今日の『東京新聞』夕刊の記事。日本の「属国」状態を示す記事。他紙も報道している。
米圧力で首相演説修正 65年沖縄訪問時 佐藤氏「基地重要」
2015年1月15日 夕刊
一九六五年八月に当時の佐藤栄作首相が米国統治下の沖縄訪問時に行った演説に関し、基地の意義を強調するよう求める米側の圧力で内容を修正していたことが、十五日公開の外交文書で明らかになった。冷戦下を念頭に「極東の平和と安定のために沖縄が果たしている役割は極めて重要」との一節を加え、実際に読み上げた。基地存続を前提とする文言で、米軍普天間飛行場を含む沖縄の過重負担問題に影響を及ぼしたと分析できる。
佐藤氏が沖縄訪問時に、米側現地トップのワトソン琉球列島高等弁務官との会談で「返還は日米安全保障条約の下に実施したい」と伝えていたことも判明した。当時米国は七〇年の安保条約延長の見送りを懸念しており、佐藤氏としては米側に延長を示唆する意図があったとみられる。
佐藤氏の沖縄訪問を受け、沖縄返還交渉は六七年から本格化し、七二年の返還実現につながった。
佐藤氏は六五年八月十九日に沖縄を訪れた。二日前の十七日付で外務省が作成した文書などによると、日本側と在日米国大使館担当者が十七日、佐藤氏の現地での演説内容をめぐり協議した。
米側は、事前に受け取った那覇空港到着時と映画館「国映館」での演説案について「沖縄の戦略的、軍事的重要性に言及していない」と指摘。「極東全般のみならず日本防衛に有する重要性を述べることを強く希望する」と迫った。
日本側は「首相決裁後で変更は困難」と伝えた。しかし、米側は翌十八日の協議で「ワシントンより訓令」とした上で「米国施政への軽蔑」「このままでは沖縄での日米協力関係に障害があり得る」と、強い口調で対応を求めた。
結局、日本側は佐藤氏の判断で国映館の演説については譲歩し、十八日中の再協議で「わが国は安保条約で米国と結ばれている。沖縄の安全がなければ日本本土の安全はない」などの内容を加えた案を米側に手渡した。
一方、日本側は空港到着時の演説最終案に、当初案にはなかった「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていない」との有名な一節を盛り込み、佐藤氏は返還への強い決意をアピールした。
米圧力で首相演説修正 65年沖縄訪問時 佐藤氏「基地重要」
2015年1月15日 夕刊
一九六五年八月に当時の佐藤栄作首相が米国統治下の沖縄訪問時に行った演説に関し、基地の意義を強調するよう求める米側の圧力で内容を修正していたことが、十五日公開の外交文書で明らかになった。冷戦下を念頭に「極東の平和と安定のために沖縄が果たしている役割は極めて重要」との一節を加え、実際に読み上げた。基地存続を前提とする文言で、米軍普天間飛行場を含む沖縄の過重負担問題に影響を及ぼしたと分析できる。
佐藤氏が沖縄訪問時に、米側現地トップのワトソン琉球列島高等弁務官との会談で「返還は日米安全保障条約の下に実施したい」と伝えていたことも判明した。当時米国は七〇年の安保条約延長の見送りを懸念しており、佐藤氏としては米側に延長を示唆する意図があったとみられる。
佐藤氏の沖縄訪問を受け、沖縄返還交渉は六七年から本格化し、七二年の返還実現につながった。
佐藤氏は六五年八月十九日に沖縄を訪れた。二日前の十七日付で外務省が作成した文書などによると、日本側と在日米国大使館担当者が十七日、佐藤氏の現地での演説内容をめぐり協議した。
米側は、事前に受け取った那覇空港到着時と映画館「国映館」での演説案について「沖縄の戦略的、軍事的重要性に言及していない」と指摘。「極東全般のみならず日本防衛に有する重要性を述べることを強く希望する」と迫った。
日本側は「首相決裁後で変更は困難」と伝えた。しかし、米側は翌十八日の協議で「ワシントンより訓令」とした上で「米国施政への軽蔑」「このままでは沖縄での日米協力関係に障害があり得る」と、強い口調で対応を求めた。
結局、日本側は佐藤氏の判断で国映館の演説については譲歩し、十八日中の再協議で「わが国は安保条約で米国と結ばれている。沖縄の安全がなければ日本本土の安全はない」などの内容を加えた案を米側に手渡した。
一方、日本側は空港到着時の演説最終案に、当初案にはなかった「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていない」との有名な一節を盛り込み、佐藤氏は返還への強い決意をアピールした。