浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ことばの葬列の、その後には

2015-06-05 19:35:05 | 日記
 暇を見つけては、長田弘の本を何冊か借りてきて読んでいる。ボクがつかうことばも、長田さんがつかうことばも、同じ日本語なのに、長田さんが書いたことばは、なぜか後ろに広い広い空間がある。その空間には、様々な思考がとびかっている。一筋縄ではいかないような、深い、深い意味が隠されている。ボクがつかっていることばと同じなのに。

 『世界は一冊の本』(晶文社)という詩集がある。ボクはそれを読む。ことばを、いつものようにすらっと読みすすむことができない。

 先ほど、『東京新聞』夕刊一面を読んだ。「防衛相 立憲主義を軽視」「「解釈変更は政府の裁量内」」などと、中谷防衛大臣は答弁したそうだ。

 日本国憲法の第九条をどう読めば、自衛隊が他国の領土・領海・領空で他国の軍隊と一緒になって軍事行動を行うことができるのか。

 どういう文であろうとも、政府はその文が示す内容と全く正反対の解釈も可能という乱暴な議論を、国会ではしている。

 ここでは、ことばは何ごとかを意味しているのだが、その意味自体を死に追いやっている。

 長田弘は、こう綴っている。

 
 気をつけたほうがいいのだ、
 何事もきっぱりと語る人には。

 です。あります。なのであります。
 語尾ばかりをきっぱりと言い切り、

 本当は何も語ろうとしない。
 ひとは何をきっぱりと語れるのか?

 語るべきことをもつひとは、言葉を
 探しながら、むしろためらいつつ語る。



 語るべきものをもたない安倍政権の大臣たちは、何も語ろうとしない、いや他者に意味を伝えることを放棄している。語尾ばかりは、はっきりしているが、その前には、意味をなさないことばの群れがある。

 彼らは、その言葉の群れを連ねることで、時間を食いつぶしている。時間が食いつぶされたその後には、意味のあることばの葬列が行われ、意味をなさないことばが乱舞する。

 その葬列は、人間自身の葬列へとつながっている。
 
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危険なマイナンバー制度

2015-06-05 14:02:07 | 政治
 個人を支配統制するために導入されようとしてるマイナンバー制度。コンピュータで管理し、当然ネットを利用するのだが、しかし年金の個人情報が流出したように、ネットは危険だ。しかしネットを駆使しないと、マイナンバー制度は機能しない。

 さてその危険性だが、アメリカでも同じように個人情報が流出した。

 以下は、『読売』の記事。


米政府400万人分情報流出か…中国関与と報道


読売新聞6月5日(金)13時41分

 【ワシントン=今井隆】米政府職員の人事情報を管理する連邦政府人事管理局は4日、同局のコンピューターシステムがサイバー攻撃を受け、約400万人の職員と元職員の個人情報が流出した恐れがあると発表した。

 米政府関連のデータがサイバー攻撃で受けた被害としては、過去最大規模とみられる。ワシントン・ポスト紙(電子版)は政府当局者の話として、サイバー攻撃を実施したのは「中国政府のために働いているハッカー」と指摘し、昨年12月にシステムに入り込んだと報じた。

 発表によると、今年4月、人事管理局のコンピューターシステムに何者かが不正に侵入していたことが発覚。国土安全保障省や連邦捜査局(FBI)と共に調査を進め、被害の実態が明らかになった。調査はなお継続中で、被害がさらに拡大する可能性もある。

 米政府は、公式には今回のサイバー攻撃と中国との関連を明らかにしていない。
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イタリアンパセリ

2015-06-05 13:52:19 | 日記
 イタリアンパセリの種を買って蒔いておいたらたくさんの芽が出た。鉢植と露地で栽培していたところ、鉢植えの方は問題なくすくすくと伸び、何度かパスタ料理に使っている。

 ところが、今日実家の庭の畑に植えておいたパセリが、だらっとしていた。抜いてみると、根と茎が分離されていた。ダンゴムシが根のところにたくさんいたから、こいつらかと思い、ダンゴムシ退治の薬をぶっかけようとしたら、急に強い雨が降り出した。

