A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

坂田明@神楽坂 THE GLEE 2013.4.3 (wed)

2013年04月05日 00時15分15秒 | 素晴らしき変態音楽


"時間の車窓から音の風景が"
坂田明(reeds,vo)、スガダイロー(piano)、佐藤えりか(bass)、石井千鶴(小鼓、締め太鼓)、坂田学(drums)

「お客様には変幻自在に展開する音(曲は基本的に出てきません)を、車窓から見る風景のごとく、ぼーっとお楽しみいただければと思います。必ず終わりますので安心して音を浴びてください。 くれぐれも理解しようなどと考えてはいけません。ちょっと熱い湯もある音の温泉なのです。」(坂田明)
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最近坂田明の演奏は平家物語やJAZZ非常階段・初音階段といった企画モノでは観ていたが本来の(?)ジャズ演奏を観るのは久々。観る度に驚愕の度合いが高まるスガダイローとの顔合わせを楽しみに神楽坂へ向かう。春の嵐が収まり雨上がりの夕方の神楽坂は学生や新入社員風の若者や年配のグループで活気がある。余り馴染みはないが名前通り江戸の雰囲気漂うちょっとした観光名所である。レコード芸術の発行元音楽之友社や新潮社があり文化的香りも濃い。THE GLEEは洒落たレストラン風のミニホールで熱心なジャズファンらしき年配の観客が多かった。

コンサートタイトルは坂田のコメントに伺えるように若いミュージシャンとの共演で生まれる化学反応を窓から風景を見るように肩肘張らず楽しんで欲しいという意図である。フリージャズだからといって深刻に構えるのではなく音をシャワーのようにありのままに全身で浴びてくれという姿勢は1970年代山下洋輔トリオ時代から一貫した坂田のスタイルであろう。

(写真の撮影・掲載については主催者・出演者の許可を得ています。)

まさに言葉通り頭ではなく肉体で感じる演奏だった。スガ&学との激突ハードコアトリオに始まり佐藤と石井を加えたオリエンタルな演奏がドラマティックにカオス展開する1stセット。2ndセットは坂田が「典型的ピアノトリオ」と紹介したスガ+佐藤+学の演奏からスタート。所謂ピアノトリオとは全く異質の幾何学演奏に続きジャズが禁止された戦時中「セントルイス・ブルース」を「大日本行進曲」などと称して三味線と和太鼓で演奏し密かに楽しんだという逸話が示す通り歴史ある和楽器とジャズの関係を継承したクインテットの演奏は伝統と実験精神を兼ね備えた新鮮な息吹に満ちている。平家物語をデス声で唸る坂田にピアノを文字通り揺らして絡むスガの高速ピアノと学の怒濤のドラム。普段着女子の佐藤は猛然とベースに襲いかかり石井の竹を割るようなキリッとした鼓とスペースウィスパー(声明)が空間を埋める。アンコールのオーネット・コールマン「ロンリー・ウーマン」まで5者5様の演奏が渦巻く2時間に神楽坂の一隅が深紅に染まった。新世代との邂逅は老獪演奏家の心の炎に油を注いだに違いない。



なおスガ、佐藤、石井の3人は「変態するジャズ編隊」秘宝感のメンバーでもある(石井はゲスト扱い)。

坂田さん
吠えるサックス
聴かせてよ

ジャズ非でも吠えまくること請け合い。
4.6(sat)新宿ピットイン「JAZZ非常階段 featuring 山本精一」
JAZZ非常階段【 JOJO広重、T.美川、コサカイフミオ、JUNKO、坂田明、豊住芳三郎 】+山本精一、大友良英

4/22(Mon)TOKYO CULTURE CULTURE 坂田明「私説ミジンコ大全」出版記念イヴェント ミジンコも観察できる!トーク&ライブ
司会:阿川佐和子/トーク:さかなクン&坂田明/演奏:坂田明、かわいしのぶ(bass)、坂口光央(key)~CD「海」より~
コメント (3)
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星空に迷い込んだ少年~クルト・ワイルに導かれる地下音楽地獄めぐり

