近所に、石屋さんだけれども、油絵や彫刻、書を描く芸術家がいる。森さんの作品は、何かを描こうとして描いているわけではなく、魂からというか、心の底からというか、あるいは神の意図のままにと言うか、そういう作品ばかりである。
個々の油絵から、何ともいえないエネルギーを感じるし、書は、書道ではない自由さにあふれ、「薔薇」はトゲのあるバラをそれとして描き、「花」は、たくさん描かれているが、一枚一枚異なるハナが描かれる。
森さんから書を一枚あげると言われ、たくさんの作品からまず二点を選び出した。「道理」と「草木」である。この二つをわが家に飾るとき、「道理」はどうも押しつけがましいと思い、「草木」を選んだ。今はしっかりとした額に入れてある。
「草木」を選んだ理由は、その書がまさに素朴な、私たちの廻りにある草木そのものを、字として素直に描いたもので、私自身の生き方を表していると思ったからであった。齢を重ねた私としては、まわりにある草木が自然の移り変わりのままに生まれ、生長し、そして枯れて死んで行くという、そうした死生観を持ち始めているからである。
昨日、野見山暁冶、窪島誠一郎による『無言館はなぜつくられたのか』(かもがわ出版)を図書館から借りてきて、早速今日、読み終えた。
先日の長野県上田への旅は、無言館を訪問するものであったが、そこに並んでいた戦没画学生の絵画は、戦時体制の下、生死を分ける戦場にちかい内に行かなければならないという切羽詰まった時期に描かれたもので、それぞれの絵画には、何が何でも描きたい、描かなければならないという意志の結晶としての作品であった。
その本で窪島は、「・・・絵は描こうという対象を愛していないと描けない。それは事実なんです。夕焼けだろうが花だろうが、人だろうが、憎んでいたら、絵は描けない。文学は、批判する対象も書けるし、権力にはむかう批評も書けるけど、絵は、少なくとも絵を描いている時だけは描く対象を愛していないと、描けない。」(171頁)と語っている。
なるほど、と思った。だから、彼らは、戦場の場面は描かなかった。愛することができないからだ。妻や妹、風景の絵など、愛するものを描いた。
そこには、こんな絵を描いたら売れるか・・・などという邪心や欲はない。
邪心がない、欲がない、という点で、森さんと戦没画学生は共通する。
森さんは、墓石ももちろんつくっている。