A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【えいたそモダニズム】Episode 19『王道チャイルド』ビートルズ/ストーンズ/ジミヘン/パープル/クリムゾン/クラプトン/エアロ/ガンズetc.

2018年05月13日 01時57分58秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


「でんぱの神神」DVD第10弾発売記念シークレット"神"イベント&オリジナル特典お渡し会
2018年5月5日(土)
ご集合及びご整列時刻:11時30分/開演:12時30分(終演予定 14時30分)

五月五日のこどもの日に恒例のDVD購入者特典イベント。根本凪と鹿目凛が加入して7人組になって初めて。新メン二人の当惑ぶりが面白い相変わらずの内容は無いけど超楽しいイベントだった。ゲーム大会では最下位だったえいたそ☆成瀬瑛美さんが最後のダーツでまさかの大逆転で優勝。えいたそ推しの手に優勝特典「祝ビリテン!おめでとうござい枡(マス)!!」をもたらした。やはり瑛美は福の女神だった。



イベント終了後の特典会で前回のテーマ「成層圏」のミッションを成し遂げたオレに対して瑛美から「難しかったのにさすが、よくやった!」とお褒めの言葉を賜った。そして今回のテーマは?と問うと、考えて来たのか迷うことなく「チャイルド」と答えてくれた。「バッチリさ、こどもの日だからね」と言いながら名残惜しくも別れを告げた。瑛美の子供好きはでんぱヲタには知られている。特に幼女を見つけると声を掛ける不思議なお姉さんぶりは番組でも取り上げられた。


しかし時間が経つにつれて、何故英語なのかが気になってきた。恐らく「子供」はピンキー☆藤咲彩音さんのキャッチコピーの一部だから、たとえ名もないヲタクの妄想であれ、勝手に使っちゃ申し訳ないというメンバー思いの瑛美の真心が理由のひとつかもしれない。しかし瑛美の真心はそれほど単純じゃない。真意を明らかにする為にも真心を込めて妄想分析するしかない。

【えいたそモダニズム】Episode 19『王道チャイルド』

瑛美の口から「チャイルド」という言葉が出た途端にオレの頭の中には数曲のチャイルド・ソングが木霊した。それは何故かモノクロームの懐かしい記憶を呼び起こした。30余年前、未だ女子の手を握ったこともない純情な頃に聴いた「チャイルド」ソングの数々を発表順に辿ってみよう。

●ザ・ビートルズ『リトル・チャイルド』


1963年11月22日リリース。ザ・ビートルズ2作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のA面5曲目に収録された。レノン=マッカートニーの作。ボーカルはジョン・レノンとポール・マッカートニーのコーラスによる。ジョンはハーモニカ・ソロも担当している。このハーモニカ・ソロはジョンの全キャリアの中でも最も熱のこもったものであり、ドライヴ感のある演奏を聴くことができる。

筆者が洋楽ロックを聴きはじめたのは1975年中1の頃だが、ビートルズの名前はその前から知っていた。中学のクラスメイトにビートルズ好きがいたが、筆者は「ビーチ・ボーイズの方がビートルズより先だぜ」と対抗していた。彼に『ホワイト・アルバム』を聴かされたがピンと来なくて『ペット・サウンズ』の方が凄いと豪語していた。『サージェント・ペパーズ』とちゃんと聴いてショックを受けるのは10年後大学3年だった。初期ビートルズのガレージロックもカッコいい。

The Beatles - Little Child - Lyrics



●ローリング・ストーンズ『チャイルド・オブ・ザ・ムーン』


1968年3月リリース。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」(Jumpin' Jack Flash) は、1968年に発表されたローリング・ストーンズの楽曲。作詞・作曲はミック・ジャガーおよびキース・リチャーズ。「サティスファクション」と並び、グループの代表曲の一つとされる。シングルのB面に収録された「チャイルド・オブ・ザ・ムーン」も、当時の日本のファンの間では「B面にしておくのがもったいないほどの傑作」と評価された。

大抵の場合ビートルズの対抗馬とされるローリング・ストーンズも筆者は余り聴かなかった。中学時代聴いていたラジオ番組「オール・ジャパン・トップ20」でジングル的に使われていた「黒くぬれ」と、ディーヴォやレジデンツがカヴァーした「サティスファクション」の2曲は心の名曲だが、アルバムは『サタニック・マジェスティーズ』しか所有していない。サイケ時代は嫌いじゃないが、ミック・ジャガーのユルい歌い方があっていない気がする。

The Rolling Stones Child Of The Moon HD



●ダイアナ・ロス&シュープリームス『ラヴ・チャイルド』


1968年9月リリース。ホーランド/ドジャー/ホーランドのモータウン離脱に伴って、新生シュープリームスとして新たな魅力を打ち出すことに成功、ダイアナ・ロスのソロも視野に入れ始めた1968年発表の意欲作。全米2位となった「ラヴ・チャイルド」他を収録。

