浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

辺野古基金

2015-06-09 20:25:48 | 政治
 辺野古基金がすでに3億円を超えている。ボクも1万円を振り込んだ。正義の闘いが行われているその現場にボクが行けないから、カンパで支援するというスタンス。

 こういう運動にはカネがかかるから、支えていかなければならない。

 さてその使途を報じる記事。もちろん『琉球新報』である。

辺野古基金、寄付額3億2700万円に 地方組織など7者支援

 2015年6月9日 8:23

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設阻止を目的とした「辺野古基金」の基金運営委員会は8日、那覇市内で会議を開き、新基地建設阻止の活動に取り組む市町村単位の組織6団体と平和市民連絡会の計7団体への支援を新たに決定した。市町村組織は辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前へのバスを週1回以上運行している読谷村、うるま市、沖縄市、宜野湾市、北谷町、名護市の6団体。辺野古基金の支援団体は合計で9団体になった。

 基金に寄せられた寄付額が7日現在で3億2734万3469円になったことも報告した。非公表としていた支援金の額についても発表し、すでに支援を決定している「ヘリ基地反対協議会」と「沖縄建白書を実現し未来を拓(ひら)く島ぐるみ会議」に1千万円ずつ、新たに支援を決定した7団体には30万円ずつを支援する。10日に贈呈式を開き、各団体に支援金を手渡す。

 辺野古基金で支援する団体の基準も決めた。基本的に辺野古新基地建設阻止に向け独自に活動費を集め、自立して活動する団体とする。米政府や米議会、国連などに働き掛けをする団体や日米両国で意見広告の掲載に取り組む団体なども対象とする方針。意見広告関連については次回の基金運営委員会で議論する。

 基金運営委員会委員長の新里米吉県議は「市町村組織への支援については、自ら資金を集めながら広範に活動している団体について実績を判断して決定した。(支援額については)いずれ決算で明らかにする必要があるため、前もって明確にすることにした」と述べた。

 発表に先立ち、金秀グループの社員らがグループ各社から集めた寄付金を基金運営委員会に贈呈した。




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地方をどう考えているのか

2015-06-09 12:24:23 | 政治
 近未来における「地方消滅」を予想した増田寛也。今度は、都会の老人を地方へ移動させようとする。

 今日の『日経新聞』記事(一部)。

岩手県知事や総務相を歴任し、人口減少による「地方消滅」に警鐘を鳴らす東大客員教授の増田寛也。今度はそれと表裏一体で、一極集中が進む東京圏で施設の不足から2025年に約13万人の「介護難民」が発生しかねないと訴え、地方都市への高齢者の移住促進を提言した。「影の地方創生相」ばりの仕掛けで、民間から政と官を走らせる。

 地方の人口減少。静岡市では、県知事から人口減少対策をしていないと指摘され問題化している。しかし地方における人口減少は、たとえ県庁所在都市といえども避けられないのである。

 なぜか。地方では大学などの高等教育機関は少なく、高校卒業者は進学のために多くは大都市へと去って行く。では彼らが大学卒業後戻ってくるかと言えば、地方にはかぞえるほどしか就職先はない。どうしても、大都市、とりわけ東京を中心とした首都圏で働かざるを得ない。

 新自由主義の大企業中心の最大限のカネ儲けを是とする考えは、実際の政策となり、東京一極集中を促進させてきた。働き盛りの人々は、若者も含めて、首都圏へとでていく。

 地方から人がいなくなるのは当たり前だ。

 それに対する対策、たとえば全国一律の最低賃金制(一時間1000円)を実施するでもなく、まったく対策を立てずして、いや首都圏への一極集中を加速させながら、今度は、高齢者たちを地方へと追い出そうとしている。

 何という国であるか。まさにカネ儲けのための効率最優先の国土づくりを、増田らは安倍政権と協調しながら推進しようとしている。

 働く人は首都圏へ、もう働けなくなった高齢者は地方へ。

 血も涙もない、経済合理性に基づく「提言」を堂々と出してくる厚かましさ。

 これほどまでに、権力の担い手たちから冷遇されている、人間としての尊厳を無視されているのに、人々はなおも気がつかないのか。


 長田弘さんの詩に、こういうのがある。

 原因があって結果がある
 というのは真実ではない。
 事実はちがう。

 はじめに結果がある。
 それから、気づかなかった
 原因にはじめて気づく。

 ものごとの事実に対し
 ものごとの真実は、
 いつでも一歩遅れている。


 『世界は一冊の本』(晶文社)より


 真実をできるだけ早く気づかせる、そういうことをしていかなければならない。
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長田弘に学ぶ

2015-06-09 06:33:43 | 
 長田弘さんが亡くなられたことは以前記した。長田さんはたくさんの本を遺している。今ボクは、それらの本を、時間を見つけては読み直している。長田さんの本には、まずことばというものがどのようにつかわれるものであるのかを自ら示しつつ、どのように表現の手段としてつかうことができるか、を示唆する。しかしそのことばには、当然のごとく意味がある。長田さんが静かに繰り出すたくさんの言葉には、深い深い、広大な意味が静かに漂っている。

 ボクは今『知恵の悲しみの時代』(みすず書房)を手にとっている。「悲しみの時代」とは、戦争が行われている時代のことである。日本は長い間、「悲しみの時代」をもっていた。とくに1945年に終わったそれは、本当に数え切れないほどの「悲しみ」を日本国内に、諸外国につくりだした。

 そうした「悲しみ」と別れたのが、「戦後」という時代であった。

 そうした「戦後」、つまり「悲しみ」のない時代は、「日々の平凡さを引き受けなければならない難しさ」をもっていると長田さんは綴る。続けて長田さんは、「日々の平凡さのもつ価値は、それを失ってはじめてようやく明らかになる、独特の性質をもっています」と記す。

 長田さんはそのあとに、西脇順三郎の「花や毛虫」という詩を紹介する。「人はなぜ花や毛虫を愛するのか」でその詩は始まるそうです。

 西脇は、「生命の本然をいとおしむのが、人間なのだ」と言う。

 しかし21世紀の今日、ボクらはそうでない人間を、権力の担い手に見出している。

 長田さんは、この時代を想像していたかのように、2006年に発刊したこの本の最後に綴っています。

  戦争は、いまでは多くが、宣戦布告による国家間の、終わりをめざす戦いではなくなって、パニックによって激発する、終わりのない戦いになってしまっています。それだけにいまためされているのは、何をなすべきかでなく、何をなすべきでないかを言いうる、言葉のちからです。

 何をなすべきかを語る言葉は、果敢な言葉。しばしば戦端をひらいてきた言葉です。何をなすべきでないかを語る言葉は、留保の言葉。戦争の終わりにつねにのこされてきた言葉です。

  1945(昭和20)年、真夏の青空の下の敗戦で終わった、それまでの戦争を基とした時代の後に、この国は自分から戦争をしないことを選んで、留保する自由を選びました。しかし、忘れないようにしたいのは、それからずっと、みずから留保する自由を選びつづけてきた最初の理由が、いまに至るまで、この国の自律の最後の根拠になってきたし、なっている、という事実です。

 
 
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