昨夕、近くの東光幼稚園で撮影しました。
どこかに立葵咲いてないかなぁ~と思いながら自転車走らせていたら、偶然目に留まりました。
というのは、墨坂神社の神紋が「右離れ立ち葵」なのでした。
初瀬と伊勢街道の分かれるあたり、近鉄榛原駅近くに墨坂神社があります。
古事記ゆかりの神社の神紋がなぜに「立ち葵」?
二葉葵の右側に少し離れて一つの葉がデザインされています。
長野の善光寺の寺紋も、同じく右離れ立ち葵だと言われています。
アオイ(葵)というのは、あうひ(仰日)という言葉からきています。
葉が太陽に向かってどんどん伸び2メ-トル以上にもなるので、あうひ(仰日)
平安時代、7月7日に宮中で行われた相撲会の際、
東方から登場する力士は葵の葉を、
西方から登場する力士は夕顔の花を髪飾りにして入場したそうです。
そこから「花道」という言葉が出来たという。
さて、葵のご紋といえば、「この紋所が目に入らぬか」
皆がひれ伏す「葵のご紋」は徳川家の「
三つ葉葵」別名・徳川紋
一方、京都の賀茂神社の神紋は「
双葉葵」
ウマノスズクサ科の双葉葵(別名賀茂葵)を、3つ正三角形のように並べた形が徳川の三つ葉葵です。
将軍家の威光で、京都賀茂神社に双葉葵を使わせないようにしたが
「こちらのほうが、葵を古くから使っている」と拒否されたといういわれがあります。
上賀茂、下賀茂両神社の神紋二葉葵は、松尾神社や日吉大社もそうです。
ご祭神が夫婦、親子の間柄であるからで少しずつ違った二葉葵になってるらしい。
京都賀茂神社の葵紋は、元々は鴨氏の家紋。
立ち葵紋は各地に散らばった賀茂の神官の血を引くといわれます。
旧膳所藩主の本多氏は藤原鎌足を始祖とし、
25代藤原光秀が加茂宮司のとき 立葵を家紋とし、
その子助秀が豊後国本田郷に移り氏を本多とし、以来この紋を本多葵という。
こうして葵紋は
賀茂神社(双葉葵)→本多家(先祖が賀茂神社の社職)→松平家とつながります。
現代のHONDA創立者本田宗一郎も、家紋は丸に立ち葵紋。
『ゴジラ』『宇宙大戦争』『モスラ』などが代表作の映画監督・本多猪四郎 もうそうらしい。
最後にWikiページでみたら
立ち葵(たちあおい)は、
三つ葉葵と同様にウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したもの。
ちなみに、アオイ科の多年草であるタチアオイとの関連はない。

フタバアオイの花