秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

金子みすず記念館

2014-11-10 | 旅・中国&四国地方
いすにすわってごらん
耳をすませば、ほら…





たぶん、次の詩だとおもう。

もくせいのにおいが庭いっぱい。
おもての風が、ご門のとこで、はいろか、やめよか、そうだんしてた。

常設展示室は撮影禁止でした。




仙崎の金子みすず実家跡に再現された金子文英堂。
二階にみすずさんのお部屋が復元されてました。







シャッター押してもらったら
左側の「みんなちがって」が切れてて 
「みんないい」だけになってた。
残念。


海とかもめ
 海は青いとおもってた、かもめは白いと思ってた。

 だのに、今見る、この海も、かもめの翅も、ねずみ色。

 みな知ってるとおもってた、だけどもそれはうそでした。

 空は青いと知ってます、雪は白いと知ってます。

 みんな見てます、知ってます、だけどもそれも うそか知ら。


鮑踊り焼きも印象的だった大谷山荘

2014-11-10 | 旅・中国&四国地方




長門湯本温泉の大谷山荘で宿泊しました。
この旅館は10年ほど前に、別邸音信 というワンタンク上ができてます。
門構えからして風情ありましたが、
そこを通り過ぎて隣の大谷山荘へ。
こちらも十分掃除が行き届いるし施設も立派。
何よりも料理が想像以上に美味しかった。
アワビの生きてるのを焼くから踊り焼なんですね~




食後ラウンジでフィリピンのミュージシャンのショーが良かったです。
コントラバスのおっちゃんが声量あってボーカルを凌ぐぐらいでした。
お客さんからのリクエストで何でも歌えるのもすごい。
地方のホテルのショータイムって現地の民謡とかが多いので新鮮でした。

萩焼の伊藤博文像

2014-11-08 | 旅・中国&四国地方






山口県出身の総理大臣は8名もおられます。
現在の安倍晋三首相はもとより、そのご親族の岸信介、佐藤栄作。
初代の伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一。
そうそうたる顔ぶれです。



第26代の田中義一内閣総理大臣は、かつて駕籠かきだったそうです。
立派な体格でないと駕籠は持ち上げられないので、御六尺と書くようです。
生家はとても小さい。

吉田松陰の生家も小さくて貧しかったそうです。



松蔭神社で現地ガイドさんと待ち合わせ。


ガイドさんは、指差しただけで、2の鳥居をくぐられませんでした。
宗教はいろいろなのでということでした。
私はちゃっちゃとすきを見てご挨拶してきましたが、同行の皆はお参りする余裕ありませんでした。

誤解のないよう書き添えますと
1の鳥居をくぐった松陰神社の境内に、松下村塾、吉田松陰幽囚の旧宅がありそちらは見学しました。
ともに国指定史跡で、想像以上に小さかった。




円政寺の境内に金毘羅社がめずらしい、とネットで事前予習。
拝殿前に、高杉晋作が幼少のころ怖かった天狗のお面があるとか。
中に入ろうとしたら、たいしたことないからと、ここも鳥居前だけで説明だけ受けました。
松蔭大先生大好きなガイドさん、なんだかなぁ~、でした。




萩に来て ふとおもへらく

2014-11-07 | ケータイ・スマホから


萩に来て ふと おもへらく いまの世を 救はむと起つ 松陰は誰

山口県萩へ行ってきました。
来年のNHK大河ドラマで花燃ゆ の 主人公、杉文 は 吉田松陰の妹です。


萩市街の東郊、松陰神社からさらに東に登ると、吉田松陰誕生地及び松陰一族の墓地があります。
高台なので市街地と日本海が一望できる風光明媚な地で、そこにこの歌碑がありました。
1955年に吉井勇氏が夫人同伴で萩を訪れ色紙にしたためた歌だそうです。




萩往還は、萩の殿様が参覲交代した時の道、幕末の志士たちも通りました。
今は、萩往還の道の駅があり銅像がたっています。





ここで食べた、見蘭牛のハンバーグ美味しかった。



眠りからさめた おさの顔

2014-11-06 | 縄文 JOMON


人面付壺型土器  泉坂下遺跡他(茨城県常陸大宮市他)

骨壷らしいです。
現代では火葬して焼け残った遺骨を骨壷に詰めて墓に埋葬します。
この弥生時代には、一度土葬して後に白骨化したものをこうした壺に詰めて再埋葬したらしいです。

確か火葬の一番最初は持統天皇だと聞いたような。
葬送の仕方が変わるということはものすごいことだと思うのですけど。
民族や宗教が違うか、よっぽど強い信念というか思いがあるのでしょう。







