A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

蓮見令麻トリオ feat. 須川崇志, 田中徳崇@渋谷 公園通りクラシックス 2017.12.21(thu)

2017年12月23日 11時03分20秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


蓮見令麻トリオ

19:30start / 19:00open
当日 ¥3.000 / 予約 ¥2,800

蓮見令麻(piano/voice)
須川崇志(b)
田中徳崇(d)

音楽サイトJazzTokyoのJazzRight Nowコーナーで「ニューヨーク:変容するジャズのいま」 を連載中のニューヨーク在住の即興演奏家(ピアノ・ヴォーカル)/音楽ライター、蓮見令麻が帰国し東京でライヴを行った。蓮見とは一度会ったことがあるが演奏を見るのは初めて。昨年9月の来日のあと出産して母となり、パートナーと共に子連れで前日に帰国したばかりで時差惚けまっただ中だと語る。そのせいだろうか、前回下町のカフェで会った時に印象的だった切れ長の瞳は猫の目のように爛々と輝き、話をする時一点をじっと見つめる目力は、皮膚の表面に覗き穴を穿ち、コチラの下心を白日の下に晒す、レントゲン光線顔負けの鋭さだった。自己のトリオのデビュー作『Billows of Blue(青の渦巻き)』で聴かれた高潔な美意識は、この女(ひと)の意識の冴え方次第で飴にも鞭にも変わるのだろう。
【Disc Review】渦巻く青の退廃と官能〜『蓮見令麻 Rema Hasumi/Billows of Blue』



ベースの須川、ドラムの田中二人とも髪を丁髷のように後ろで結った落武者?スタイル。ろうけつ染めの蓮見の衣装と無意識にリエゾンしクラシックスという会場に相応しい典雅な雰囲気を醸し出す。しかし音楽はクラシック(古典/伝統/模範)から遥かに逸脱したコンテンポラリーな共鳴を齎した。蓮見は真剣な表情で鍵盤を凝視する。見つめる視線の先は自らの白くて細い十本の指。まるで目を離すとそれぞれ勝手に動き出し意志と無関係に悪戯を始めてしまうのを監視しているかのようだ。ピアノを「流暢に」あるいは「叩くように」演奏する奏者もいるが、蓮見の場合は「音を削り出す」演奏だと言える。意志の力で制御しながら指と鍵盤の摩擦で心とピアノに内包された音の粒子を切削するのである。ビーズのように輝く粒子は空気中に解放される前にほんの一瞬躊躇して指先にまとわりつく。それゆえピアノの音とベース/ドラムの音の間に存在しないはずのゆらぎが生じ、聴き手の感性に心地よい電気ショックを与えるのである。それはクールな歌声も同じで、言葉が逃げ出さないように譜面を見つめる視線の呪縛で、発せされる言葉は瞬時の躊躇いを纏って聴き手の聴覚に伝達される。その間鍵盤の上の指への監視が疎かになるが、十指は従順に蓮見の意に従っている。意に反するとどのような罰が待ち受けているかを本能的に察知しているのだろう。



「筋書きのない即興演奏ばかりしていると、構成のある曲をやりたくなるんです」と語って英語とポルトガル語(フランス語のように聴こえた)の曲を1時間強歌った後に「インプロをやりましょうか」と語りかけて完全即興演奏を披露。それまでも何度か田中が試みた挑発的な乱調ビートにクールな表情で同調し抽象度の高い破調フレーズを表徴、その一瞬だけ指たちが呪縛を離れて羽目を外したかに見えたが、ほどなく自ら監視の配下に収まった。多分指たちも筆者と同じく彼女の瞳に恋をしているに違いない。



終演後「剛田さんは激しいのが好きだからどうかと思った」と言われたが、削られる音の摩擦熱の激しさは見かけ上の激しさの数倍迫真性を持って筆者のハートに火をつけたことを告白したい。また、終始低血圧と言ってもいいほど冷徹な美意識に貫かれた90分の演奏に於いて最も熱を帯びていたのはチェロも弾く須川の存在感のあるベースだったことを付け加えておく。

母なるピアノ
下僕となれど
悔いは無し

【本日開催!】
12月23日(土)東京・四谷 喫茶茶会記
開場13:30/開演14:00
前売り2,700円/当日3,000円
蓮見令麻 x Seshen ソロ+デュオ
 蓮見令麻 (piano)
 Seshen (voice+movement)

コメント
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