村上春樹にインタビューした記事が、共同通信から配信され、このほど『毎日新聞』にも掲載された。『中日』は4月21、23日の両日だった。
村上の回答でこれはと思うところがいくつかあった。
日本が経済大国で、中国も韓国も途上国という時には、その関係の中でいろんな問題が抑え込まれていました。ところが中国、韓国の国力が上がって、その構造が崩れ、封印されていた問題が噴き出してきている。相対的に力が低下してきた日本には自信喪失みたいなものがあって、なかなかそういう展開を率直に受け入れることができない。
ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから。
日本人には、アジアではトップであるという認識があり、中国や韓国が塚らをつけてきたことに、腹立たしさを覚えているような気がする。だからことさら中国・韓国の台頭を気にかける。
「歴史認識」については、その通りだと思う。これは作家・辺見庸も言っていることで、謝罪しなくていいかどうかを判断するのは、日本ではないのだ。たとえばJR西日本の鉄道事故があったが、もう10年も経った、ずっと謝り続けているのだから、もう謝らなくてよい、とJR西日本が言ったとするとどうなのか、ということである。
原発の再稼働について。
15万人もの人が避難を余儀なくされています。長いあいだ住んでいた土地から突然立ち退かされるというのは、人間の魂が部分的に殺されるのと同じです。そういう人が15万人も生まれてしまったというのは、国家のあり方の根幹にかかわることです。経済効率の良しあしでは済まされない問題です。それが何ひとつ解決していないのに、構造的なリスクを抱えたまま原発を再稼働させるというのは、国家のモラルからしても論外だと思う。
「ニュークリアプラント(nuclear plant)」は本来「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。ニュークリア=核だから。原子力はアトミックパワー(atomic power)です。核が核爆弾を連想させ、原子力が平和利用を連想させるので「原子力発電所」と言いかえているのでしょう。今後はちゃんと「核発電所」「核発」と呼んだらどうかというのが僕からの提案です。
村上の言うとおりである。
避難されている方々は、今までの日常生活が完全に奪われてしまったのであり、その剥奪された日々がいつ終わるかも分からない状態に置かれている。そういう人々がいるのに、地震大国日本が再稼働してまた事故を起こしたらどうなるか。ネパールの地震やチリの火山爆発に見られるように、今地球は活発に動いている。
「核発電所」という呼称については、賛成である。
http://mainichi.jp/feature/news/20150427mog00m040004000c.html