暇を見つけては、長田弘の本を何冊か借りてきて読んでいる。ボクがつかうことばも、長田さんがつかうことばも、同じ日本語なのに、長田さんが書いたことばは、なぜか後ろに広い広い空間がある。その空間には、様々な思考がとびかっている。一筋縄ではいかないような、深い、深い意味が隠されている。ボクがつかっていることばと同じなのに。
『世界は一冊の本』(晶文社)という詩集がある。ボクはそれを読む。ことばを、いつものようにすらっと読みすすむことができない。
先ほど、『東京新聞』夕刊一面を読んだ。「防衛相 立憲主義を軽視」「「解釈変更は政府の裁量内」」などと、中谷防衛大臣は答弁したそうだ。
日本国憲法の第九条をどう読めば、自衛隊が他国の領土・領海・領空で他国の軍隊と一緒になって軍事行動を行うことができるのか。
どういう文であろうとも、政府はその文が示す内容と全く正反対の解釈も可能という乱暴な議論を、国会ではしている。
ここでは、ことばは何ごとかを意味しているのだが、その意味自体を死に追いやっている。
長田弘は、こう綴っている。
気をつけたほうがいいのだ、
何事もきっぱりと語る人には。
です。あります。なのであります。
語尾ばかりをきっぱりと言い切り、
本当は何も語ろうとしない。
ひとは何をきっぱりと語れるのか?
語るべきことをもつひとは、言葉を
探しながら、むしろためらいつつ語る。
語るべきものをもたない安倍政権の大臣たちは、何も語ろうとしない、いや他者に意味を伝えることを放棄している。語尾ばかりは、はっきりしているが、その前には、意味をなさないことばの群れがある。
彼らは、その言葉の群れを連ねることで、時間を食いつぶしている。時間が食いつぶされたその後には、意味のあることばの葬列が行われ、意味をなさないことばが乱舞する。
その葬列は、人間自身の葬列へとつながっている。
『世界は一冊の本』(晶文社)という詩集がある。ボクはそれを読む。ことばを、いつものようにすらっと読みすすむことができない。
先ほど、『東京新聞』夕刊一面を読んだ。「防衛相 立憲主義を軽視」「「解釈変更は政府の裁量内」」などと、中谷防衛大臣は答弁したそうだ。
日本国憲法の第九条をどう読めば、自衛隊が他国の領土・領海・領空で他国の軍隊と一緒になって軍事行動を行うことができるのか。
どういう文であろうとも、政府はその文が示す内容と全く正反対の解釈も可能という乱暴な議論を、国会ではしている。
ここでは、ことばは何ごとかを意味しているのだが、その意味自体を死に追いやっている。
長田弘は、こう綴っている。
気をつけたほうがいいのだ、
何事もきっぱりと語る人には。
です。あります。なのであります。
語尾ばかりをきっぱりと言い切り、
本当は何も語ろうとしない。
ひとは何をきっぱりと語れるのか?
語るべきことをもつひとは、言葉を
探しながら、むしろためらいつつ語る。
語るべきものをもたない安倍政権の大臣たちは、何も語ろうとしない、いや他者に意味を伝えることを放棄している。語尾ばかりは、はっきりしているが、その前には、意味をなさないことばの群れがある。
彼らは、その言葉の群れを連ねることで、時間を食いつぶしている。時間が食いつぶされたその後には、意味のあることばの葬列が行われ、意味をなさないことばが乱舞する。
その葬列は、人間自身の葬列へとつながっている。