 イタリアンパセリは、鉢植えがよいということがわかった。ただ、農地が広がっているところの畑には、なぜかダンゴムシはいない。

 ダンゴムシは、人家の近辺に生息する虫なのであろうか。

 しかしまあ、この雨が野菜を育てるのだろうが、同時に雑草も育てる。土のところどころにはえていた小さな雑草は、雨が降ると一気に生長して土色を緑色で覆う。

 これからの農業は、雑草との闘いである。
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新聞の地域版

2015-06-05 08:43:46 | メディア
 新聞記者には、東京の政治部で、たとえば「参戦法案」の取材に駆け回っている者もいれば、地方で地域版の紙面を埋めるために奮闘している記者もいる。

 若者が新聞離れをしているところから、新聞関係者のなかには将来に悲観的な見方をする者も多い。だから、『朝日』、『毎日』などの全国紙がそれぞれの地域にさく紙面は多くはないが、『静岡新聞』などの各県に一つくらいある県紙、それと競合する、たとえば『中日新聞』、『中国新聞』などのブロック紙は、地域にかかわる紙面を2~3面さいている。言うまでもなく、地域のネタを拾い、地域に生きる人の名をできるだけ載せることによって部数を拡大させようとしているのである。

 たとえば『中日新聞』の東海本社版。5月の「浜松祭り」でたこ揚げをする子どもの名前を、写真とともにすべて載せる。拡販のための、涙ぐましい努力ではある。

 そして今日の地域版。学校関係の記事がほとんどだ。学校からこういう行事があるから取材に来てくれないかと依頼され、カメラ片手に記者は取材し、それを翌日の紙面に載せる。記者は一日2本くらいの記事を書かないと紙面が埋まらないので、もっとも簡単な学校行事関係に足を運ぶのだ。

 しかし一般読者にしてみれば、これほどおもしろくない記事はない。記事内容はそれぞれの学校の関係者のみが喜ぶだけで、社会的には意味のないものが多いのだ。

 果たして紙面をこういう学校行事で埋めてよいものか。

 他方、ボクは毎日『中日新聞』の三重県の地域版を見ている。「中日プラス」に登録すると、そしてそのプレミアム会員になると(一月300円+悪税が必要だ)、すべての地域版が見られる。

 『中日新聞』東海本社管轄には、学校があまたあるが、三重県はそうはいかない。すると、取材先からの売り込みがそんなにあるわけではない。従って、記者はみずから自らの目や耳をつかって情報を集め、取材にいかなければならない。地域の紙面は2~3面あるから、一日2本くらいは書かないと紙面は埋まらない。1本は取材先からの売り込みに対応する記事で埋まるが、もう1本はみずから出向いて取材する。

 そうすると、そのもう1本がよい記事になる。学校関係の売り込み記事は、すぐに忘れ去られてもよい。しかし実は地域には、ほとんど見向きもされていない、それでいて重要な事実が無数にころがっているはずだ。そういう事実を拾い上げるのが、記者の本当の仕事ではないか。

 以前ボクは、マスコミ関係の雑誌に「地方記者へ」という文を書いたことがある。ずっと前のことだ。そこでボクが主張したことは、記者は“歴史の記録者たれ”ということであった。地域ではそこに住む人々によって時々刻々歴史が刻まれている。あるいは過去に刻まれた歴史的事実が眠っている。そうした、後世の人々に発見されるような事実を拾い上げていくこと、これこそ記者の仕事ではないかと思うのである。つまり地域に転がっている無数の事実のなかから、普遍性をもった事実を発見し記録していく、これが記者の仕事である。普遍性は、個別の中にあるのだ。記者は、それぞれの個別的な事実の中に隠されている普遍性を発見し記録するという大切な仕事を担うのである。

 記者には、そうした自覚を持って欲しい。三重県の田舎でがんばっているF君の記事には、そうした普遍性をもったものが散見される。東京など首都圏で大文字の事実を追うだけが記者の仕事ではない。地域の事実を探し、拾い上げ、地域の歴史の記録者としての仕事も大切なのである。
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