浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

都知事選と『金曜日』

2014-03-07 13:13:24 | 読書
 今日は、『週刊金曜日』が届いた。先に行われた都知事選に関する記事や投稿があった。反原発を唱える候補者が一本化すべきであった、ということが尾を引いているのであるが、ボクは都知事選において、反原発候補が勝利することはないと、選挙の前から断言していた。というのも、東京都民は、1999年から石原慎太郎という人物を当選させてきたし、猪瀬直樹の際にも圧倒的多数の票を集めて当選している。東京都民は、最初から保守系の候補者を望んでいるのだ。そういう状態がすぐに変わるわけはない、と思っていた。

 しかし選挙が始まる直前、細川護煕が小泉前首相の支援を得て立候補を表明、一部の人たちが宇宮健児氏に立候補をやめさせようと動いた。これが今も尾を引いているようだ。

 ボクは、都政全般についての政策をもっている宇都宮氏が当選することが最善であると思っていたが、それは所詮無理。先に書いたとおりだ。では候補が一本化すれば当選したか。それは無理。先に書いたとおりだ。それにボクは、小選挙区制を導入した時の首相であった細川氏、格差社会を激化させた小泉前首相には、たとえ反原発になったとしても、怒りと疑問を抱いている。

 だから、反原発候補を一本化するなんて小細工はしなければよかったのだ。正々堂々とそれぞれが最初から闘う、これしかなかったのだ。

 今も、この問題で感情的しこりがあるようだが、こういうことこそ即座に忘れて「仲良く」、手をにぎりあって、反原発に邁進すべきなのだ。

 『週刊金曜日』でもいまだにこのことを論じ合っているが、そんなことよりも重大な課題がたくさんあるはずだ。論じれば論じるほど、亀裂が深まるということもあるだろう。双方が論難し合うことで、何か生産的なことが生まれるのか。

 もう都知事選の議論はやめよう。
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いつのまにか撮影されている!

2014-03-05 19:56:32 | 読書
 どこに行っても、監視カメラがある。ボクたちは常にどこかで撮影されている。すでに顔認証技術がすごく発達しているから、撮影したものを集めれば、ボクたちがどこにいたのかは瞬時にわかるようだ。

 犯罪捜査に使われるだけではなく、ボクらの行動が権力によって監視されるシステムができていくだろう。国民背番号制がもうじきできるし、国民は監視される存在となる。フィクションの世界ではなく、現実となる。

 以下は、共同配信記事。


大阪駅ビルでの撮影実験中止を 市民団体「憲法違反」

2014年3月5日 18時35分



 市民団体「監視社会を拒否する会」の田島泰彦上智大教授らは5日、東京都内で記者会見し、JR大阪駅ビルで通行人の顔を撮影して移動経路を調べる実験を中止するよう訴えた。実施する独立行政法人「情報通信研究機構」やJR西日本などに同日、要請書を送付した。

 田島教授は会見で「公共の場で無差別に映像を撮ること自体が問題。肖像権とプライバシーの権利を保障した憲法に違反する」と指摘した。

 機構によると、実験ではJR大阪駅と駅ビルからなる「大阪ステーションシティ」に約90台のカメラを設置。撮影した映像から人の顔の部分を検出し、どこをどう移動したかを調べる。期間は2年。

(共同)
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【本】クロード・ダヴィッド『ヒトラーとナチズム』(白水社)

2014-02-28 17:11:06 | 読書
 この本については途中経過を記してきた。読み終わって、現在のアビズム(Abism あるいはAbeism)は、ナチズムとの共通項を持っているということを感じた。

 それは、ナチズムが大資本の利益を最大限に尊重するものであったことをみると、アビズムと共通している。

 「大資本の利益を優先させる政策の前に、中産階級の利益が従来以上にかえりみられなくなったことはまぎれもない事実であった」(125)という記述に、法人税を減税し、大衆課税である消費税を増税する安倍政権の姿と重なってしまうのである。

