本書は、『週刊金曜日』に連載されていた「『本多勝一のベトナム』を行く」に加筆して刊行されたものだ。
朝日新聞記者であった本多勝一は、紙面で様々な連載を書いていた。思春期の頃、『朝日新聞』を購読していたわたしは、その連載記事を必ず読んでいた。数多くの連載記事の中で、圧倒的な影響を受けたのが、本多がベトナムを取材して書いた『戦場の村』などの記事である。それらは連載後に単行本となって発売されたが、それらは未だに書棚に並んでいる。
わたしが高校生の頃、ベトナム戦争は激しさを増していた。新聞にも、ベトナム戦争に関する記事は毎日のように掲載されていた。アメリカという巨大国家が、ベトナムという小国を荒らしまわり、爆弾のみならず枯葉剤などを撒き、ベトナムを徹底的に破壊していた。しかしそれに対して、ベトナムの人びとは果敢に抵抗していた。もちろん、わたしはベトナムの人びとの支援に動いた。ベ平連と関わったのも、高校生の頃だった。
ベトナムの人びとの果敢な抵抗は、わたしの精神に大きな刺激を与え、わたしの思想をつくりあげていった。そのベトナムの闘いを報じていたのが、本多の記事であった。
本書は、『週刊金曜日』の本田雅和が、本多勝一が取材した地域、人を訪ね歩いて、今のベトナムを描こうとした。本多勝一を読んでいるわたしとしては、「その後」をやはり知りたいと思った。わたし自身も、ベトナム戦争に強い思い入れを持っているからだ。
刊行されてからすぐに購入し、一気に読んだ。付箋がたくさんついている。付箋をつけた個所について全て言及するわけにはいかないので、その少しだけを紹介する。
「ベトナム人にとって共産主義や共産党とは何だったのか、人々は何のためにこんなにも闘ったのか、闘えたのかーを問う旅でもあった」(45)と本田は書く。わたしも同じ問いを共有する。おそらく当時のベトナムの人びとの強さは、ホーチミンという指導者の下、共産党を中核にしてベトナムの人々が強固な信念を共有したことにあると思っている。抵抗するためには、共産主義も不可欠の要素であった。共産党、共産主義というものがなければ、あの粘り強い抵抗闘争はなかった、のではないかと思っている。もちろん、だからといって、現在の共産党が指導するベトナムの状況を無条件に受け入れるわけではない。しかし、わたしは、ベトナムという国家が繁栄し、そこに住むベトナムの人々が幸せに、豊かに、そして自由に生きていくことができる社会をつくることを、心から期待している。
52頁で、本田は「ベトナム人民の多くは、・・・学びつつ、今も試行錯誤しながら各自の「戦後」を生きている。一方で、ベトナムに侵略戦争を仕掛けたアメリカは、その失敗から一体何を学んだのか?今も世界中で侵略戦争を繰り返しているアメリカは、倫理的にもベトナムに負けているのだ。」と書いている。アメリカは、軍事的な戦略、戦術の面では何かを学んだかもしれないが、しかし、本質的なことは何も学ばない。それは先住民を虐殺し、かれらの土地を奪って建国したその時代から、全く変わっていない。アメリカには、「反省」ということばはない。
66頁で、本田は、本多が『戦場の村』で「戦略村」について書いていることを指摘する。この「戦略村」は、日本帝国主義が、「満洲」でおこなったこととまったく同じである。住民を強制移住させ、管理する、そしてパルチザンなどと接触させないようにする、という方式。帝国主義は、おなじことをする。
これ以上書くと長くなるのでこの辺でとめるが、本多勝一のベトナムルポを読んだ人たちにとっては、きわめて有益な情報が、本書には書かれている。
多くの高齢者に推薦する次第である。わたしと同じ世代の人びとにとっては、ベトナム戦争は、それぞれの精神に強く刻印されているはずだから。