ブラック・ミュージック、特にソウル/R&Bは苦手なジャンル。ファンクやヒップホップやラップもダメ。家にある黒人音楽は、ジャズを除くとチャック・ベリーとレニー・クラヴィッツしかない。モッズが好きなモータウンやノーザンソウルも聴く気がしない。ガールズグループはシュープリームスよりもロネッツが好き。ミュージック・レイシスト(音楽人種差別者)と呼ばれるかもしれない。

Diana Ross and The Supremes - Love Child [Ed Sullivan Show - 1968]



●ジミ・ヘンドリックス『ヴードゥー・チャイルド (スライト・リターン)』


1968年10月リリース。ジミ・ヘンドリックスの最高傑作と謳われ、ロック史上に永遠に残る名盤『エレクトリック・レディランド』。彼が全米チャートでNO.1を獲得した唯一のアルバムでもある。ロック、ブルース、サイケデリック、ファンク、ジャズ、ソウルなど様々な音楽性を取り入れ、融合させ、それらの間をシームレスに行き来する中から生み出された新たな音楽世界は、彼の偉大なる到達点を示すもの。ギター・プレイも本作にて絶頂期を迎えている。

中学3年生の卒業前にエレキギターを手に入れた。ジョニー・ウィンターに憧れてグレコのファイアーバード・モデル。ストラトキャスターを持っていたクラスメイトはトレモロアームでジミヘンの真似をしていたが、筆者は「アームを使うのは邪道」と言って、ファイアーバードに付いていたトレモロアームを取り外して売ってしまった。高校時代に映画『ウッドストック』のジミヘンのアメリカ国歌を観てアームの凄さを知り、大学に入ってから友達のストラトを譲り受けワウファズ&アームでギュワギュワやる羽目になる。

Jimi Hendrix Voodoo Child, Live at Stockholm '69



●サリアンジー『チルドレン・オブ・ザ・サン』


1969年1月リリース。当時、弱冠15歳だったマイク・オールドフィールドが19歳の実姉サリー・オールドフィールドと結成したフォーク・デュオ、サリアンジー唯一の作品。ペンタングルのノーザン・ジョセフがプロデュースを担当し、テリー・コックス、レイ・ウォーレイ等も参加。フルート、チェロ、ハープシコード等の古典楽器を駆使したファンタジックなフォーク・サウンドを展開。後のマイク・オールドフィールド作品のプロトタイプといえる一枚。

たぶん中学1年生の頃レコード店で流れていた繰り返しの多い曲が気に入って、親に頼んで買ってもらったのが映画『エクソシストのテーマ』のシングル盤。音楽担当はマイク・オールドフィールド。解説に載っていたサリアンジーというグループ名に惚れて、音を聴く前から好きなグループになった。大学時代に再発されたこのアルバムを聴いて、想像以上にファンタジックなサウンドに萌えまくった。サリー・オールドフィールドのソロ・アルバムはほとんどリアルタイムで購入した。

The Sallyangie- Children Of The Sun (1968)



●キング・クリムゾン『ムーンチャイルド』


1969年10月リリース。ザ・ビートルズの実質的ラスト・アルバム『アビー・ロード』を抜いて全英No.1を獲得したデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』。天才ギタリスト、ロバート・フィリップを核としたキング・クリムゾンはこの作品によって、70年代を象徴する音楽ジャンルであるプログレッシヴ・ロックの中心的な役割を担うとともに、それ以降のロック・シーンに多大な影響を与え続ける存在へと駆け上ることになった。

中2の頃に冨田勲のレコードでシンセサイザーが好きになり、シンセを使っているプログレに興味を持った。当時はジェネシスしか知らなかったが、高校時代に『Fool's Mate』『マーキームーン』といった雑誌でレコメン系やユーロロックを聴きはじめた。いわゆる三大プログレ(イエス、フロイド、クリムゾン)は苦手だったが、大学の音楽サークルで先輩のプログレバンド「KNIFE」にギターで加入し、最初にコピーしたのがキング・クリムゾンの『太陽と戦慄』だった。直後に80年代クリムゾン再結成でエイドリアン・ブリューのギターに夢中になった。しかしイエスやピンク・フロイドを聴くようになったのは21世紀に入ってからだった。

King Crimson Moonchild



●ディープ・パープル『チャイルド・イン・タイム』


1970年6月リリース。第2期ディープ・パープルの幕開けを飾るハード・ロック・バイブル『イン・ロック』!テンション溢れるリッチー・ブラックモアのギター、イアン・ギランのヴォーカルが火花を散らす。

ギター少年が最初に覚えるロックギターのリフはディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』というのは万国共通らしい。筆者の中学時代、キッスとエアロスミスからハードロックに入ったギター少年のお手本はリッチー・ブラックモアだった。しかし筆者のヒーローはジョニー・ウィンター。さらにパンクロックを聴いてすぐにギターの練習を放棄してしまったので、リッチーのギターをコピーした経験はない。今聴くとパープルの音楽はいろんな要素が入っていて面白いことに気がつくが、如何せん歌い上げるヴォーカルがダメ。