 また「ヒトラー体制の好みと必要に応じて作られた規則にそって学習指導要領までが書き改められたので、教育はいきおい気ちがいじみたものとならざるをえなかった」(110)

 これも同じである。安倍の根拠なき被害妄想に基づく教育への干渉は、教育を根本から崩そうとしている。政権による恣意的な教育を合法化させる動きが活発化している。

 そして・・・

 「ドイツ国民のなかに、無関心層と、ヒトラーに盲従する層だけしかいなかったことが、けっきょく、このような暴君をそだてあげる原因となったといっていい。ヒトラーという、たった一人の人間のおかげで、ドイツ国民全体がおなじレッテルをはられるためとなったのである。」(168)

 残念ながらボクは日本国民なのである。安倍の愚策により、今日本は国際社会からの不信と疑惑のなかにある。日本国民であるボクは、安倍と同じような人間だというレッテルを貼られたくはない。

 今、ナチズムについて学ぶ必要がある。だからこそ、それを恐れる者たちが、アンネの日記のようなファシズムと関わるものを「焚書」しているのである。
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【本】外池昇『天皇陵の誕生』(祥伝社新書)

2014-02-27 15:02:58 | 読書
 井上亮の『天皇と葬儀』に紹介されていたので図書館から借りて読んだのだが、あえて読むまでもなく、井上の本で、この本に記されている内容は十分である。


 祥伝社新書を初めて読んだが、字が大きくて、字間があいていて、さらにルビが多い。読みやすいことを考えてそうしているのだろうが、内容的には緻密ではない。


 強いて言えば、実在していなかった神武天皇の墓であ神武天皇陵が奈良県にあるが、そこに比定されるまでの経緯が書かれているが、井上の本のほうがわかりやすく明解である。壇ノ浦の合戦で海に沈んだ安徳天皇の墓が下関に、即位したかどうかがよくわからなかった南朝方の長慶天皇の墓が嵐山にあるという。いずれも近くまで行ったことはあるのだが、説明もなかったような気がする。いずれにしても根拠ないままに決められたものだ。

 本書は読む必要なし。
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内閣が独断で憲法を骨抜きにしようとしている

2014-02-27 08:58:08 | 読書
 ボクは今、フランス人が書いた『ヒトラーとナチズム』を読んでいるが、ナチズムと一緒だということはいわないが、似ているところはたくさんある。

 まず1933年の「全権委任法」により、(中央)政府のすべての権限が「総統」に独占されるようになったが、今自民党政権は安倍の独断専行にブレーキをかけることすらできず、現代日本では「全権委任法」がなくても、実質的に安倍の「独裁」を許容するという状態だ。

 下記のように、解釈により壊憲しようという目的から、法制局長官に自らの意図を実現させうる人物を据えた。法治主義、法の安定性など、法に対する信用性を根本から覆す蛮行である。

 以下は、『毎日新聞』記事。

小松法制局長官:「解釈変更ありうる」 退院後初答弁

毎日新聞 2014年02月26日 21時03分(最終更新 02月26日 22時38分)

 小松一郎内閣法制局長官は26日、衆院予算委員会分科会で、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更について「それ自体は厳しい制約の中でありうる」と述べ、内閣の方針次第で可能との認識を示した。その上で「内々に、検討も議論も法制局内でやっている」と述べ、既に解釈変更の検討作業に着手していることを明らかにした。民主党の辻元清美氏の質問に答えた。

 小松氏は体調不良で約1カ月間入院しており、国会での答弁は今月24日の職務復帰後初めて。政府が憲法解釈を変更する場合、法制局が示す意見について、小松氏は「最終的には私の責任で判断する」と表明した。安倍晋三首相は私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が4月にもまとめる報告書を待って、解釈変更を検討する考えを示している。【影山哲也、朝日弘行】