線刻絵画土器 岐阜県大垣市 東町田遺跡

土器に描かれてあるのがちゃんと見つかるのもめったにないそうです。





青森県 三内丸山遺跡 で発掘された平べったい土偶。
何に使ったのでしょう?
総じて十字型クロス、お守りというか護符みたいなものなんでしょうか。

mozu モズ 百舌鳥 モッピー もずやん

2014-11-03 | 古代史のミステリー
先週、堺市博物館へ行ったことは書きましたが、その公園の一角に不思議な像がたってました。



百舌鳥耳原の由来が書かれてあります。
「仁徳陵築造の際、鹿が野から走り出てきて役人らの前に倒れ、その耳から百舌鳥が飛び去った」


南海高野線の沿線で生まれ育ったので、もずという地名は何の違和感もありませんでした。

南海高野線の中百舌鳥(なかもず)駅と百舌鳥八幡(もずはちまん)駅、
地下鉄御堂筋線のなかもず駅 JR阪和線の百舌鳥駅

夏には百舌鳥八幡宮を参拝した記録も残してます
2014-06-30 百舌鳥八幡宮の大楠

百舌鳥八幡の社殿によれば、もずは「万代」
神功皇后が外征の帰りにこの地に立ち寄り、幾万代にわたる天下泰平を祈った。
そのために「万代(もず)」と称されるようになったという。

古代には「毛受」とも書かれたようでもあります。




なぜか大阪府のゆるキャラはこのモズです。
大阪府の府の鳥および堺市の市の鳥に指定されているんだそうです。
なみはや国体向けのキャラとして1993年に誕生した「モッピー」は
先月9/17に「もずやん」に改名したとニュースで聞きました。


なぜに大阪に堺はモズなんだろう…

今頃になってではありますが、
どう考えても〈百舌鳥〉という漢字3文字をモズと読むのは難しいことに気づきました。


だいたいからして、モズという鳥がどんな鳥かも知りませんでした。



Wikiによりますと、
様々な鳥(百の鳥)の鳴き声を真似た、複雑な囀りを行うことが和名の由来
モズは捕らえた獲物を木の枝等に突き刺したり木の枝股に挟む行為を行う。
秋に初めての獲物を生け贄として奉げたという言い伝えから「モズのはやにえ(早贄)」といわれた。
空腹、満腹に関係なくモズは獲物を見つけると本能的に捕える習性があり、獲物を捕らえればとりあえずは突き刺し、空腹ならばそのまま食べ、満腹ならば残すという説もある。
はやにえにしたものを後でやってきて食べることがあるため、冬の食料確保が目的とも考えられるが、そのまま放置することが多く、はやにえが後になって食べられることは割合少ない。また、はやにえが他の鳥に食べられてしまうこともある



サントリー 鳥百科「モズ」によれば
全長20cm。日本では全国の平地から低山地の農耕地や林緑、川畔林などに生息して、繁殖しています。冬には北日本のものや山地のものは、南下したり山麓へ下ります。
秋に高鳴きをしてなわばりを確保し、越冬したものは、2月頃から越冬した場所で繁殖します。4月中頃までにひなを育て終った親鳥は、高原や北へ移動しているようです。
小さなからだなのに、くちばしはタカのようにカギ型をしており、小鳥を捕らえたりもします。
モズは生け垣などのとがった小枝や、有刺鉄線のトゲなどに、バッタやカエルなどのえものを串ざしにする変わった習性があることで知られ、日本ではこれを「モズのはやにえ」と呼んで有名です。
イギリスではモズを「人の鳥」といい、ドイツでは「絞め殺す天使」と呼んだりするのも、このはやにえから名づけられたものでしょう。
これらのことから、江戸時代はモズは凶鳥で、モズが鳴く夜は死人が出ると信じられました。



冒頭にアップした画像の看板、百舌鳥の地名の由来といい
このモズの習性といい、なんか不気味で不思議な話です。

ソーラーパネル地球儀を使った吉祥海雲

2014-11-02 | 日々是好日






ソーラーパネルは室内光と地球の磁場でくるくる回ります。

この地球儀を太陽光に見立てた上に載せられた 「吉祥海雲」
卍のことらしいです。









妙楽寺さんの通仙流 煎茶と瓶花の展にお招きいただきました。
いつもありがとうございます。



Wikipediaより一部抜粋
卍(まんじ)とは、ヒンドゥー教や仏教で用いられる、吉祥の印である。
現代の日本では仏教を象徴する記号としてよく知られる。
同様の記号は世界各地にあり、西洋では太陽十字からも発生した。


最も古い卍は、新石器時代のインドで見られる。
一方、ドイツのハインリッヒ・シュリーマンはトロイの遺跡の中で卍を発見し、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なした。

ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相が由来で、左旋回の卍は和の元といわれ、右旋回の卐は、力の元といわれる。