Deep Purple - Child In Time - 1970



●T-レックス『チルドレン・オブ・ザ・レボリューション』


1972年9月リリース。イギリスのグラム・ロック・バンド、T.レックスの曲。1972年発表のシングルで、全英第2位を獲得。ストリングスとビブラートのきいたコーラスをベースとしたグラム・ロックのスタイルを広めた曲。

1977年9月T-レックスのマーク・ボランが自動車事故で亡くなった時は日本の新聞でも報道されそれなりに話題になったが、パンクロックに夢中だった筆者にとってはピンと来なかった。グラムロックではアリス・クーパーが好きだったが、何故かイギリスのデヴィッド・ボウイやT-レックスは聴かなかった。大学に入って結成したニューウェイヴ・バンド「鰺tation」の最初のライヴでT-レックスの「20センチュリー・ボーイ」をカヴァーしてギターを破壊した思い出がある。

T. Rex : Children of The Revolution (HQ) 1972



●エリック・クラプトン『マザーレス・チルドレン』


1974年7月リリース。ソロ活動のレギュラー・グループを率いて全米1位に輝いたロック史上名盤中の名盤『461オーシャン・ブールヴァード』。プロデューサーはトム・ダウド。ボブ・マーリーのカヴァー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」収録。暗い隠遁生活に終止符を打ったエリック・クラプトンが、本作で力強いカムバックを果たした。

ギターの神様と呼ばれたエリック・クラプトンはクリームやデレク&ザ・ドミノスは好きだが、レイドバックしたソロ作品はのんびりしていて聴く気がしなかった。特にレゲエっぽい曲は、黒人音楽が苦手な筆者にとっては最早ロックには聴こえない。その一方でザ・ポップ・グループやPILのダブは大好物だったりするのだから、人種偏見も大概にしなければならない。

Eric Clapton - Motherless Children (1985) HQ



●エアロスミス『ラスト・チャイルド』


1976年5月リリース。エアロスミスによる1970年代を代表するモンスター・アルバムでもある通算4枚目『ロックス』。まさにアメリカン・ハード・ロックの頂点に上り詰めた瞬間を切り取った作品であり、異様なまでに張り詰めたテンションのなか縦横無尽に暴れまくるバンドが作りあげた完全無比の傑作。

中学2年の時に買ったキッス『地獄の軍団』に続くハードロック・アルバム。遊園地のアトラクションのように分かり易いキッスに比べて、猥褻な意味を持つ歌詞やダーティなサウンドが大人の世界を感じさせた。しかし何故かのめり込めなかった理由は、ローリング・ストーンズに似たユルさ/だらしなさが体質に合わないからかもしれない。大学卒業後にアロエスミスというカヴァーバンドで学園祭に出て人気を博したこともあるのだが。。。今でもそれほど好きじゃない。

Aerosmith - Last Child (from You Gotta Move)



●ガンズ・アンド・ローゼズ『スウィート・チャイルド・オブ・マイン』


1987年7月リリース。伝説はここから始まった。圧倒的なパワーと完成度を誇るガンズ・アンド・ローゼズ衝撃のデビュー・アルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』。彼らの代名詞である「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」、全米No.1シングル「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」ほか、ロック史に堂々と聳える金字塔と呼ぶに相応しい作品。

ガンズがセンセーションを巻き起こした頃、筆者はサラリーマンをしながらバンドをやっていた。他のメンバーはガンズに影響を受けて革ジャン&バンダナでメタル風に着飾ったが、筆者はメタルには苦手意識しかなく、イギリスのネオサイケやゴシックパンクに傾倒し、モノクロスタイルを貫いた。90年代にセカンド・サマー・オブ・ラヴの影響でタイダイやインド布のヒッピースタイルに転身し、USオルタナのREMやフレイミング・リップスは好きだったが、グランジはほとんど聴かずじまい。そのためにカート・コヴァーン自殺の衝撃はまったく経験/理解していない。筆者にとってのロック革命は70年代パンクで終わっている。

Guns N' Roses - Sweet Child O' Mine


以上の妄想分析によって暴き出されたのは、筆者が成長する上で食わず嫌いしてきた王道の音楽の重要性と魅力に他ならない。王道忘るべからず。しかし逆に考えれば、過去にスルーした音楽が多いということは、これから新たに体験できる未知の音楽がたくさん残されているということである。瑛美がオレに教えたかったのは、音楽の王道はまだまだ掘り甲斐があるから、子供(チャイルド)の頃と同じトキメキを忘れる必要はない、ということだろう。一言で言えば「BE CHILD(子供であれ)」である。



大人でも
子供のママで
BE CHILD

▼瑛美やメンバーが童心に帰れる曲

【愛踊祭2018】でんぱ組.inc『ムーンライト伝説』(エリア代表決定戦課題曲)
コメント (11)
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