 また『ヒトラーとナチズム』にこういう記述があった。

 ナチ党が政権につくとすぐ大新聞の幹部追放が行われ、なかには廃刊を命じられたものもあった。かわってナチ党員のなかから経営者が任命されたのである。

 安倍首相がNHKに対して行った所業とうり二つである。安倍政権は、ナチスときわめて近似的である。
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日和見

2014-02-24 19:25:20 | 読書
 ボクは、ワイマール共和国の中からヒトラーが権力を掌握する動きに関する本を読んでいる。これに関連する本を、書庫から引っ張り出して読んでいるのだが、まさかこの種の本が書庫から出される時代が来るなんて、予想すらしていなかった。

 今読んでいる本はクロード・ダヴィド『ヒトラーとナチズム』(白水社 文庫クセジュ)である。

 第一次大戦後から1930年代のドイツと、現在の日本とではまったく時代状況が異なるが、しかし表層に現れることは、現在と共通するところがある。

 たとえば、政策が行き当たりばったりで、体系性がない、支持を求めようとする対象となる人々が喜ぶようなことを政策宣伝するが、それをずっと維持するわけではない。たとえば当初は中産階級の利益を守るように動いていても、産業資本や大地主など支配層の支持を得るために(その支持なくして政権にはつけない!)、中産階級の没落に手を貸すような政策を行う、というように。

 安倍政権も同じような側面を持っているように思える。安倍自身に体系的な思想があるわけではないので、官僚や支配層の意向をもとにしながら、自らのアナクロニズムにもとづく国家主義的な動きを時々露出させる。

 しかし、基本的には、安倍政権を動かして自らの政治的・経済的利益を獲得していくという支配層をきちんと認識すべきであろう。

 ヒトラー政権の背後に、ドイツ支配層の意向が貫徹していたように・・・。
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【本】井上亮『天皇と葬儀 日本人の死生観』(新潮社)

2014-02-23 10:54:40 | 読書
 著者井上氏は日本経済新聞の編集委員。良書である。井上氏は、決して歴史研究者ではない。しかし、数多の研究書を読破し、その研究成果をもとにして本書をまとめた。学問研究が、こうした一般書として発売されることはとてもよいことだ。

 得てして、学者が研究したものが社会の中に流布して常識化していくことはほとんどないといってよいだろう。それは学者にも責任がある。学者の研究は学者に向けて記されるために、一般国民の目に触れないどころか、目に触れてもなかなか読みこなすことはできないからだ。

 井上氏が依拠した研究書のほとんどは、きちんとしたもので、それを十二分に消化し、一冊の本として上梓された。

 特に「第4章 尊皇思想と天皇陵の「創設」」と「第5章 忠孝の教化と国民統合」は、力強い筆致で、常識化されている言説の化けの皮をはいでいく。天皇陵の比定のウソと杜撰さ、新しい祭祀の創出(伝統とはとてもいえない!)など、研究成果をもとにこれでもかこれでもかと示していく。

 近代国民国家の成立は、新しい伝統の創出でもあるが、日本の場合は天皇制にまつわる新しい伝統がつくられた。そしてそれがあたかも、ずっと以前から伝えられている「古式」だとされてきた。メディアがそうした誤った認識を育て上げてきたのであるが、本書はそれを学問的に否定していく。

 とても参考になる。

 「神武天皇」や「万世一系」、「伊勢神宮」などは、近世末から名文論のなかで儒学者たちから注目されるようになったもので、それまではまったくなかったイデオロギーであった。そうしたことがきちんと書かれている本である。文献案内としても有益である。

 是非読んで欲しい。1600円+悪税





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【本】村瀬興雄『ナチズム』(中公新書)

2014-02-22 09:58:20 | 読書
 1968年に出版された本である。しかし、ナチズムに関する本は最近はあまり出版されず、出版されても新しい視点で書かれたものが多く、史実をきちんと追う本は数十年前にだされたものが多い。

