにはツアーバスが最適でした。

コストパフォーマンスを重要視するタイプなのでご報告しときます。
ツアー代金13,980円、自由昼食1日目800円、2日目680円
ホテル夕食時ビール中ジョッキ750円、帰路のバス車中夕食弁当1,000円
ということで2万円以内で納まりました^^


バスは満車44名の参加で、男女比は確認しませんでしたが、
添乗員さんも男性の参加者が多いと話されてました。
ご夫婦連れのほかに、男性だけのグループや一人参加も見かけました。



出雲国神仏霊場巡拝のロゴマークです。
宍道湖中湖をめぐる8の字に、赤が神社、青が寺で20箇所あります。
出雲の国に古より残る、人と人とのご縁を尊ぶ心、和の心の大切さ
無限大の広がりを願っているそうです。


2008年8月8日に出雲大社の本殿昇殿参拝ご縁で、遷宮年にご挨拶行きたいと思ってました。
私の生まれた昭和28年の遷宮以来60年ぶりで、なんかこれもまたご縁。

たまたまあの時同じく出雲大社境内に居られたいやさかの木さん、
ブログを通じたご縁も、出雲のご縁です。

そのときの記録は→2008年8月8日、9日、10日と続きます。

今回ぜひ参拝したいと思ったコトシロヌシの美保神社。
日の沈む宮、日御碕神社。
ネット検索で得られる情報とは違った私目線でレポートしていきます。


記録はでなかったけど記憶に残す府民大会2013

2013-06-05 | 少林寺拳法
5月最後の日曜日は少林寺拳法大阪大会でした。
これに優勝すれば今夏大阪で開催される世界大会に出場できる!

老体に鞭打って、まぁまぁ稽古しました。
道志がPicasaウェブアルバムに画像アップしてくれたので頂戴しました。
いい結果はだせなかったけど、記憶のよすがとして残しておきます。




大会出場前に腹ごしらえしてるときに写してもらいました。
左腕に青あざできてます。
飛び2連蹴りの高蹴りとか受けると腕にアザできます。
この画像ではあまり飛べてないけど、練習ではスゴカッタんです。







想定外の失敗とかあって残念な結果で終わりました。
しかし打ち上げは楽しいよ~






終了後はあざが大きくなってた。

不思議いっぱいの吉備大臣入唐絵巻

2013-06-02 | 古代史のミステリー
吉備大臣入唐絵巻のストーリーが予想外に面白かったと書きました。
そのまま心に留め置くつもりでしたが、
阿倍仲麻呂、野馬台詩、長谷観音が気になって調べているうちに、やはり紹介しておこうと思います。


奈良時代 遣唐使になった吉備真備(きびのまきび)(695~775)が主人公です。
同じく遣唐使で唐に渡り、現地で客死した阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の霊(幽鬼)の助けを借りて、
唐人から出された難題に立ち向かい見事に勝利するというフィクションの数々が描かれています。

詳しくはこちらで→ボストン美術館 日本美術の至宝特別展



吉備大臣が唐にわたるも、皇帝に才能を警戒されスパイかもと案内されたところは高い楼閣。
鬼が出没して生きて出るものは居ないという場所。
やはり、真夜中、雨風が強くなった頃に一人の鬼が現れる。

正体は同じく唐に渡るも帰国せずにとどまった阿倍仲麻呂の霊であった。
(吉備は遣唐使として2回唐に渡っているので、その2回目という設定?)

