秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

真田庵の真田地主大権現☆3/4追記しました

2017-03-04 | おでかけ・近畿



関が原の戦いのあと、真田父子は紀伊の九度山に蟄居させられること14年。
父親の真田昌幸が主に暮らした善名称院が真田庵として公開されています。



塀には瓦がのってて、六文銭と結び雁金がレリーフでつながってて、角を曲がると北門



ボランティアガイドさんの案内で南門から中に入りました。



入ってすぐ右手のお堂



本尊が延命子安地蔵菩薩との説明ありましたが、このお堂右柱には弥勒菩薩とかかれてあるような?

西の門には、真田の旗印 六文銭


家紋、結び雁金



真田昌幸、幸村、大助の三代の御霊を地主大権現と祀った真田地主大権現

これはアイフォン撮影画像、
光が入ったのでデジカメでも撮影






天王寺公園や、四天王寺の安居神社、平野から八尾にかけての戦跡めぐりなど、何度かこのブログに登場した真田幸村。
最後に、九度山を訪問できて、真田地主大権現さまは光となって反応されたのかなと思えました。



真田家由来の宝物を展示してる資料館の前にあった目神様


目神様といえば、宝塚の清荒神にも祀ってたなぁ、目神は女神かなと思いをはせる。



行程最後に、大河ドラマ真田丸の放映にあわせてのミュージアムが最終日で見学できました。



ストレートネック

2017-03-04 | 日々是好日


月曜日から右こめかみ辺りに違和感。
熱を持った感じで鈍痛もある。
肩も凝ってるようなのでピップエレキバン貼る。
けれども軽減するどころかどんどん酷くなる。

昨夜はブログで真田庵について書こうと画像アップしただけでダウン。
こめかみ内側で少しづつ出血してるような気がする。
保冷剤をタオルで包んでこめかみに当ててハチマキにして横になった。
ひょっとしてこのまま脳内出血とか…
意識失う前に救急車呼ぶべきか最悪を想定するとドキドキ鼓動まで速くなる。

とんでもない事態にならないために、今できることは、とりあえず深呼吸を繰り返して眠ること。
寝てる間に身体が修復されることはよくあるから。

おかげさまで無事朝を迎え、昨夜よりは症状がおさまってたが、まだ違和感あるし週末がこわい。
念のため、駅前のまだ新しい脳神経外科に出向いた。
新患だったけどタイミング良かったのか10分程の待ち時間で呼ばれた。
症状話すとすぐにMRIとレントゲン撮影、最新の機器でめっちゃ早い。



これは一番最後に見せてもらった横向きの頭蓋骨レントゲン。
許可得て撮影させてもらった。
後ろ絶壁というより変なところで出っ張ってる形に笑えた。
これでわかったことは頚椎がまっすぐになってるストレートネックだということ。
PC作業で右腕から右肩凝ってて、それが首、右こめかみまで影響してたんですね。

MRIの画像では、こんなに物忘れひどいけど脳に損傷や異常はなく、脳内出血はしていなかった。
血管詰まってるとかも危惧してたので、やれやれ^^

今日はお薬もなく、しっかり運動して凝りをほぐしてくださいみたいな感じで安心させてもらえました。
昨夜の心まで病むストレスから開放されました。

九度山の対面石は、弘法大師と

2017-03-02 | おでかけ・近畿


弘法大師は子供の頃から弁財天を信仰し、高野山開創後も毎月九度は和泉の槇尾山の弁財天を参詣していました。
ある日、紀ノ川が増水して渡れずにいると、「対面石」に弁財天が姿を現され、「和泉まで参詣するの大儀だから、九度山に遷して参ればよい」とのお告げがあった。


九度山のまちなかマップには、
対面石は、現在でも街道筋のこの地にあり。紀伊続風土記にも、「弘法大師 槙尾明神と対面せし処といひ伝へたり」とあります。
今では弘法大師が母公と対面した所と説明されていますが、これは明治時代以後のこと。
ここは、槙尾に登る口あたりにあり、神聖な石も祀る大切な場所であったと考えられます。






遍照寺は、大石順教尼記念館の旧萱野家の向かいにありました。
旧萱野家は、もと不動院とよばれた高野山の里坊だったそうです。

なぜかマップには遍照寺の記載も説明もありません。
赤のボールペンで★印入れましたが、ホンとはもう少し上の大石順教尼の字あたり。




門から覗いてみると、境内背後に高野山の山の連なりが見えます。



真田信繁がこの場所で暮らした説があり、河岸絶壁で攻めにくい場所でもありたぶんホンとらしい。
すぐ坂の下の民家には信繁が使った井戸も残されてて、塀越しに見ることができた。






槙尾山「遍照寺」門左手の説明版には

弘法大師が槙尾山明神社に弁財天を遷した際に、槙尾明神の別当寺として創建されたようです。


槙尾山施福寺は去年のGWに西国33箇所朱印賜りに参詣しました。
2016-05-02 西国33所第4番施福寺と空海と、祖父の思い
方違大観音のお姿がまぶたに焼きついています。




午前の部が終了し、お昼はそば処幸村庵で天ぷら蕎麦をおいしく頂戴しました。

午後の部に続く

真田だけじゃなかった九度山での人権研修

2017-03-01 | おでかけ・近畿


昨日は月末だったけど、九度山での研修お誘いうけて二つ返事。
高野山麓で防寒対策しっかり準備したのに、とてもよいお天気に恵まれ気温も高かった。



市役所から38名乗車、大型バス満席でした。
配布された資料によれば、
大石順教尼から人権を考える」という現地研修会^^
単なる観光じゃなくて、人権協会主催です!

九度山といえば、大河ドラマ真田丸で、真田ミュージアムの展示最終日でもありましたが、これは後ほど。



二班に分かれてのフィールドワークで一番最初に訪れたのが旧萱野家。



門の前で、ボランティアガイドさんに案内されて、目の先には



高野山につながる山々、左側に高野山の奥の院とか聖地で写真撮ったつもりがなかった。

残ってたのは、足元のマンホール。



大石順教尼記念館では靴を脱いで上に上がり、まずDVDを視聴。


館長さん自らが補足説明してくださいました。


その方が書かれた座右の銘。
人権教育よりも、今の私にヒットしました。


大石順教尼(本名:大石よね)さんは17歳のときに、養父の狂乱の犠牲となり両腕を切り落とされるという災厄に遭遇。

口に筆とりて 書けよと教えたる 鳥こそ われの師にてありけれ

カナリアが嘴で雛に餌を与える姿を見て、両手がなくても口で筆を使えることに気づかれたそうです。

昔、俳画を何年間か習ってて年賀状とか手描きしてました。
手をつかってもこんな上手にかけなかった。

この境遇を克服して芸術でもすばらしい作品を残され、障害者教育でも力を注がれた。

九度山に人権啓発のこうした場所があるとは、昨日まで知りませんでした。