 ナチスドイツがなぜ勃興したのかは、すでに1960年代の研究でほぼ結論が出ている。

 現在安倍政権の独走、独裁ぶりが指摘され、安倍首相とその周辺の「お友だち」に対する批判が行われている(ボクもその一人である)が、ナチズムを考えると、それだけではすまないと思う。

 というのも、なぜにヒトラーのナチズムがドイツで覇権を掌握できたのかを考えると、そこに支配層や被支配層の意思があったからだ。

 その具体的な内容が本書に記されている。

 ヒトラーの政策や行動は、ドイツに於いては突飛なものではなく、ドイツ支配層の思考と一致していたから、ヒトラーは政権を握ることができたのである。

 19世紀末に始まったドイツ膨張主義、20世紀に入ってから、ドイツの支配勢力は、ヨーロッパに広域経済圏をつくりあげることを企図した。もちろんそこではドイツが主導権を握るのだ。そして東ヨーロッパにはゲルマン民族を移住させ東方にドイツの勢力を扶植していくということを考えていた。第一次世界大戦はそうしたドイツ支配勢力の野望のために行われたのである。ドイツは第一次大戦に巻き込まれたのでは決してないのである。

 結果的に第一次大戦でドイツは敗戦国となり、逆に領土が減ってしまった。


 
※現在のヨーロッパは、期せずしてドイツ支配勢力の長年の夢が叶っている状態だと言える。ヨーロッパ経済圏で主導的な位置にあり、経済統合の利益を最も獲得し得ているのがドイツだ。第2次大戦後、ドイツは平和的な手段で19世紀末以降のドイツ膨張主義の野望を実現した、といえるのだろう。


 だがドイツ支配勢力は、前記の野望を失わなかった。ヒトラーの政策は、ドイツ支配勢力の思考と合致していたのである。もちろんだからドイツ支配勢力は、ナチスを支えた。

 1945年まで、ドイツ支配勢力はナチスを支持していたし、ドイツ人の多くもそれを支えた。ナチスドイツは政権を掌握してから、失業をなくし、農業生産を拡大し、国民の生活水準を上昇させた。大衆がナチスを支持する理由である。

 翻って現在の日本をみると、安倍政権を大衆が支持する理由は見当たらない。国民の生活水準は低下するし、TPPによって農業は断末魔にきているし、失業は増大し、非正規労働者は低賃金に泣き、正社員は過酷な労働で痛めつけられている。ところが、安倍首相に対する支持は高い。ここに日本人の特性が表れていると思えてくるが、それはいずれ検討したい。

 ドイツに戻そう。「あとがき」で村瀬氏は、「ナチズムはむしろドイツ帝国主義にそれなりに適した政治機構であった」と記す。そうだろうと思う。それは同時に、現在の安倍政権についても言える。

 ボクたちは、安倍首相のお友だちたちの妄言に批判を加えているが、それだけではなく、安倍首相を、声を出さずに支持している現在の日本の支配勢力のあり方に眼を向けなければならない。安倍政権の政治は、日本の支配勢力による統治に適合的なのだ。

 安倍首相は、日本の政治システムについての理解力を欠き、民主主義についても無知だ。そういう無知な首相は、「ボクって首相だから偉いんだ、ボクはやりたいことは何でもやるよ」というように行動しているが、今のうちにボクたちは批判を強めねばならない。

 村瀬氏は、こう書いている。

 ・・・とくに穏和自由派や指導的知識人の態度を重視せねばならない。この派の重要人物が帝国主義とナチズムに対して、きびしい批判の態度を貫き通していたならば、第三帝国の成立と発展は、はるかに困難となっていたに違いないのである。

