日本の政治は、国政においても、地方政治においても、すべて利権につながっている。業界は、補助金や税の優遇措置に群がる。そのためには、利権を保障してくれる政党、統一教会党である自民党、創価学会党である公明党、そして連合党である国民民主党など、既成の利権とつながる政党に、人びとは投票する。
そうした政治を見ていて、人びとは政治への関心をなくしていく。勝手にやれよ、ということなのだろう。
私も、最近そういう気持ちになってきた。カネにまつわる事件が、統一教会党や創価学会党はじめ、政界で頻発している。しかし、司法はそれを取り締まろうとはしないし、捜査が行われても不起訴として処理されてしまう。
最近、平野貞夫さんの本を読んだが、1955年体制とは自社政権であり、社会党にもいろいろなカネが渡されていたと記されていた。日本人はカネに弱い、カネで容易に籠絡されてしまう。
さて昨日の『東京新聞』の社説は、議員特権について記されていた。日本の国力が世界的に後退に後退を重ねているのに、国会議員の報酬その他は世界トップだという。さらにそれをアップしようという動きがあるようだ。
まず社説を貼り付けよう。
「軍拡増税」論議 議員特権は手付かずか
岸田文雄首相が防衛力強化のための財源として増税を求める意図を「今を生きる国民が自らの責任として、その重みを背負って対応すべきだ」と説明した。ならば問う。国民に新たな負担を求める政治家は痛みを分かち合い、その責任を果たしているのか、と。
国会議員の特権や高額給与を温存し、国民に責任と負担増を押し付けるとは、理解に苦しむ。
特権の代表格は、国会議員歳費とは別に非課税で毎月百万円が支給されている調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)だ。使途の報告や領収書提出の義務はなく、事実上何にでも使える。
税金から支払われる旧文通費は昨年秋の臨時国会で与野党が見直しに合意したが、実現したのは名称変更と日割り支給にとどまる。十日閉幕の臨時国会でも使途公開は実現せず、抜本的な是正策は三国会連続で先送りされた。
野党は使途公開や未使用分の返金を義務付ける法案を提出したが与党は審議にすら応じず、首相が議論を促すこともなかった。必要経費は実費精算という社会常識を無視し続ける与党に、国民に負担増を求める資格があるのか。
東日本大震災後、国民は復興特別所得税の形で復興を支援し、国会議員も歳費を減額した。歳費はその後、消費税増税時や新型コロナウイルス感染拡大時に減額されたが、今は満額支給に戻った。
政府与党は防衛力強化の財源として復興特別所得税の流用を検討しているが、国民に税負担を強いながら、議員歳費は手付かずとは保身が過ぎるのではないか。
国民生活は、円安やウクライナ侵攻による物価や光熱費の高騰で苦しい。賃金は伸び悩み、社会保障の負担も重い。そうした状況での増税は消費をさらに冷やし、企業の賃上げ機運にも水を差す。
そもそも与党は直近の衆参両院選挙で、防衛力強化のための増税を公約していない。補欠選挙を除き国政選挙は当面予定されておらず、国民に不人気な政策でも進められると政府与党が考えているなら、思い違いも甚だしい。
「軍拡増税」の是非は敵基地攻撃能力(反撃能力)保有など安全保障政策の転換と合わせ、主権者たる国民に信を問うべきであり、それが議会制民主主義の手順だ。その前に政治家が旧文通費などの特権を手放し、痛みを分かち合う姿勢を示すのは当然である。
野党は、議員報酬についてもっと真摯に取り組むべきである。与党も野党も、こぞってカネに群がる醜態を見せていては、政治への期待が高まることはない。