昨日今日と富士市に行った。富士市における1980年代の地方行政の推移を調べるためだ。昨日は「行政改革」に関する資料を読んだ。1980年代からの「構造改革」というのは、要するにすべてを中央集権化し、トップダウンのやり方で、政府がすべきことや、政府の下請的な仕事を政府の意のままに自治体に行わせるという方式であると思った。1980年代の中曽根内閣は、新自由主義的な「改革」のスタートに位置するが、そこで開始された「臨調・行革路線」がどういうものであったのかを振り返る必要に迫られている。
この頃から始まった「行政改革」路線は、まさに閣議決定→自治省→県→市町村へと降りてきて、期限を切って様々な施策を強制していく。それに対応しないと、県から何月までにやれという指令が来る。そして、地方自治体はそれに対応しながら、何とかそれぞれの地域でそうした指令に応じられないものについては、何とか抵抗していく。
ボクがここで明らかにしなければならないことは、「行政改革」が国家権力からトップダウンで押しつけられているものであることを明確にしながら、それぞれの自治体はどういうところで抵抗したのかを明らかにしていくことだろうと思った。
また行政経営ということばはすでに自治体内では普通の言葉となっているが、その内容をみると民間企業の論理(トップダウン方式、効率優先など)をどう自治体にやらせていくかというものだ。資料を読んでいて、そんなに民間企業は「善」なのかと思えるほどだ。
自治体には自治体の論理があり(それは「自治」ということが基礎になければならないし、自治体が行う仕事は決して金儲けが目的ではない)、それをどう取り戻し活性化させていくか。地方自治体の自治というものを深部からとらえ直し、中央集権的な統制を自治体がねかえしていること、それを具体的に探し出し、普遍化させていく作業が求められている。
資料を読めば読むほど、勉強不足を感じる。
この頃から始まった「行政改革」路線は、まさに閣議決定→自治省→県→市町村へと降りてきて、期限を切って様々な施策を強制していく。それに対応しないと、県から何月までにやれという指令が来る。そして、地方自治体はそれに対応しながら、何とかそれぞれの地域でそうした指令に応じられないものについては、何とか抵抗していく。
ボクがここで明らかにしなければならないことは、「行政改革」が国家権力からトップダウンで押しつけられているものであることを明確にしながら、それぞれの自治体はどういうところで抵抗したのかを明らかにしていくことだろうと思った。
また行政経営ということばはすでに自治体内では普通の言葉となっているが、その内容をみると民間企業の論理(トップダウン方式、効率優先など)をどう自治体にやらせていくかというものだ。資料を読んでいて、そんなに民間企業は「善」なのかと思えるほどだ。
自治体には自治体の論理があり(それは「自治」ということが基礎になければならないし、自治体が行う仕事は決して金儲けが目的ではない)、それをどう取り戻し活性化させていくか。地方自治体の自治というものを深部からとらえ直し、中央集権的な統制を自治体がねかえしていること、それを具体的に探し出し、普遍化させていく作業が求められている。
資料を読めば読むほど、勉強不足を感じる。