 現在日本の指導的知識人は、「きびしい批判の態度」をもっていない。ナチズムならぬアビズムの支配を阻止する力は、残念ながら弱いと言わざるを得ない。

 村瀬氏の最後の文。

 ドイツ民衆の多くは、自分らの生活向上と幸福とを求めてナチスを支持したが、これまで既成政党によって裏切られてきたように、ナチスによっても裏切られたのである。
 
 民衆は裏切られ続ける。裏切られ、裏切られても、学ばない。

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「心の体力」

2014-02-19 20:36:56 | 読書
 今日『DAYS JAPAN』3月号が届いた。今月号は、福島原発事故関係の記事・写真が多い。

 特集の2が、「福島の食卓」である。

 福島に住む、ただそれだけで通常ではありえない放射線を浴びざるを得ないのだから、食事に気を遣うのは当たり前だ。

 我が家でも、魚は日本海か九州・四国で獲れたもの、野菜はボクがつくったものか、あるいはこの地域の農家がつくった野菜を売っているファーマーズマーケットで購入したものしか食べない。

 いくら福島県産が「安全」だといわれても、信用できないのだ。事故が起きた時の、あるいはその後の、東電や政府、福島県などのひどい対応を見ている以上、この問題に関して彼らを信用することなどできるわけがない。自分たちが自分たちの健康を気にかけるしかないというのが、そこで学んだことだ。

 この特集に、4軒の食材の例が示されているが、九州や中国地方から取り寄せていることがわかる。子どもに少しでも安全な食を提供しようという熱意が伝わってくる。しかし、給食では、できるだけ福島県産をつかっているというのだから驚く。

 学校給食に福島県産をつかう理由は、「風評被害を払拭するため」「安全性をアピールするため」ということらしいが、おしどりマコが「みんなが怖がって乗らないから、と新しく出来たジェットコースターに子どもたちを乗せて安全性アピールっておかしいでしょ?」と記しているが、まったくその通りだ。

 NPO法人いわき放射能市民測定室の鈴木薫事務局長は、こう記している。

 県内でも今、食品に対する人々のとらえ方はさまざまで、農家の方も、自分のところで採れる農作物について、危ないとは言いにくい事情もあります。しかし、食べ物の放射能について正しい知識を求めるなら、事故の本質を見つめる目を持つしかないと思います。そして、見つめることをやめない心の体力が必要です。

 「見つめることをやめない心の体力」は、いかなる分野でも必要だ。これこそが、ボクたちの活動の原動力となる。

 「心の体力」、いいことばだ。
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【本】中島岳志・森まゆみ『帝都の事件を歩く』(亜紀書房、2012年)

2014-02-18 22:46:53 | 読書
 学生時代を過ごしたのに、東京をボクはほとんど知らない。あまり出歩かなかった。美術館やホールなどには行ったが、歴史的事件が起きたところや有名人の足跡をたどることができるようなところなど、まったくもって知らない。

 ボクは、この年齢になって、東京を歴史的な現場を歩いてみたくなっている。そのために読んだ本だ、

 確かに東京は文化人が住み、重大事件が起き、そして政治や経済の中心地である。そこに多くの人が集まる。だがボク自身は、東京に住みたいとは思わない。

 さて、本書に登場してくる者たちの多くは、煩悶青年である。青年の、すべてではないが、自らの生き方や社会のあり方などを考え煩悶する。その煩悶の中から、政治の方向に歩む者がいる。東京で起きたテロ事件も、そうした人物によって起こされている。

 煩悶青年が、歴史に大きな衝撃を与える。そうした衝撃が起きた現場が、今も残る。

 読んでいて、森も中島も、多くのことをよく知っている。ボクも文学作品は高校時代からたくさん読んではいるが、作品だけに関心を抱いていたから、その作者の生の軌跡についてはほとんど知らない。

 文学を読むということは、その文学の作者の生の軌跡に中に位置づけなければならないと思った。

 本を読み、さらに別の本を読みたくなる。本がボクを追ってくる。ボクは中学生の頃から、何でも知りたい、分かりたいという願望を持ち続けている。知っていないと、分かっていないと不安になる。

