なぜ浜松ベ平連の記事を載せたのかを説明すると、昨日から『社会運動史研究』5を読んでいて(『社会運動史研究』の1と2は購入して読んでいるのだが、それ以降の特集はあまり関心を抱かなかったので買っていなかった。すると、ある方から5号を読んだ感想を読みたい、との仰せがあり、急遽購入した次第である)、そのなかに市橋秀夫の「殺されない手立てを身をもって示す」という、北九州市の反戦青年委員会の活動を紹介したものがあった。
そういえば、私が若い頃、反戦青年委員会というのがあったこと、彼らが浜松ベ平連のデモにも参加していたことを想い出したからだ。先の吉川さんの文にも、反戦青年委員会への言及がある。反戦青年委員会のメンバーが『前進』に言及しているから、中核派系かも知れない。
考えてみれば、反戦青年委員会という組織があったことは知っていたが、ほとんど接触はなかった。北九州市の反戦青年委員会の活動に関しては資料があり、またその担い手からもインタビューできたそうだが、私が今まで調べた限りで言うと、その類いの資料もなく、またどういう人が反戦青年委員会に加わっていたのかもまったくわからない。
私は、高校生の頃、浜松ベ平連の一員でもあった。高校卒業後、上京したので、浜松ベ平連のその後についてはまったくわからない。
1960年代後半の静岡県におけるベ平連のような市民運動も、歴史研究の対象となりうる。誰かやらないかしら・・・