翌日、使者たちが楼閣を見に行くが吉備大臣が健在なことに驚く。

唐人は真備を試すため、難しい『文選[もんぜん]』の解読や、囲碁の勝負を持ちかけるが、
この幽鬼の助けによりこれらをことごとく退けていきます。


仲麻呂の幽鬼と真備が飛行自在の術で宮廷へ向かう場面
正座で空飛ぶのもおもしろいけど、案内する仲麻呂は赤鬼さんなので顔が赤く塗られてる。


真備が聞く耳をたて仲麻呂はその後ろで柱に身をかくし見張っている場面
表情は笑えて、日本のアニメの原点のように思えます。

碁の名人と試合をさせられるも、
碁を知らない吉備大臣は幽鬼から手ほどきを受け、天井を碁盤に見立てて策を練る。
名人と初心者である吉備大臣との対局がはじまる。



吉備大臣が碁石を口に一つ含んでいるシーン


吉備が辛勝して納得のいかない名人側が碁石を数えると一つ足りないことに気づく。
そこで占い師に調べさせると「吉備大臣が一つ飲み込んだ」という。

唐人たちは吉備大臣に下剤を飲ませ、排泄物の中まで碁石を探すが、
吉備大臣は超能力で内臓内に石をとどめて難を逃れた。

このシーンの絵も面白いです。
あまりの臭さに鼻に指を突っ込んでいます。



そして最後の難問は「野馬台詩」解読。
流石の真備も文字列がばらばらなこの詩を解読できず途方にくれます。
長谷観音・住吉神に祈りを捧げたところ、
天から蜘蛛が降りてきて詩の上で糸を吐いて歩き回わる。
その糸を辿って読むと無事解読できて、めでたしめでたし!
観音様から使わされた蜘蛛の糸が真備を救ったというお話でした。

こうして難題を無事解決した吉備大臣は、
日本に「文選」や「囲碁」「野馬台詩」を持ち帰ることができたという。



京都の黒谷金戒光明寺では吉備観音像(重文)も拝観できます。
真備が唐より持ち帰った栴檀香木で、行基に頼み観音さまを刻んでもらったそうで、
この縁起によりこの観音さまを吉備真備に因み『吉備観音』と呼ばれます。
囲碁の白黒にちなんだおもしろい御守りも賜ることができます。




野馬台詩って何?
なぜ、長谷観音・住吉神に祈ったの?
長谷観音とはいったい…?


野馬台詩(やばたいし、やまたいし)とは、わずか十数行120文字の予言詩
9世紀初頭に中国より伝来,近世・近代に及ぶまで、さまざまな解釈を加えられ未来記として読まれ続けられた。
詳しくは、野馬台詩と蜘蛛の糸などでご検索下さい。
いろいろヒットして、へぇ~です。

長谷観音については項をあらためます。


実家には、古い掛け軸がありました。
子供心に気になって、おばあちゃんになんて書いてあるのか尋ねたら

天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも

わずか小学生の頃になぜか阿倍仲麻呂さんが身近な存在だったのです。
去年、実家を片付けたときに見つけたので処分前に撮影しておきました。




阿倍仲麻呂が遣唐留学生として真備らとともに入唐したのは
平城遷都から間もない養老元年(717年)のこと。
仲麻呂はまだ19歳でした。

その後真備と玄ぼうは帰国しますが、仲麻呂は唐にとどまりました。
楊貴妃でおなじみの玄宗皇帝が仲麻呂の才能を愛して手放さなかったからだといわれます。

仲麻呂は官僚試験に合格して玄宗に仕え、李白や王維などの文人とも交流がありました。
仲麻呂が30年以上滞在した唐から日本に戻ることになったとき、
帰国を惜しんだ王維たちが送別の宴をひらきました。

その際に詠まれたと伝えられるのが百人一首のこの歌。


天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に いでし月かも



空を仰ぎ見ると月が出ているが
あれはかつて春日の三笠山に出ていた月なのだなあ


おしべいっばいの花

2013-06-01 | ケータイ・スマホから




今朝出勤途中で見かけました。
色も黄色で目を惹きますが、あまりに立派で数の多いおしべにびっくり(*_*;

なんという名前かなぁ~ブログでお尋ねしようかと思いつつ、
mariさんのブログ 訪問したら、グッドタイミングで載ってました。
共時性というかシンクロというか、これまたびっくり。

その名は、ビヨウヤナギ


中国では金糸桃と呼ばれているとWikiに書いてありました。
確かに多数のおしべでこんもりした形は桃のよう?