2013年04月04日 00時12分57秒 | 素晴らしき変態音楽


4月3日はドイツの作曲家クルト・ワイルの命日である。劇作家ベルトルト・ブレヒトとの共作「三文オペラ」をはじめとする数々の演劇やミュージカル作品で高名だが彼の名を知ったきっかけはマニアックな世界だった。1980年前後雑誌「Fool’s Mate」の影響でレコメン系プログレを聴き始めた。初期ヘンリー・カウ、ユニヴェル・ゼロ、アール・ゾイといったチェンバー・ロックにも痺れたがそれ以上に没入したのはスラップ・ハッピーと合体後のヘンリー・カウとその後身アート・ベアーズ、イタリアのストルミィ・シックス、フランスのエトロン・フー・ルルーブランといったヴォーカル入りの演劇ロックだった。特にダグマー・クラウゼのテンションの高い歌唱はディアマンダ・ギャラス、リディア・ランチ、ニナ・ハーゲンなど異形の女性歌手に惹かれていた高校生を魅了した。ケイト・ブッシュやジェネシス等ファンタジー・ロックとは異質のダークネスと怪奇音楽骨董箱を津波と雪崩の中でシェイクした複雑難解極まる演奏は地下茎暗黒界に憧れる餓鬼の心を鷲掴みにしたのである。自分なりに調べてバルトークの弦楽四重奏やストラヴィンスキーのバレエ音楽やベリオのセクエンツァなどがルーツらしいと理解したが歌曲としては先達が不明なまま迷宮入りした。

大学受験に失敗しお茶の水の予備校に通う浪人生の唯一の楽しみは駅前の
某DUでのレコ漁りだった。ある日エレベーターのない狭い階段を6階の中古盤売り場まで上る途中のジャズ売場から心にさざ波を立てる音楽が聴こえてきた。フリージャズ風マーチ演奏と演劇的な男女ヴォーカル。一聴惚れして即座に購入したのがマイク・ウェストブルック・ブラス・バンドの2枚組ライヴLP「The Paris Album (En Concert A La Chapelle Des Lombards)」だった。未CD化のこのアルバムのジャケットはチンドン風のブラス・バンドがヨーロッパの街角で大道芸よろしく演奏している写真があしらわれその佇まいはまるで弦楽器を排したロック・バンドのようだった。フリージャズ界からレコメン系ロックに接近したサウンドはもろアンプラグド版アート・ベアーズ。特に変態ヴォーカリスト兼トランペッターのフィル・ミントンのパフォーマンスが凄かった。4ビートがシアトリカルな組曲に変わった途端に炸裂する破調オペラからマーチになりワルツになりサンバになる無節操な音楽性。オリジナル曲の中に1曲だけ外部作家の曲があった。それがクルト・ワイル作曲「大砲の歌(Kanonensong)」だった。ワイルって誰?と調べて「三文オペラ」や「七つの大罪」を知った。ドアーズの「アラバマ・ソング」がワイルの曲であることも発見。左翼思想を戯曲に描いたブレヒトにも興味を持った。




記憶が定かではないが当時世間的にもブレヒト再評価の動きがあったような気がする。大学に入学した翌年ブレヒト劇の講義が開設された。独文科の担当教授は語学講座のつもりだったようだが学生は皆フランス語専攻だった。文学語学ではなく芸術的興味で集まったのである。あての外れた教授はストーリー解説や作品紹介で授業を進めたが徐々に出席者は減り2か月後には教授と私のマンツーマン授業になり音楽鑑賞し感想を述べ合うただのダベリ場になってしまった。さる有名歌手のプライベート録音テープをダビングしてもらった。個人授業がいつまで続いたかは覚えていないがこの講義の単位を貰ったのは私一人だった筈だ。

1985年に「クルト・ワイルの世界~星空に迷い込んだ男」というタイトルのトリビュート・アルバムがリリースされた。ニーノ・ロータ、セロニアス・モンクに続くハル・ウィルナー企画第3弾だった。スティング、ルー・リード、トム・ウェイツ、トッド・ラングレン、ヴァン・ダイク・パークスといったロック/ポップ界の大物からカーラ・ブレイ、チャーリー・ヘイデン、ヘンリー・スレッギルといったジャズマン、さらにジョン・ゾーン、エリオット・シャープ、ダグマー・クラウゼという前衛音楽家まで網羅した幅広いラインナップにも関わらず一本筋の通った音楽性はワイル・メロディの普遍性を象徴していた。ウィルナーはその後もディズニー、チャーリー・ミンガス、チャーリー・パーカー、レナード・コーエンなど様々なトリビュート・アルバムを手掛けるが、ポップとアヴァンギャルドを兼ね備えた拘りにブレはない。



現在のクルト・ワイルの認知度や評価がどうなのかわからないが、エリック・サティ同様にロックの文脈で再発見されそれ以前とは異なる視点で評価された現代音楽家と言える。ブレヒト/ワイル/ハンス・ハイスラーというドイツ現代演劇の始祖の影響は現代ポップ界にしっかりと根付いているのである。

ブレヒト主義
三文オペラの
異化効果

ブレヒトと聞くと構造主義、ロシアアヴァンギャルド、ゲルニカなどの言葉を連想する。
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シュギー・オーティス@ビルボードライブ東京 2013.3.31 (sun)

2013年04月02日 00時16分48秒 | ロッケンロール万歳!


