安倍晋三=自民党・公明党政権以降、権力を握るものは、抑制的に振る舞うことをしなくなった。憲法、法律を無視し、おのれのしたいことを平然と行うようになった。近代国家の原則である「法治主義」、「法の支配」は何処へと捨て去ったようだ。
法に基づかない政治は、専制政治、独裁政治とかわらない。日本国民は、それでもよいという選択をしているように見える。民主主義というのは、危険な制度である。確かに政権を握っている政党は、自由と民主主義と正反対の政策を行う自由民主党である。多くの国民がこの政党に権力を任せるという選択を行っている、またそのトップであるスカが民主的な手続きを無視しても、支持する者が多いという現実。
1941年からの大日本帝国の対米英戦争は、国民の大半の支持の下に行われた。国民は正常な選択をする集団ではないということである。もちろん情報が流されなかったということもある。ラジオや新聞もまた大日本帝国の片棒を担ぐ、官製の広報機関と化していたから、生産力や軍事力からみればアメリカとの戦争では必ず負けるという報道は皆無であった。
学者たちも学問の自由は奪われ、下手なことを言えば治安維持法で牢獄にぶちこまれるという状況であった。
真実は力を持たなかった。
今も又、真実は力を持たない。そういう時代は、悲しいことに暗愚な権力者でも権力を振るうことが出来る。
東条英機、彼は対米英戦争を開始した。しかしマリアナ諸島が米軍に占領され、日本の敗戦が確実となった時点で退陣。彼は「戦陣訓」をつくらせ、「生きて虜囚の辱めを受けず」という文言をそこに盛り込んだ。敗戦後、彼は自殺を図ったが急所をはずしたために「生きて虜囚」となった。無様な姿をさらしたのである。
スカの目を見れば、彼の人格がどういうものかがわかる。彼の目は人間を信じる目ではない。知性を持たない猜疑心の塊のような目だ。権力を求めて生き続けてきた者の目である。彼は権力を振るうために生きているような人物であり、中国の習近平やロシアのプーチンなどと肩を並べることができる。
さて日本学術会議の問題であるが、これを撤廃させるためには、大学の教員などが総力で抵抗する必要がある。
だがしかし、すでに大学は学長の専権が認められ、大学教員による自治的な側面はなくなっている。教員の人事でさえも、教授会はその権限を奪われ、学問的業績がない者が学長によって教授として任命されている。そういう事態に、大学教員の多くは抵抗しない。大日本帝国下の「大学の自治」のほうが、現在よりもずっとマシだった。
民間企業の職場で経営者が絶大な権力をもつように、学校でも、自治体でも、トップに権限が集中されるようになった。新自由主義は企業経営こそがあるべきすがたであるとされ、学校では「学校経営」、自治体では「自治体経営」とトップダウンの経営方式が「正しい」とされ今に至っている。
そうなると、官僚やメディア関係者が権力者におべっかを使いゴマをするように、どこでもそういう人間が増え、彼らがさらに権力者を横柄にし、増長させている。
こういう社会に未来はない。
日本社会は、あらゆる点で国際ランクが下がっている。そういうことが報じられないし、「ニッポンはすばらしい」というテレビ番組があるが故に、国民は井の中の蛙となって満足している。しかしその蛙は「茹でガエル」であって、「熱い!!」といってそこから飛び出るか、それとも気がつかずに死ぬまで茹でられ続けるか、おそらく後者であるだろう。
未来は、いま生きている者が創り出すものだと思う。