 この本も、そうした別の本への欲求、そして東京各所の探訪へと誘う。暖かくなったら、東京へ行って、歴史の現場を探ろうと思う。
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【本】山田朗『日本は過去とどう向き合ってきたか』(高文研)

2014-02-17 19:00:16 | 読書
 ここには、大日本帝国が周辺の諸国民にいかなる蛮行を行ってきたのかが、最近の歴史修正主義者の発言を事実でもって論破するなかで記されている。

 ボクは土曜日の研究会でも話したが、日本人は想像力が不足していると思う。

 1945年に終わった戦争は、空襲を除き、地上戦は日本以外(但し沖縄はじめ硫黄島などは別)の地で行われたのだ。そこでは、民家が焼かれ、民間人が殺され、強姦され、略奪されたのである。

 そうした行為は、日本軍が入り込む中で行われたのである。就寝中、土足で上がり込んできた兵士に銃剣を突きつけられ、殺され、奪われ、そして焼かれたのである。日本軍兵士だけが行ったとはいわない。軍隊と軍隊が戦火を交えてるときは、双方ともひたすら破壊と殺人を繰り広げる。戦争とは、本質的には、破壊と殺人である。民間人はその渦中に投げ込まれるのである。

 だがしかし、もし日本軍が入ってこなかったら、そういうことは起きなかった。

 中国、韓国、シンガポール・・・アジア諸地域を訪れると、必ず戦争の惨禍の記憶や記録を目にする。他国の軍隊が入り込み、戦争の惨禍に苦しんだ人々は、みずからの体験を忘れない、また子どもたちに伝えていく。加害者は伝えないが、被害者は伝えていく。

 そうした記憶や記録が、うずたかく積まれている。

 だがもし再び、戦争が起きたとき、被害を受けた者の子孫たちは、眠り込んでいる記憶を甦らせるだろう。今度はやられないようにしようと、おそらく戦意を高めて戦場にやってくるだろう。

 そのようなことは、ユーゴスラヴィアで起きている。ユーゴスラヴィアは、第2次大戦後チトー大統領のもとで、宗教や民族が異なる人々によって作り上げられた国家だった。だがチトー亡き後、ユーゴはばらばらになった。分裂しただけではなく、ユーゴスラヴィアという国家の構成員だった者たちが手に手に武器を持って殺し合ったのだ。イスラム教徒、セルビア正教徒、カソリック教徒、それぞれが殺し合ったのだ。その背景に、ナチスドイツの影があった。第2次大戦中、ナチスドイツとつながった地域、ナチスドイツにひどい目に遭った地域があった。1930年代から40年代にかけて敵対関係にあった地域同士が、ユーゴスラヴィアという国家が分裂をはじめたとき、それぞれが戦時下の記憶を甦らせた。そしてより凄惨な殺しあいがおきた。

 ボクたちは、想像力をもたなければならない。日本の周辺には、大日本帝国によって苦しめられた人々の記憶や記録が、うずたかく積まれていることを。

 未来の日本人が、平和で幸せに仲良く生きていけるようにするために、ボクたちがすべきことは何か。それは、ドイツが行っている。それを模範にすべきだ。

 過去の記憶や記録を、過去の歴史的事実として、歴史の中に固定する。そのためには謝罪が、まずなければならぬ。もちろん、軍隊を派遣した大日本帝国の後裔がそうした謝罪を続けなければならないのだ。

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【本】小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』(ちくま新書)

2014-02-17 11:19:00 | 読書
 日本において、局所的にはありうるが、日本全体ではナチズムのようなものはありえないという気がする。なぜならば、ヒトラーのような予言者然とした人物により、日本国民の多くが精神的に籠絡されるということは想像できないからだ。

 局所的にはあり得るというのは、オウム真理教の例があるからだ。それ以外にも知られていないカルト教団が存在しているかも知れない。ナチズムは、ドイツ一国がカルト教団化してしまったものだと言える。ドイツ国民は、ヒトラーという教祖への「自発的隷従」の徒と化したのである。