Blues, Soul / Guitar
シュギー・オーティス
Shuggie Otis

R&B界の大御所ジョニー・オーティスの息子として1953年に生まれ、若干16歳にしてアル・クーパーの『クーパー・セッション』に参加。若き天才ギタリストとして一躍注目され、1970年にソロ・デビュー。父親ゆずりのブルース/R&Bフィーリングに加え、スライ・ストーンなどに影響を受けた音楽性が話題に。1971年の「ストロベリー・レター23」はブラザーズ・ジョンソンにカヴァーされ、No.1ヒットとなった。1974年の傑作『インスピレーション・インフォメーション』では独自のクールかつメロウなファンクネスを確立。早すぎた天才の貴重なステージを間近で堪能できる千載一遇のチャンス!

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80年代後半レアグルーヴ/フリー・ソウルの文脈で再発見され1974年の3rdアルバム「インスピレーション・インフォメーション」がブルース/ソウルの名盤と言われるようになったシュギー・オーティス。ブラック系に疎くてもデヴィッド・バーン主宰ルアカ・ボップ・レーベルのWORLD PSYCHEDELIC CLASSICSシリーズで2001年に再発された同アルバムには馴染みがあろう。殆どの楽器をシュギーが演奏しリズムマシーンを使って多重録音で制作されたこのアルバムにはソウル的なブラックネスよりも漂白されたような浮遊感が色濃く漂い内側から滲み出る精神的才気=Psyche溢れる時代を超えた名盤となっている。ローリング・ストーンズ加入のオファーを断ったという逸話にも奇人変人ぶりが伺え、同レーベルから発掘されたブラジルのムタンチスと同質の辺境サイケの味わいがある。



長らく表舞台に登場せず半ば伝説の存在だったシュギーが一躍脚光を浴びたのは昨年秋、名作3rdアルバムが大量の未発表音源を追加して再リリースされることが発表された時だった。同年11月にヨーロッパを皮切りにツアー開始。古くからのソウル/ブルース・マニアは勿論若いファンにも大歓迎された。そんなシュギーの初の単独日本ツアー(父親ジョニー・オーティスのバンド・メンバーとして来日経験あり)はビルボードライブ東京2DAYS4回公演としてひっそりと発表された。ソールドアウトはしなかったが会場は熱心なファンの期待で始まる前から異様な熱気に包まれた。

59歳のシュギー・オーティスは細身で精悍な顔つき。ちょい悪オヤジ風にスーツを着崩している。アメリカのライヴではギブソンのセミアコだったが今回はアーム付ストラトモデルを構える。バックバンドは弟のドラム、従弟のキーボード、息子のギターを含む7人編成。このメンバーでのステージはまだ数回目なので多少荒削りだが逆にそれがシュギーの魅力を際立たせている。前半はスウィートソウルとスローブルースのメロウな曲調で酔わせる。機材の調子が悪く何度かローディーを呼びマーシャルのヘッドを取り替えたりしたが結局シールドを替えて復活。「今度出るニュー・アルバムからのナンバー」とMCしてプレイした「ウィングス・オブ・ラヴ」はAOR風のソフト&メロウ・ナンバーだが後半延々と続くウーマントーンのギター・ソロが圧巻。「サイケデリック・ソウル」の枕詞がピッタリのサンタナを思わせる耽溺プレイには狂気が内包されている。「ストロベリー・レター23」のエンディングの息子とのツインギターによる倒錯的ミニマルフレーズ、ラストナンバーでは倍音ディストーションのジミヘン顔負けのアグレッシヴなアドリブが唸りを上げ最後は片膝ついて決めポーズ。ギターをフィードバックさせたままステージを去る。漢だね!カッコいいね!隠遁して錆びつくどころか息子と対等に張り合う暴力オヤジぶりを堪能した。日本公演最初のステージでもありアンコールもサイン会もなかった(物販には再発CD BOX1種類のみ)がシュギーの変態オーラに大満足。シュギーが本質的にエキセントリックなサウンドヲタクであることを証明したクールな熱に溢れたステージだった。



シュギー主義
サイケ思想
涅槃ギター

新スタジオ作品を待ち望むと共に次は野外フェスで観てみたいものだ。
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ハーフコインの花園 第6回~百花繚乱才色兼備のガールズロック特集

