12/13 明大前キッドアイラックアートホール
川島誠 アルトサックス ソロ
19:00open 19:30start
¥2,000
ゲストアーティスト 近藤秀秋
筆者にとっての<ジャズ>は、40年前に読んだジャズ評論家ナット・ヘントフの小説『ジャズ・カントリー』の印象から始まっている。中学に進学し映画音楽以外の洋楽を聴き始めたばかりで、ロックもジャズもソウルもブルースも区別がつかなかったが、とにかく何か音楽に関係のある小説を読みたくなった。近所の書店で目についたこの本を中身も確認せずに購入した。トランペットに憧れた白人少年が、黒人ばかりのジャズの世界に入り込み、人種差別や人間関係の波に揉まれながらミュージシャンだけでなく人間としても成長してゆく。それは同じ頃クラスの男子の間で密かに読み回されたギョーム・アポリネールの『若きドン・ジュアンの冒険』(性に目覚めた少年が次々と女性と関係を重ねてゆくエロ小説)と同じ<未知の世界>への導きだった。そのせいだろうか<ジャズ>の思い出には栗の花で湿ったシーツの触感が伴う。
大学に入りアルトサックスを手に入れ吹き始めた場は、校舎の端の崩れかけた物理倉庫の空調のない部室か、吉祥寺の地下の水道管の結露が水滴となって滴り落ちるライヴハウスだった。スタンダードや教則本のアドリブを練習は一切せずに、指が動く儘に出鱈目に吹き散らかすだけだったが、筆者にとってはそれが<ジャズ>に他ならなかった。『ジャズ・カントリー』の主人公がどうしても調子が合わなかった不気味な「ニューシング」を気取っていたが、金色の管を指で握ったり擦ったりして軋んだ悲鳴を上げるのは自己愛の充足に他ならなかった。
とはいえ実はソロ演奏は得意ではなかった。テクニック不足ということもあるが、何よりも孤独に耐えられなかったのだ。仲間不在のぼっちの演奏行為。部屋の独り遊びならいいが、衆人環視の中ひとりで吹くのは最初は誇らしさで昂奮するが、そればっかりだと寂しくなる。隣に誰かいて欲しい。そんな訳で荻窪グッドマンで知り合ったT君とふたりでユニットを組んで演奏した。ユニット名は”OTHER ROOM”。別々の部屋に居ても一人じゃないから安心できる、今思えばそんな意味もあったかもしれない。2年経ってT君と疎遠になってからはサックスを吹く機会が減り、職場で練習しようとオフィスへ持って行ったきり10年近くケースを開けることもなく放置状態だった。数年前に思い立ってお茶の水の楽器屋に売り払い、聴き手に徹する決意を固めた。
聴き手としてもやはりサックスのレコードやCDを聴き続けてきた。サックスソロは、阿部薫をはじめ、エヴァン・パーカー、スティーヴ・レイシー、アンソニー・ブラクストン、ロスコー・ミッチェルなどそこそこ持っているし、最近では.esの橋本孝之やNYのクリス・ピッツイオコスが秀逸なソロ・アルバムを発表したが、聴く回数は多くはない。BGMにするにはあまりに不穏で、対峙するには我が強過ぎる。そして常に<寒さ>を強烈に感じてしまうのだ。阿部薫に『NORD<北>』というアルバムがある。ソロではなく吉沢元治とのデュオだが、孤独なサックス・プレイヤーの向かう先は<極北>以外にない、というのが筆者の偏見に満ちた持論なのである。北国の寒さは寂しさと異義語であり、曾て味わった深い孤独感を思い出させる。だからサックスソロは録音作品で聴くよりも、生演奏でその場限りの一期一会を堪能したいと思っている。
そんなところに届いた知らせは、残り半月で50余年の歴史に幕を閉じるキッドアイラックホールへの惜別の意を込めたサックスソロライヴであった。筆者がサックスを吹けずに悶々と勉学に打ち込んでいた浪人時代の1981年に埼玉に生まれた川島誠とは、何度かライヴ会場で顔を合わせて挨拶する程度の関係だった。同じくPSFからCDをリリースしたesの橋本孝之と一緒に福島のジャズクラブ「パスタン」での阿部薫追悼ライヴに出演したそうだ。伝聞によればフリージャズの精霊が棲むといわれるこの場所に相応しい霊性に満ちた演奏だったという。やっと体験できる彼の演奏が楽しみで朝から心が弾んでした。
ホールの真ん中にぽつんと置かれたアルトサックス。孤独を絵に描いた静けさは、長年この場で渦まいていた表現者たちの怨念を鎮める為の捧げものの如し。十人余りの観客に向けて演奏中は空調を切る旨アナウンスがありそそくさとコートを着込む。扉が開いて革ジャンを着た川島がサックスを右手で掴みストラップを首にかける。マウスピースを銜えたまま暫し凍結した時間が流れる。絞り出すような息の音。寝鎮まった霊魂を驚かさないように掠れた吐息が木管の中を吹きすぎる。か細い音色は徐々に厚みを増しながら、それでも優しく子守唄を歌う。ホールの奥に歩を進めながら、上下に大きく振りかぶる度にドキッとするようなトリルが巻き起こる。細いブレスが姦しいシャウトに変わり、身体は沈み床に向かって狼煙の歪音が地を這う。旋律は絶え間なく涙し、寂寥感と焦燥感が交互に聴き手の心に去来した。驚くべき忍耐力の裏には身を切るような孤独な鍛錬の徴が刻まれている。
ゲストにギタリストの近藤秀秋を加えた2ndセットは張りつめた緊張感は薄れ、対峙というより共闘するような両者の音の重なりの摩擦熱で空気の重さが軽くなる。譜面を用意して来たという近藤は、川島の振幅の激しいサックスプレイに感化されたように、全編即興で弦を毟るように不定形なアルペジオを放射し続ける。二人で演じる安心と喜びは聴き手の心に微笑みを齎した。孤独だけが即興演奏家の生きる道ではない。演奏できる歓びを分ち合うことで生まれる孤高の演奏表現が終焉間近の喜怒哀楽ホールに光を灯した。
バンドでも
観てみたい
アルトサックス
バイブレーション
川島誠 アルトソロ kawashima makoto alto solo 2016/1/2 山猫軒
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