 日本人には、そうした「自発」というものが想定できない、それがボクの考えだ。つまり「自発的隷従」というのは、少なくとも自らが考えた後でのまさに「自発的」な「隷従」なのだ。日本人は考えないから「自発的」というのではなく、まさに「隷従」だけだ。そうした「隷従」の場合、ナチズムのように積極的に関わるのではなく、静かに消極的に関わる、つまり「隷従」させられる。

 さてこの本を読んでいくつかのことを知り、また考えた。

 まずドストエフスキーのことだ。ナチスの宣伝相ゲッペルスは文学愛好家だったようだ。彼はドストエフスキーから大きな影響を受けているという。その作品の中でも「悪霊」。

 ボクは学生時代、ひたすらドストエフスキーに耽った。今も、彼の小説や日記は、書庫に鎮座している。ドストエフスキーから、人は多くを学ぶが、その受け取り方はひとりひとり異なるようだ。ボクの場合は、「真実美しい人間」とは、いかなる人間かを学んだ。まさに求道者的アプローチであった。

 ゲッペルスは、「悪霊」のこの箇所に多くを学んだようだ。

 理知と化学は国民生活において、常に創世以来今日にいたるまで第二義的な、御用聞き程度の職務を司っているに過ぎない。それは世界滅亡の日まで、そのままで終わるに相違ない。国民は全く別な力によって生長し、運動している。それは命令したり、主宰したりする力だ。けれど、その発生は誰にも分からない。また説明することもできない。この力こそ最後の果てまで行き着こうとする、渇望の力であって、同時に最後の果てを否定する力だ。

 ゲッペルスは、この「力」を信じ、その「力」を持った人間を発見した。ヒトラーである。その「力」に救済を求めたのである。

 「救済」。強い指導力をもった人物による救済。人は、こういう救済を求めるようだ。ナチスに加わっていった者には、「知的・経済的によりすぐれた者」に対して大きなルサンチマンを持っていたようだ。憎しみ、憎悪、怨恨、そうした否定的な感情の力が、ヒトラーのような「力」を持つと思われた人物に向かって集められ、そして縒りあわされていった。その「力」に合一化する中で、人は救済されていった。

 現在日本にもルサンチマンを抱く者は多く、また増えている。そうした者が、「力」あると思われる人物に靡いていく。ボクたちは、その姿を、都知事選挙でよく見慣れている。石原、田母神・・・・

 ナチズムらしきものは、日々再生産されているのではないか。

 
※ボクは「悪霊」をもう一度読まなければならないようだ。
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【本】宮田光雄『ナチ・ドイツと言語』(岩波新書)

2014-02-16 14:52:23 | 読書
 実はこの本は図書館から借りた本。2002年に刊行されたものだが、今は店頭に並んでいない。調べたら今月復刊されるとのこと。岩波も、現在の日本の危険な兆候を感じて、こうした本を復刊したのだろうか。

 さて宮田氏は、クリスチャンでもあるが、政治思想史、政治学の学者である。『ナチ・ドイツの精神構造』(岩波書店)が有名な本である。本書は、ドイツ政治史の研究の傍らに拾い集めたナチス・ドイツ下の興味深い話を編んだものである。

 独裁者の言語/映像の言語/教育の言語/地下の言語/深層の言語と5つの章に分かれている。

 もっとも興味深かったところは、「地下の言語」であったが、「独裁の言語」に注目すべき記述があった。これはヒトラーの言葉。
  
「広範な大衆に働きかけ、少数の論点に集中し、同一の事柄をたえず繰り返し、反論し得ない主張になるまでテキストを確実に把握し、影響が広がることを望みながら辛抱強く忍耐すること」