2013年04月01日 00時20分30秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


オレの庭にはビートロックや渋谷系やアイドルや小室サウンド以外にも様々な女の子が隠れている。よく探せば花園常連の猛者に挟まれて居心地悪そうに縮こまるイチゴのように無垢な乙女を救い出すことも出来る。摘んでみて初めて純情無垢どころか百戦錬磨の曲者であることに気づくことも少なくない。価格250円が相応しいか否かの判断は聴いてみるまで出来ないというちょっとしたギャンブル感覚も悪くない。一か八かの運試しで出会った知られざる秘宝の数々をご紹介。

THE NEWS
1980年代半ば渋谷屋根裏や都立家政スーパーロフトで何度か対バンしたガールズトリオ。3人とも170cmの長身で女々しさを排したストイックなスタイルと社会派メッセージがちょっと怖かったお姉様方。イカ天に出演してノーブラタンクトップの硬派さで人気を集めイカ天レーベルからデビュー。自らのINGレーベルからCDを継続リリース。内田裕也、シナロケ、みうらじゅんなどと交流が深い。解散はしていないようだが2007年以降の活動は不明。皆さん今はいいお母さんの筈。弾ける骨太ロケンローはいつ聴いてもかっこいい。



●デミセミ・クエーバー
ボンデージスーツに身を包み妖艶に歌い踊るエミ・エレオノーラ(vo)を中心とするアヴァンギャルド・ロック・バンド。1995年にCDデビュー、ハードで実験的なサウンドとエミが発する謎の即興言語「エレオノーラ語」による不思議な歌詞で人気を集めた。ジャンル的にはレコメン系プログレに属するがチェンバーロックの生真面目さより見せ物的ボードビル色強いステージがユニーク。現ROVOの勝井祐二(vln)も参加。エミはソロ歌手、モデル、役者、ファッション・デザイナーとしても活動の場を広げている。デミセミとして昨年2月にライヴをしたことは確認出来たが今後の活動については不明。



●チボ・マット
1990年代アメリカで活躍した日本人女性デュオ。1994年ニューヨークで活動していた前衛音楽家本田ゆかと留学生の羽鳥美保が意気投合し結成。1996年ミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクのプロデュースでメジャー・デビュー。カレッジ・ラジオでヒットしオノ・ヨーコ、ショーン・レノン、サーストン・ムーア、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、ビースティー・ボーイズ等と交流。2001年解散しそれぞれソロ活動、日米の先鋭的アーティストと共演・プロデュースをしている。2011年10年ぶりにライヴで復活した。海外で活躍する日本人女性デュオでロックに拘らず雑食性に富んだ音楽を展開した点でロンドンのフランク・チキンズと双璧を成す存在といえる。小山田圭吾・野宮真貴・日暮愛葉等渋谷系との関わりも深い。



スウィンギング・ポプシクル
1995年結成の3ピースロックバンド。メンバーは藤島美音子(vo)、嶋田修(g,key)、平田博信(b)。1997年メジャーデビュー。大きなヒットは無いものの良質なポップサウンドが支持され現在まで7枚のシングル、2枚のミニアルバム、7枚のフルアルバムをリリースし地に足の着いた活動を続ける。ギターロック、フォーク、ネオアコ、フレンチポップ、ボサノヴァなどの影響を受けた素朴ながらオシャレなサウンド。渋谷系の流れを引き継ぎフリッパーズ・ギター・トリビュートにも参加。



●MENSU
女性の月のものを名前にしたこのギャルバンをいつどこで知ったのか記憶にないが背文字を見ただけで懐かしく即購入。帯には「アバンギャルドミュージックの頂点を目指してJUNのボーカルが楽器<ノイズ>となる。」と書いてある。音はディアマンダ・ギャラス、リディア・ランチ、スージー・スーのクリーチャーズ等を彷彿させる絶叫+トライバルロック。ルックスは全員SHOW-YAもしくはヴィジュアル系。北海道出身で元DMBQ現Metalchicks, CATSUOMATICDEATHのドラマー吉村由加やハイテクノロジー・スーサイドの元ドラマーのラビアンヌ・ミサがメンバーだったらしい。いかんせん「メンス バンド」でググると生理用品ばかり出てきて検索しようがない。動画を発見出来たのはラッキー。因みにブッコフではなくディスク・ユニオンの105円セールにて購入。



いろいろな
タイプがいるから
面白い

花祭りから1ヶ月後の花見オーラスの狂い咲きである。
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