統一教会を媒介に、自民党と北朝鮮がつるんでいた!
以前、某所で行われた歴史講座で戦国時代から1945年の敗戦までの歴史を語ったことがあった。
その際、幕府は、日本に戦乱をなくし、対外戦争(秀吉の時代に朝鮮侵略があった)の処理を行い、平和をもたらしたことを話した。戦国時代は、まさに殺人と略奪の日々であった。それは藤木久志さんの研究に明らかであった。戦国時代を生き抜いてきた、私たちの先祖はとても幸運であったということも話した。
さて近代日本国家の成立は、富国強兵路線を突っ走り、日本を「一等国」に引き上げようとした。地主制のもと、農民は貧困に苦しみ、戦争に動員され、働く労働者は低賃金で酷使された。朝鮮や中国などは、日本軍の軍靴に踏み荒らされた。
私は、近代日本よりも、近世という時代の日本の姿の優位性を話した。近代日本国家のスタートは、大きな誤謬であったということを指摘した。もちろん、その誤謬をなんとかしようとした動きについても話したが、しかし、その誤謬はずっと今も日本全体を縛っていると思う。
最近、田中優子、松岡正剛の『江戸問答』(岩波新書)を読んだ。私は前記の講座で近世の政治外交については話したが、近世の思想や文化については詳しくなかったのであまり言及しなかったが、この本を読んで近世の思想・文化についても知らなければならないと教えられた。「江戸」は、もっと顧みられ、評価されるべきだと思った。
現在の日本の姿に絶望しか持てない私は、「江戸」に回帰することにより、今とは異なる歴史の歩みがあり得たのではないかと思い、それを探ろうと思い始めた。近代日本国家は、「江戸」を否定するところから生みだされたからだ。
「江戸」は、振り返られなければならない。
【追記】同じ著書で、『日本問答』(岩波新書)があり、それを図書館から借りて読んでみたが、こちらは雑駁で、話される内容がいずれも表面的で、論点がまったく深まらない。読んでいて、これはためにならない、ダメだと思い、途中で放棄した。専門性を持っていない松岡正剛の、豊富な知識を知らしめるための本のような気がした。(2023/01/06 記)