 それを宮田氏はこう解説する。「大衆の情緒的な感受性にこたえて、論点を黒白図式で〈単純化〉して示すこと、それを〈くり返し〉訴え続けること、断固とした口調で大胆に〈断定化〉することによって、ザッハリッヒ(=即物的・客観的)な議論の代わりに確信させようする手法」。

 まさに安倍首相の「お友だち」やその支持者が行っている放言とそっくりである。

 「映像の言語」は、ナチの映画を制作した、レニ・フェンシュタールのこと。その『意志の勝利』という映画が何を語っているかを記したもの。

 「地下の言語」は、ナチ時代のジョークについての話だが、ジョークというものをどうとらえるのかというジョーク論ともいうべき内容。これを読んでいて、ボクの持っていることばや語彙に、ジョークがないということを痛感した。ジョークについては、今は亡き劇作家の飯沢匡さんのことが思い出された。笑いにより政治や社会を厳しく風刺する、今そういった力が、D-Pに欠けているのではないかと思った。
 
 「深層の言語」は、ナチスの支配が心の奥底にまで及んでいることの証左として読んだ。ファシズムというのは怖いものだが、支配者というのは、そこまでの支配を望むものだ。

 1930年代論は、今必要だ。過去から学び、現在と未来に生かすのである。

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歴史は繰り返す

2014-02-12 15:02:04 | 読書
 以前、丸山真男の回顧談を読んでいると、現在が、丸山が生きた「昭和戦前期」と相似形であることを指摘した。

 この度の都知事選挙に於いて、田母神候補が60万票も獲得したことは、やはり現在の日本は明確に右傾化しているといってもよいように思う。

 そこでボクは数週間前から、橋川文三の著作を詠み始めている。橋川は、「昭和戦前期」における「昭和維新」を唱えた者たちを「超国家主義者」として切り捨てるのではなく、内在的に理解しようとした政治思想史の研究者である。

 昨日は「建国記念の日」。戦前で言えば「紀元節」である。これは記紀の記述を、近代天皇制国家がみずからの正当化のために新しく作りなおしたものである。そしてそれが戦後「建国記念の日」となった。その制定に、オリエント学研究者の三笠宮が反対の意思を表明したことは記憶されてよいことだろう。

 今ボクは、記紀、中世の神道、国学、幕末維新期の国学の政治の場への登場、そして「昭和戦前期」の「昭和維新」などの国体論的国学、そして現在というように、日本の歴史の暗部に地下水のように流れている国学的思考、こういったものを研究しようという気持ちを持っている。

 日本の右傾化は、現在の社会情勢がつくりだしているものでもあるが、しかしその淵源は日本の歴史のなかにも胚胎していると思う。

 研究は、現代的な課題に対応してなされなければならないと思う。学生の頃、明治維新の研究者である遠山茂樹氏が講演会などでしきりにこのことを話されていた。そのときの思いを、今も持ち続けている。

 

 最近ブログを書くことが少なくなっているが、この週末二つの仕事があり、その準備にとりかかっているからだ。

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無駄遣い 6億円!(その2)

2014-02-03 20:44:31 | 読書
 橋下市長が辞任し、その後行われる選挙に出馬するという。何という駄々っ子ぶり、こんなあほらしいことに6億円。このお金、もともとは税金、もっともっとよりよい使いみちがあるはず。

 と思っていたら、「自業自得」という声があった。テレビ番組で有名になって政界に出て・・・そして大阪都構想などというもうほとんど実現しないようなもの(堺市長選で反対された!)で、ずっとガタガタしている。

 まず大阪府知事となり、さらに子飼いの者を知事にして、自らが市長となり・・・選挙を繰り返して大金をつかわせた。

 そんな橋下を府知事にしたり、市長にした大阪の人々は、自ら責任をとって選挙ばかりにカネをつかえばいいのだ、という声が聞こえてきた。「自業自得」ということだ。

 どうなるかわからないが、何とあほらしい!

 この問題を真面目に取り上げているブログを紹介する。

http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2673.html
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