とても暑い日が続く。この暑い日々、私は午後3時頃から、庭仕事や農作業に従事する。蚊取り線香をあちらこちらにおいて、麦わら帽子を被り、クビのあたりにタオルを巻き、さらに顔には日焼け止めを塗る。
この時間は酷暑の中である。水を飲み飲み、また塩飴をなめ、熱中症にならないように気をつけて体を動かす。
もちろん全身汗まみれである。
暑いからといって冷房の中にいるなら、暑さに耐えられない体になってしまうことを私は恐れている。また一日に一回は汗をだすことも必要だろうと思う。
ところで、暑い時には幽霊やお化けの話をして涼もう、ということなのか、今月号の『芸術新潮』の特集は、“美女と幽霊”である。
その最初のところで、安村敏信氏は、幽霊と妖怪をどう位置づけるかを記している。今まで考えたこともなかったのだが、妖怪は「異界」に住み、幽霊は「他界」に住むのだという。では生霊はというと、それは「祀られぬ霊」である妖怪の一種だが、人間の姿で現れる幽霊のカタチをとるから、これは幽霊と妖怪のクロスするところに位置づけよう、と提案している。
私はこの種のものを信じないが、しかし古今東西の絵師や画家は、妖怪や幽霊を描いてきている。今月号は、そうしたものがたくさん掲載されている。
それらの絵に共通しているのは、幽霊には足がないと言うことだ。なぜ足がないのか。足がなくても、幽霊は動く。足がないから音を立てずに行動できる、あるいはかなり自由に移動できるから?
幽霊の絵を見ながら、いろいろ考える。
幼い時は幽霊の存在を信じていたが、中学生の頃から信じなくなった。その理由は以下の通りだ。もし幽霊がいるなら、たとえばヒロシマで原爆死を強制された人々は、当然自分たちを死に至らしめた人々に生き霊として出てくるべきだ。しかしでない。非業の死を強制された人々は、すべからく生き霊としてでてくるべきなのだが、出てきていない。
ならばいるわけがない、というものだ。